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寺子屋あるいは手習所のお師匠さん

寺子屋、東では手習所など呼ばれたそうですが、どんな人がお師匠さんになったのでしょうか。 また、寺子屋について書かれた本がありましたら教えて下さい。

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回答No.2

こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 >>寺子屋あるいは手習所のお師匠さん 起源としては、文字が表わす通り「お寺」のお坊さんでした。 つまり、「寺子屋」=「寺小屋」だったのです。 戦国時代などの番組で、武将の幼い時の様子が放映されたりしますが、大概は、お寺のお坊さんが師匠ですよね。また、学問の師と言うだけではなく、「軍師」も務めたりしました。 江戸時代に入っても、農村部では基本的には「お寺」でした。 江戸では庶民が約50万人、武士は軍事上の秘密から公表はされてはいませんが、町割り図などから推し量って、同じく50万人位。 つまり、江戸は100万人の、当時としては、世界一の大都市だったのです。 武士の子息の多くは、幕府が開いた「湯島大聖堂」の学問所に通いました。 また、庶民は、NO1.の方が言われるように「浪人」などから学びました。 武家の夫人は、男子に教えることは、ほとんどありませんでした。 ただし、自分の家の女子には教えたと思います。 商家では、番頭さんなどから習いました。 もちろん、お寺さんでも庶民の子どもたちに教えたりしました。 また、地方では、お寺さんの他にも、学問に熱心な領主(大名など)ですと、○○館などという学問所を開き、国学者と呼ばれるような人を呼び寄せて普及に努めていますよね。 そして、意外なことに、日本では、幕末にアメリカ人やイギリス人が上陸しましたが、本国への報告として、日本人の80%が「読み書き」ができる・・・と報告しています。 ちなみに、当時のイギリスでは、教育普及率20%、フランスにいたっては1.4%と言われています。 それが証拠に、江戸でも地方でもそうですが、新しい「お触れ」が出た時には、「札の辻」に高札が立てられましたが、ほとんどの庶民は、それを読むことができました。 また、江戸では「絵草子」や「瓦版」が飛ぶように売れたのも、ほとんどの人が「文字」の読み書きができたからです。 >>また、寺子屋について書かれた本がありましたら教えて下さい。 寺子屋の歴史等に関する本ではありませんが、寺子屋体験版としては、次の書籍など・・・。 http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=9979546867 http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=9977904960

buck
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回答ありがとうございます。

その他の回答 (3)

  • Pinhole-09
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回答No.4

地方では寺子屋ですが、江戸では手習いの師匠と言いました。 いつ頃かは判りませんが、江戸では師匠の数は本職、内職合わせて約千人いたといいます。 本職の師匠の多くは、浪人、儒者だそうです。   庶民だけでなく武家の子も習いました。 弟子は多い家では三百人もいたそうです。    弟子のなかで年長ですぐれた子(番頭)が年下の子を教えたといいます。 雷師匠と呼ばれた人がいたが、教え方は丁寧で慈母が子供を扱うようだったので、子を頼む親が実に多かったとの話もあります。 地方で坊さんの師匠が多いのに、江戸では浪人の師匠が多いのは、吉宗が奨励したためです。

buck
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

  • sijya
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回答No.3

大奥で御殿女中をしていた人が辞めた後 寺子屋の師匠になったりもしていたようです。 女性もいたようです。

buck
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

  • shin1417
  • ベストアンサー率27% (199/721)
回答No.1

寺子屋の先生と言えば、定番は浪人もしくはその夫人。 あの時代、まともに読み書き出来るのは武士階級、坊主、一部の商人位ですから。

buck
質問者

お礼

回答ありがとうございました。