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古文の文章のわからないところ2
「君ならで 誰かに見せむ梅の花 色をも香をも 知る人ぞ知る」 この歌の訳がわかりません。それと、「未然形+で」は打ち消しの接続助詞だと思うのですが、接続助詞ってよく句点「、」の上にあると聞くので、文と文をつなぐんですよね?でも上の歌の「で」は文をつないでいるようには見えないのですが、どう考えればよいのでしょうか? それと、古文の現代語訳で「とても」という訳は存在しないと先生が言ってたのですが これは本当ですか?「いと」を「とても」と訳してはだめなのですか? これはどういうことを言っているのですか? だいたい「いと」や「いとど」の訳は普通、「たいへん、はなはだ」と載ってますが「とても」とのっているのも見たことがありません。
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古今和歌集の紀友則の歌ですね。 文法的には、あなたのご指摘どおりですよ。 【ならで】 (断定の助動詞「なり」未然形+打消の接続助詞「で」の連語) ~以外に。~ではなくて。 >接続助詞ってよく句点「、」の上にあると聞くので これは口語文法や教科書の古文読解を教わるときに耳にされたのでしょうが、 本来古文に句読点は使われません。 後世の人が読みやすいように勝手につけています。 また、和歌には今も句読点をつけません。 訳もつけておきますね。 あなたの他に誰に見せましょうか。 梅の花の素晴らしい色も香りも、 情趣をわかるあなたのような人であってこそ、 はじめて理解していただけるのです。 >古文の現代語訳で「とても」という訳は存在しない これは、「とても」という現代語が存在しないという意味だと思います。 「とても」はもともと「~ない」という否定語とセットで使われる副詞です。 「とてもできない」「とても信じられない」はOKですが、 「とてもステキ」「とても笑える」という使い方はNGでした。 (今でも「それはヘンだ!」と感じられる方がたくさんいらっしゃったりします) 「いとおかし」を「とっても情緒がある」と訳すと、 今でもちょっとおかしいと感じられるのに、 古文訳だとしたらとってもおかしい(笑)と先生はおっしゃってるわけです。 ですから参考書でも「たいへん、はなはだ」としか書いていません。 言葉ってどんどん移り変わりますが、 古文の先生は昔の言葉を大事になさいますので、 「たいへん、はなはだ」と訳しておいてください。(^^)v
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補足。 接続助詞は接続詞ではないので、文節と文節をつなぐこともできます。
お礼
こんにちは。私もそこがまだ疑問に残っていたのですが、おかげさまで解決できました。どうもありがとうございました!
- name-label2
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↓のご回答のとおりですね。退散……。この歌の中で文法的には次の点を最低限おさえておきましょうよ! ◇ご指摘の「で」=口語のように句読はないので、その点はご注意! ◇「む」=ここでは「意志」の助動詞。「む」を徹底的にマスターを! ◇「ぞ」=強調。係り結びーーなどです。 できるだけ、まず直訳していきましょう。そうすると、何となくわかってきますよ。 歌の中では、直接は「あなたのような」という語は入っていません。だから、ある意味では意訳も情緒的には必要ですが、まず、慣れるには直訳でいいんですよ。 君ではなくて誰に見せよう梅の花 色も香りも知っている人は知っている こういうふうに直訳的にやっていって、ああ……そうか……だから「あなたのような」というのがわかってくる。そういうふうに古文をやっていくと慣れてきます。まぁ、私らにとっては外国語のようなものですものね。 「いと」についての解説は↓の方のとおり!
お礼
こんにちは。name-label2さんお返事ありがとうございます。丁寧に解説してもらってだんだんわかってきました。訳を見て一瞬「知る人ぞ知る君」のように前に戻って、倒置しているのかなと思ったのですが、係り結びだからそこで文が切れるんですね。見落としてました。 >そういうふうに古文をやっていくと慣れてきます。 そうですか、すごいですね。私も早くそのようになりたいです。 ありがとうございました。
お礼
お返事どうもありがとうございます。知らないことがいっぱい聞けて勉強になりました。和歌は難しいですね。めげずに何回も見て慣れていこうと思います。