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名誉革命ってよく分からないんですけど、オランダが?

名誉革命ってよく分からないんですけど、オランダがイギリスに攻め入って、オランダ王がイギリス王女と結婚して、オランダが勝ったけどイギリスが強い国になったんですか?

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  • Nakay702
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回答No.2

以下のとおりお答えします。 >名誉革命ってよく分からないんですけど、オランダがイギリスに攻め入って、オランダ王がイギリス王女と結婚して、オランダが勝ったけどイギリスが強い国になったんですか? ⇒確かにこのへんの顛末はちょっと複雑ですね。大さっぱに要約すれば、次のように言えると思います。(キーワード:世継ぎ、政体、国王と議会、亡命、「君臨すれど統治せず」。) ①1603年、時のイギリス国王ジェームズ1世が、専制体制を強めようとして「王権神授説」を信奉し、議会を弾圧したので、両者の対立が発生した。 ②ジェームズ1世の子チャールズ1世も父王の政策を引き継いで、議会の意向を無視し、強硬な税の取り立てをした。それで議会は、同意なしに課税しないことを王に認めさせようとした(=権利請願)が、王はこれに反発して議会を解散させた。 ③これが議会の怒り買って互いに反目し合った結果、優勢を得た議会(クロムウェル)が君主制を廃止て共和制とした。国王はフランスへ亡命した。 ④1660年、チャールズ1世の子チャールズ2世が、情勢を見計らって帰国し、王位を奪還した(=王制復古)。王はさらにこれを強めようとフランスに援助を求めたので再度議会と対立した。 ⑤議会は対立王を立てようと、チャールズ1世の娘メアリの夫であるオランダ総督ウィリアムをイギリスに招いた。 ⑥チャールズ1世はこれを追い払おうとしたが、またも戦いに敗れてフランスへ亡命した。そこで、メアリとウィリアムが共同で王位についた。これを名誉革命という。 ⑦その結果、議会だけが立法権をもつことを内容とする「権利章典」を2人が認め、議会政治が定着した。そして、これが後の責任内閣制と、ジョージ1世の「国王は君臨すれど統治せず」という慣習へとつながった。

rameznaam
質問者

お礼

大変詳しく教えていただき、みなさん、ありがとうございました!

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rameznaam
質問者

補足

ありがとうございます! …つまりチャールズ1世(2世?)の系譜の方は、イギリスの王統としては、全く用無しになったんですか?

その他の回答 (2)

  • Nakay702
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回答No.3

補足を拝見しました。 >ありがとうございます! …つまりチャールズ1世(2世?)の系譜の方は、イギリスの王統としては、全く用無しになったんですか? ⇒いいえ、そんなことはありません。以下のとおりです。 ①ジェームズ1世から始まる王朝をスチュアート朝(1603)といいますが、それが100年以上続きます。 ②ジェームズ1世からその子チャールズ1世が、さらにその子チャールズ2世が王位を継いだことは前便で述べたとおりです。 ③チャールズ1世・2世の失脚後、チャールズ2世の姉メアリがウィリアム(との共同で)王位を継いだことも記述のとおりです。 ④ウィリアムらの後は、チャールズ2世の弟ジェームズ2世の娘アンが王位を継ぎました。 ⑤アンが亡くなると、チャールズ1世の妹エリザネスの孫ジョージ1世(在ドイツ)がイギリスに迎えられて王位を継ぎました。 ⑥エリザネスの娘ソフィアはドイツの選帝侯ハノーヴァに嫁いでいたので、ジョージ1世はそれまでドイツにいました。 ⑦つまり、彼はイギリスのことがよく分からなかったために、それで政務を大臣にまかせたので「国王は君臨すれど統治せず」という慣習が生まれたのでした。 ⑧このジョージ1世のイギリス王戴冠(1714)まで、112年間スチュアート朝が続きました。なお、ジョージ1世の朝廷はハノーヴァ朝と呼ばれ、これが現在のイギリス王朝の始まりとなりました。 ⑨1719年にハノーヴァ朝はウィンザー朝と改名されましたが、いまだになお、あのスチュアート朝の系統はいろいろな形でこれに関わっています。

  • notnot
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回答No.1

全く違います。 当時のイギリス王が議会との対立で、王位を追われて(まあ、クーデターですね)、その時、王位継承順位の高かったのが、オランダ総督に嫁いでいた(追放された王の)娘なので、夫婦で王位に就いたというのが名誉革命です。 彼らには後継の子がなかったので、妹が後を継ぎましたが、これも子がなかったので、継承順位の高いドイツのハノーバー侯爵がイギリス王位を継ぎました(英語しゃべれなかったらしい)。これが今のチャールズ国王に繋がる家系です。このときも特にドイツと戦争したわけじゃないです。 ずっと前の、1600年頃のエリザベス1世も世継ぎなく亡くなったので、この時はイングランドと若干の対立もあったスコットランド国王が継承順位に従ってイングランド国王を兼務して、後にイングランドとスコットランドは1つの国に合併しました。 イギリス王家は、戦争で王位を争った時期もありますが、エリザベス1世後継以降は、「後継者無しで、数代前の分家から後継者が出る」を戦争無く何度もやっています。 今は確か、王位継承順位は数百番目まで決まっているはずです。