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昔の偉い人と寺子屋

源頼朝や北条時宗や足利尊氏や足利義満は子供の頃は寺子屋でお勉強をしていたのでしょうか?どこでお勉強をしていたのですか?

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回答No.2

頼朝とかお偉いクラスの武士は ちゃんと勉強を教える先生が居た(今で言う家庭教師) 頼朝の場合は幼少期は配流されてたので 北条氏に監視されてて まぁその時に習ったはずです 戦国時代とかだと伊達政宗の師である虎斎和尚とか有名ですよね そういう人を城に招いて学問を教えていたのです 寺子屋制度は江戸時代に入ってからです 戦国までは庶民は勉強の必要はないとされて来た

回答No.1

「寺子屋」は江戸時代のものです。 平安時代の貴族や身分が高い子どもは寺で行儀見習いとして預けられること(稚児)もありましたが、武家貴族であった源頼朝はそういった記録はありません。 頼朝の弟の義経は鞍馬寺に預けられていたという話は有名です(天狗から武芸などを学んだという伝説があります)。 頼朝は河内源氏次期頭領として他所に通うことなく、邸宅の中で勉学と武芸鍛錬をしていたと考えられます。 鎌倉時代の学問所では「金沢文庫」が有名ですが、成立推定時期が北条時宗が成年後と思われるのでそこで学んだ可能性は低いです。 やはり邸宅で講師を呼んでの学習でしょう。 しかも7歳で元服、10歳で小侍所の別当に就任していますので、ほとんどは実地で学習しているものと考えられます。 成立時期は不明ですが平安時代初期から鎌倉時代にかけて成立された「足利学校」というものもありましたが、北条氏や足利氏などは利用していなかったようです。 足利学校を出て戦国武将に仕えた者がしばしばあったということから、身分が低い者の学校だと考えられます。 足利尊氏は二男で側室腹だったので、預けられていた可能性がありますが、記録にありません。 但し、家督を継いだ兄が早世してしまったため、やはり家庭学習かと。 義満は長男では無いものの嫡男として扱われましたが、情勢不安のため寺に避難し、その後赤松則祐の元に避難しそこで養育され、京都に帰還後斯波義将に養育されたとあります。 京都に戻っても赤松則祐との親交は続いていたそうです。

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