寺子屋でも適塾とかいったものは寺子屋っていわないんじゃないでしょうか??
(いや、正確にはどうかわかりませんが)
中世において寺子屋は主に読み書きを教える場でした。
算術を教える寺子屋は少なかったそうです。
そして、寺子屋では読み書きを教えるだけで、
学者になりたい人とか行くのはもう一段階難しい寺子屋です。
寺子屋の授業料に関してですが
当時の社会などを見ていったらわかりますが、当時は村社会でした。
村全体がひとつの家族のようなものだと思っていいと思います。
なので授業料などはあったと思いますが、そんな高額でもなかったでしょうし、
寄付という形が多かったんじゃないでしょうか?
寺子屋ができた過程は、日本独特です。
西洋などで学校制度ができたのとはまったく違う過程を踏みました。
寺子屋ができた過程……
まず兵農分離にあります。
戦国時代までは兵士は平常時は農民で、戦争がおきると武士として働きました。
豊臣秀吉が刀狩、太閤検地を行うことによって武士と農民が区別されるようになりました。
そして武士は城下町へと集まります。
そして町と農村をつなぐために、農民であっても文字を知らなければいけなくなりました。
(農民の第一の義務は年貢を納めることなんで)
なので寺子屋ができました。
そして江戸時代に入り、戦乱の世とは違って人々は豊かになりました。
(飢饉はありましたが……)
当時の統計を見たらわかりますが
江戸の中期に出生率が低くなっています。
今の日本でもいえることですが、豊かになると、子供の数が減り、
一人の子供により高度な教育を受けさせるようになるのです。
そういった過程を経て寺子屋は普及していきました。
4)私学について……
近代に入り、公立の学校ができるとともに私学の学校もできました。
(慶応義塾などは明治にできていますし……)
ですが戦前、東大が東京帝国大学(?)であったような頃、
公立大学の授業料は高かったそうです。
なので教育における私立とは、公的な機関に属さない
独自の教育方法で子供を教育する現場です。
西洋などでは、公立の教育機関の質の悪さから
家庭教師をつけるような感覚で私立学校ができたんではないでしょうか?
日本の教育は西洋の真似事なんで、そんな深い意味はないと思いますよ。
お礼
大変、すばらしい回答ありがとうございました。私もこんなふうに語れる人になりたい(;_;)。 寺子屋のできる過程はちょっと私の想像していたものと違いました。私は適塾とかを想像していたのかも知れません。適塾とかを調べる必要がありますね。西洋の学校についても調べてみます。 また参考になる情報ありましたらお立ち寄り願います。