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律令制度の道、国の読み方、遍歴者のこと

1. 国語のジャンルになるのか、考古学や歴史のジャンルなのか決定できないのですが、本などを読んでいて下総の国、上総の国という言葉に接しま。ここで使用されている上下は多分、京都からの道順でしょうが、自治体主催の講演では、下総をどうしてか、“しもおさ”という発音に聞こえます。これは単なるその方の、訛りか習慣に過ぎないのか、やはり“しもおさ”も正しいのでしょうか? 2. 私達は普通、'道━“みち”や"どう”'というと、単に通る道路しか考えませんが、朝鮮の区画でも、'道━“どう” 'という言葉が使用されているようですし、わが国でも'北海道'とか'道州制'とかいう使い方がされていま。道には通行の道路と、こういうふうな区画などの意味とがあるのかなとしても、それをどう理解し、受け入れたらいいのか困っています。抑々'道'というものを歴史的にどう、総合的に理解できるでしょうか。どちらかが本来の使い方で、それが転化していったのであれば、その経過が知りたいと存じます。 3. 律令制度の中に公地公民という原則がありました。その一つがこの全国的な'道'であって、これは通る'道'とは概念としては、異なるものなのでしょうか?それに二重写しに、通行の'道'が重なっているのでしょうか? この'道'は、朝廷の聖なる所管であり、そのくくりに入る○○の国の知事の行政権は、自国を通る'道'にも及ばなかったのでしょうか、警察権限や司法権もやはり及ばなかったのでしょうか。もしそうだとしたら、その地域の人は、この'道'にどういう思いを持ち、且つ、関わっていたのでしょう。 4. 公地公民ですが、これは定住のかたは当然なのでしょうが、山窩、国栖、隼人、蝦夷、或はその他のいろんな遍歴の方々や、職業の方々との関係はどうなのでしょうか。   その方々と道とのかかわりはどうだったのでしょうか。   どうかヒントやWebでの関係URLなどをお教え下さい。

みんなの回答

  • merlionXX
  • ベストアンサー率48% (1930/4007)
回答No.2

> 中国でどんな風に、何時ごろ使われていたかが分りたいです。 #1です。 行政区画としての「道」が登場するのは唐代です。 唐は、全国を10の道に分け、その後の玄宗皇帝の時代に15に分けました。 ただ、道は監察など広域行政のための単位であり、実際の地方行政を行うのは刺史を長官とする州と、その下に置かれた県令を長官とする県です。州は全国で約350、県は全国でおよそ1,550あったようです。 さらに県の下に100戸をまとめて1里とし、5里を1郷とする行政単位があります。この制度を郷里制と呼び、これは隋の時代からあるものです。

krya1998
質問者

お礼

お礼が遅れ申し訳ありませんでした

krya1998
質問者

補足

 本当にありがとう御座います。きちんと関係の本を探し勉強するべきなのに、このように教えていただき、心より感謝に堪えません。  律令制度が隋唐の制度に倣ったものだというお話に今更ながら思い致すものであります。このころの中国は科挙の制も行われ、漢詩や文学も隆盛であったのでしょう。士大夫の構造も随伴していたのでしょう。  自分は現行法規(労働法制)の解釈や福祉の場面で生活してきて、遠く思いをはせていたもの(世界)です。

  • merlionXX
  • ベストアンサー率48% (1930/4007)
回答No.1

わかるとこだけ・・・ 1.下総は「しもおさ」と聞えるでしょうが「しもうさ」です。 上総は「かずさ」です。もともとは「しもつふさ」「かみつふさ」で、都からの道順で「総(ふさ)」の国を分けたものです。 2.「道」は古来、中国の地方行政区画の制度で、それが朝鮮、日本に伝わったものです。 3.律令制で、畿内以外の諸国を大別した行政区画として、東海道・山陽道などを置きましたが、これは中国の地方行政区画制度にならったもので道路の意味はありません。(よく五街道と混同されますが時代が違うでしょ) なお、当時のその地域の一般の人々にとっては「道」は無縁のものと思われます。当時の人々の地域の意識はせいぜい近隣の村々まででしょう。

krya1998
質問者

お礼

   どうもありがとうございます。 1. 「しもふさ」の「ふ」が「う」にに訛伝したのでしょうね。   「総(ふさ)」の国があったのなら、「備後」、「備前」、そして「備 中」の場合などは、「吉備」の国をわけたものなのでしょうね。 2. 古来の中国の地方行政区画の制度としての、「道」は通行の「道」とは どういう関係があるのでしょうね。 ◎ ともかく、「道」には、通行の「道」のほかに、制度としての行政区画 の意味が、もともとあったのだということがよく分りました。しかもそれ が朝鮮が本家さんではなく、中国だと言うことも。ありがとう御座いまし た。でも中国でどんな風に、何時ごろ使われていたかが分りたいです。 ほんとうにありがとう御座いました。

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