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古文の文章のわからないところ2
- 古文の文章中の「いたし」とは、恋しいという意味ではなく、かたみに思うことを表しています。また、「いたし」は形容詞ではなく、終止形+などの形を取っているのは文法的に正しい表現です。
- 「こころづくし」は名詞であり、「む」は婉曲表現として用いられています。つまり、「待ったり惜しんだりするような思い悩みを詠んだ歌が多くて」という意味になります。
- 「わたつ達」という単語は辞書には載っていませんが、この文脈では「我々」や「私たち」という意味で用いられています。
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(1)この「いたし」は、苦痛ではなく、「恋心で胸がキュンと痛む状態」なのでしょうから、「恋しい」「いとしい」という意訳もありえます。「など」は、引用句をうける「など」でしょうから、 「いたし」など(と)思ふべかめり のつもりで解釈なさればよいでしょう。「いたし」は心内文です。 (2)婉曲の「む」を「~ような」と訳すのは正解ですが、無理に訳す必要もありません。全体の訳は、もう少し前後の文脈がほしいところです。出典が分かればよいのですが。 (3)宇治拾遺物語「絵仏師良秀家の焼くるを見て悦ぶ事」では、「わたうたちこそ、させる能もおはせねば、物をも惜しみ給へ」になっています。「わたう」を辞書でお調べください。 (4)原則として、終止形(終止形接続の助詞・助動詞を下に伴っている終止形を除く)、命令形、係助詞の「結び」、終助詞が出てきたら、そこで文が終わるわけですから、特に文の終わりを示す符号や形式は不要だったと思われます。
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- kimosabe
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再びkimosabeです。 うっかりしていて、ご質問に引きずられてしまいました。 (2)の「待ち惜しむ」の「む」は四段動詞「惜しむ」の連体形語尾で、 婉曲の助動詞ではありません。 本居宣長全集第一巻に収められている「玉勝間」を見ますと、直前の文脈は、 いにしへの歌どもに、花はさかりなる、月はくまなきを見たるよりも、花のもとには、風をかこち、 月の夜は、雲をいとひ、 とあります。続けて現代語訳しますと、 昔の歌に、花は盛りであるのを、月は一点のかげりもないのを見ている歌よりも、花のもとでは、 風を恨み嘆き、月の夜は、雲をうとましく思い、あるいは(花や月を)待ち、惜しむ(痛切な)思いを 詠んだ歌が多くて、 といったところではないでしょうか。
お礼
どうもこんにちは!再びありがとうございます。 完璧な解答どうもありがとうございます!! 疑問がきっちりと解決できました。
お礼
お返事どうもありがとうございます。全部の質問にお答えしていただいてとても感謝しています。ありがとうございます!それと、(2)の文の出典は「玉勝間」でした。すみません、前後の文はこれ以上のってないみたいです。単語の説明のために一節だけ載せてあるような形なので・・・。すみません。よろしければ、出典をお調べしていただいて前後の部分からお答えしてもらえることはできますでしょうか?