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教育心理学のとある例題:老師が弟子に言った言葉の意味
現在大学で教育心理学の授業をうけているのですが、その授業の中で次のような文章がありました。 「老師が弟子にいう“ここに杖がある。これが見えるというならば、お前を打ち据える。見えないというならば、やはりお前を打つ。杖は見えるか、見えないか、どちらだ?”」 という文章です。いったいこれはどういうこと指しているのでしょうか?どのへんが教育と関係あるのでしょうか? どうか教えてください。お願いします。
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質問者が選んだベストアンサー
錯視「老婆にも見えるし鳥にも見える」があります。死の現実に恐れ慄きながら生きることもできるし、死を忘れて暮らすこともできる。しかしながら「両方、常に頭を切り替えて自由に行き来できるようになりなさい」ってことでしょうか。 答えとしては「見ようと思えば見れるし、見ないと思えば見えない、どちらも常に可能」要するに鳥にも見えるし老婆にも見える、一方だけということはなく、自由に切り替え可能な能力がある。
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- kanpyou
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#4です。 「生と死」をも象徴していて、杖が見える状態を、老子の存在する直接の教えを表し、杖が見えない状態を、老子の死後と考えられます。
- kanpyou
- ベストアンサー率25% (662/2590)
性善説・性悪説というか、老子からの教えの存在意義では? 今現在は、老子の支配下にあり、「教え」という叱咤激励が為され、独立後も、その教え(教典)に支配されるという意味で、それを象徴的に「老子の杖」として表現しているのではないでしょうか。
- Diogenesis
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どのような文脈で出てきた話でしょうか。 それがわからないとはっきりしたことは言えません。 授業で取り上げるからには 先生から何らかの解説があるはずですが。 推測するなら, 回避‐回避コンフリクトの例かもしれません。 http://www.geocities.jp/kyongsea/sub390.htm そうでなければダブルバインドの例のつもりかも。 もっともダブルバインドの例として適切とは言えませんが。 http://okwave.jp/qa1257057.html
- shift-2007
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杖=悪事 と置き換えると、 杖が見える=悪事を指摘する-->報復する 杖が見えない=悪事を見て見ぬふりをする-->叱られる お前はどっちを選ぶ? こんな感じですかね。
お礼
なるほど杖を悪事に例えるふうに考えるんですね。 でもどちらにしても殴られるのはどうしてなんでしょうか?
- backs
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形式上の答えと同じかは知りませんが、「備えよ常に」ということを意味しているのだと思います。例えば、見通しの悪い道路を通るときに自分の目で確認していても、車はお構い無しにやってきます。かといって、「どうせ車なんか来ないだろう」と油断していれば思わぬ時に事故にあったりしてしまいます。 教育現場を想定すれば、教師が常に目を光らせて生徒を監視していたら、それに対して生徒は突っかかってくるでしょう。しかし一方で、全くの放任主義で生徒から目をそらしていれば、その隙を見はからって悪さをする。 あまり考えていませんが、監視しすぎても、放任しすぎてもダメで、調節(調和)が大切であるということを考えさせるための言葉ではないかと。 老師という言葉から中国思想を連想させられますが、道教の考え方に似ていますね。
お礼
中庸思想とかですかね? その発想はありませんでした。ありがとうございます。 老師の質問形式が二択なので真ん中を取ることには気がつきませんでした。
お礼
ガニエの学習階梯や統合モデルをやっているときにでてきました。 文脈といってもいきなりこの文章がポンとでてきたので特に文脈はありません。先生からの補足もありませんでした