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神が創造した【人間】は神を裏切った。

ちょっと変わった質問内容になりますが、ちょっと考えたいことがあるので、ほかの方の意見が聞いてみたいです。 興味のない人や意味が分からない人はレスしないで、スルーして下さい。 人間は常に「悪」の部分と「善」の部分の両方が対立し合ってると思います(あくまで個人的思考です) しかし、人間は生まれたばかり(赤ん坊)の時は「悪」の部分は一切ないと思います。やはり育った環境や周りの影響によって生き方が変わっていくと思います。これは凄く興味深いと思います。 ここからは、とある「宗教」の教えを話します。 初め「人間」には「永遠の命」を神に約束されていました。初めは人間が死ぬことは一切ありませんでした。つまり現代の「死」というものは無かったのです。それが、当たり前だったのです。 初めに人間として作られたのは「アダム」でした。そして人間には、ほかの動物とは決定的に違う能力を授かってました。それは「考える能力」「物を作る能力」です。現代の人間が発達した力です。実は「動物」「植物」の名前も「アダム」が考えたものです。 その後、「神」は「アダム」の骨から「エバ」(女性)を作り出しました。初めは一種だった人間ですが、「エバ」が生まれた結果、人間には「男性」「女性」っという風に性別が生まれたのです。それと共に人間は「繁栄する力」を持てるようになりました。もちろん、「永遠の命」を授かってる人間ですから、このまま「繁栄」すれば素晴らしいことだったのです。 しかし、その頃「神の見使い」の中に悪事を働く「見使い」がいました。それが「サタン」です。今現在の世の中を悪化させてる本人です。 「永遠の命」を約束されていた人間にも、一つの守り事がありました。 それは、とある「木の実」を絶対に食べてはいけないっという約束でした。(これはエホバが人間を試していたのだと思う) しかし、「エバ」と「アダム」は蛇に化けた「サタン」の「嘘」を信じ、神の約束を破り食べてしまいました。 初めに「食べよう」と誘ったのは「エバ」でした。そこで「アダム」が留まれば、人間がこのようになることもなかったのに、二人は食べてしまい「楽園」から追放され、「永遠の命」を無くしてしまいました。 (この辺は過去の歴史にもありそうなことです。) そして、「神」を裏切った「サタン」は「地球(元は楽園だった)」に追放されました。 そして、歴史が流れ・・・今現在の世の中です。 「宗教」の話しをずっと話していきましたが、私はこの教えは正しいと思っています。信じる信じないと人それぞれです。 しかし、「神」の存在はどうしても信じてはいられないことがこの世の中には一杯あるのではないでしょうか? 宇宙、地球、人間、生物・・・。 これらが自然に出来たと到底思えません。色んな説が科学者達が話していますが、それは単に人間の「妄想」「逃げ」だと思います。 「神」の話や「アダム」「エバ」の話しも「人間の妄想の一つ」という風に思う人もいるでしょうが、人間の妄想では片付けられない真実も沢山目の前にあります。 それに、今の人間は物事を軽率に考えすぎだと私は思いました。世の中もドンドン悪くなる一方だし、人間は過去から全然学んでません。 戦争もなくならない。殺人もなくならない。差別もなくならない。 確かに人間には良い部分も沢山あります。しかし、愚かすぎます・・・。難しいと思いますが、皆さんはどうお考えでしょうか?「神」を信じる信じないだけではなく、色んな意見が聞きたいです。

みんなの回答

  • e2kyon
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回答No.20

”とある「宗教」”といいつつも神の名前を言ってしまいましたね。 >では、逆に質問ですが、「自分の思いにそぐわないもの」ばかり想像する神だったらどうでしょうか?神はそんなに心が小さい方ではありません。 あなたはなぜ神がアダムの罪を受け継いでいる人間を今まで生かしているのかご存じでしょう?サタンが神の神権に対して立ちはだかったから、つまり神がいなくても人間は生きていけるという問いかけをしたために、条件付きで人間をそそのかしてもいいことになったからですよね?言ってみれば私たち人類は神がいなくてもうまくやっていけるか、という実験台なんですよね?それでも神は人間を見捨ててはいない、と言われるかもしれませんが、私は神の王国での永遠の命の希望を与えられるより、アダムが罪を犯した時点で人間は滅びた方がよっぽど人間思いだったと思いますよ? >所詮人間が「神」のことを理解することすら無謀なのですよ。 神を理解することが無謀なら、真理を理解することも無謀ですね?? あなたに真理があることを証明できますか?ちっぽけな存在である人間の知ることができる範囲の事柄を証拠と呼んで、思い込んでいるだけなのではないですか? >「宇宙」や「地球」や「太陽系」が自然に出来たと本当に思いますか?なにかしらの偉大な力があると私は思います。 人間の科学では宇宙や生命の発生について証明できないことは事実です。 しかし、実際に現在宇宙や生命は存在している。 ここであなたはこの矛盾についての真実が知りたかった。 宇宙と生命が存在する、という結果が残っているわけですからその過程があるのは間違いないですからね。 ここであなたは「なにかしらの偉大な力がある」と感じられたわけです。 そこでその教えが言うように”神”という存在を持ち出してくるとすっきりしたのでこれが真実だと思いこんだんですね? これにおいてあなたの間違いは、世の中の出来事はすべて証明できる、と思っていることです。 昔、人々は地は大きな亀の上に乗っかっていて、海の水はその端から流れ出ている、と考えていたのはご存知ですね? 当時の人々は引力という存在を知らなかったので、”亀”という存在を持ち出してきた。納得できるように。 現に自分たちが地の上で生きているという結果があるわけですから、地の果てには何かがあるのは間違いないですから。 よく分からないのに、原因を探った結果が”亀”でした。 同じように、こういうことにすればいいのでは、として生まれた結果が”神”であるとおもいますよ。 太陽系についてもよく分かっていない人類が宇宙の歴史を語るなんて無理な話です。 >これらが自然に出来たと到底思えません。色んな説が科学者達が話していますが、それは単に人間の「妄想」「逃げ」だと思います。 その通りですよ。それと同じようにあなたの語る”神”は単に人間の「妄想」「逃げ」だと思います。 あなたの信じる教えは人間が真実だと思っている科学を否定することで、神の存在を強調しますが実は科学者もあなたも考えていることは同じです。 両者とも真実が知りたいんです。何も科学者たちは神を否定するために研究しているのではありません。試行錯誤を重ねて真実が知りたいのです。故に両者は対立してきた。 >戦争もなくならない。殺人もなくならない。差別もなくならない。 全体的に言えることですが、あなたは自分の望むことにはすべて答えがあると思っていませんか? 戦争や、殺人や、差別をなくす方法はきっとこの世のどこかに存在しているはずだ!と考えてたどり着いた先がエホバ神だったのではないですか? つまり、あなたの頭の中には”戦争や殺人や差別を失くしたい”という思いがあり心の中でそれに対する答えに希望を持っていた。”それをなくす方法がある”とさえ思っていたかもしれません。 世の中には人間の知識では説明できないことがあるのは事実ですが、科学(人類)を否定したからと言って神が正しい、というのは詭弁です。 人間には説明できないことを説明するための「なにかしらの偉大な力」が神であり、神が存在するのか、人間が作り出した空想なのかは議論が分かれますね。 まぁ、所詮神のことを理解するのが無謀なら説得力無いですよ。 人間に説明できない事柄の存在が、神の存在を肯定する証拠にはなりません。神の存在の証拠は消去法では不十分です。 最後に。私は神の存在も信じていませんが、科学が真理であるとも思っていません。仮定で成り立っている理論が非常に多いですし、あなたがおっしゃるように宇宙や生命の誕生について確信できる理論はでてきませんし。 では、何が真理なのか? 人間は真理を理解することができない、ということが正しいと思います。 誰にも真理が証明できないために”神”という存在が作り出されたのだと思っています。 これだけ多くの回答者さんがおられ、大変かとは思いますが短文でいいのでお礼くらいはしてくださいね^^;

  • pyutaz
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回答No.19

単なる思い込みですね。 この世には、善も悪も過去も未来もありません。 この世は良くも悪くもなっていません。 それは、頭の中にある想像や思い込みです。 良い悪いなど、人の想像に過ぎませんから、その人の立場によって、善悪が決まります。 真実などというものも、また同じです。 嘘も本当も、人間が決めるからこそ、存在するものであり、事象に嘘も本当もありません。 例えば、地球上で生まれた生物の99%は絶滅しています。 これは良いことですか、悪いことですか? 可哀想に思えなくはないが、それがなければ、人間は生まれてこなかった。 つまり、ただそうだった、というだけで、べつに良くも悪くもない。

  • magga
  • ベストアンサー率15% (56/359)
回答No.18

最初に「神」の定義ですが、もし「全知全能の神」が人間・世界を作ったなら全て「全知全能の神」のプログラム通りに動いている事でしょう。 なんせ全知全能ですから。責任は神にあることになってしまいます。 神に責任が無いといえば、全知全能の神が創ったことにはならなそうです。 全知全能じゃないといえば… とまぁ。「神」の話はおいておいて。 人間はなかなか事実を見ようとしないのは事実でしょう。欲・怒りの一瞬の甘味に魅了され、無知なことを繰り返してし、結果苦しみの渦に巻き込まれてしまう傾向は見ていてわかりますよね。悲しいですが。 個人が出来る事は自分自身の心を清め、怒り・欲・無知から脱却し、慈しみにあふれる人間になるより他に無いと思います。 人間は苦しみの渦に巻き込まれやすいのは事実ですから、無理にでも精進して怒り欲無知から離れるトレーニングをしなければならないと思います。 その過程でいろいろな人々の役に立つ事もできるでしょうし、周りの人達の心にも善い影響があることでしょう。しかも脱却した暁には死ぬまで人々の役に立てますよね。 自分を善い人間にするより先に他の生命を救わなくてはならないという人がいるかも知れませんが、苦しみの渦の中で混乱している人間の判断は成功するでしょうか?失敗するでしょうか? 心を清めていけば成功する確率は上がっていくと思いますよ。 と、要するに自分で管轄しているものを清めれば、自分の為にも他人のためにもなる。そしてそれしか方法は無いのでは? という意見を持っています。 参考になれば幸いです。 ~生きとし生けるものが幸せでありますように~

noname#49694
noname#49694
回答No.17

神が創造した【人間】は神を裏切った。 質問者:nobuaki20 ちょっと変わった質問内容になりますが、ちょっと考えたいことがあるので、ほかの方の意見が聞いてみたいです。 興味のない人や意味が分からない人はレスしないで、スルーして下さい。 人間は常に「悪」の部分と「善」の部分の両方が対立し合ってると思います(あくまで個人的思考です) しかし、人間は生まれたばかり(赤ん坊)の時は「悪」の部分は一切ないと思います。やはり育った環境や周りの影響によって生き方が変わっていくと思います。これは凄く興味深いと思います。  善悪という観点は少なくとも社会を認識するのには役にたちません。殺人は善か悪か?ここで、悪である!というと学問的にはバカ扱いされてしまうでしょう。たとえば、親が子のひどい暴力に耐えられず、子を刺殺したとしましょう。これはどうでしょう。あるいは子を殺された親が、犯罪者を報復殺人する。これはどうでしょう。  善と悪では社会を理解するのは困難であるというのがあります。  とはいえ、あくまで聖書的には正しいものであると思います。というのは善と悪というのは神かサタンかだからです。神からくるものはすべて善であり、サタンからくるものはすべて悪であるということです。  聖書的には生まれた瞬間から私たちは罪があります。子供が4歳になって、誰も教えていないのに嘘をつきます。これは罪の性質がすでにあるとされているからです。  ただ少なくとも神は、聖書的には差別も殺人も戦争もなくすつもりはありません。もちろん終わりの時代までの話です。最後までこれらは続くことが聖書からは明らかに示されています。  しかし最後にはあらゆる悪はすべて滅ぼされます。  未信者も、サタンも、偽信者も・・・差別、殺人、戦争、争い、葛藤も終わらされます。

  • jckl
  • ベストアンサー率42% (204/476)
回答No.16

NO.2です 私は最初の書き込みに申し上げました。 ここに書かれる事を予測して 「こういう場で、あなたが求める答えは無いと覚悟して記入していますか?」 皆さんそれぞれ真剣に書き込んで下さっています。 しかし、あなたは無しの礫で放置しています。 丸2週間経ちました。 ご事情で返事が出来ないとしても手段はいくらでも有ります。 あなたの信仰はその程度なのでしょうか? 今のあなたのこの質問に対する対応は正しいと言えますか? 信仰の価値を下げる結果になり兼ねない事は避けるべきです。 一つずつにきちんと返事を記入し、質問を締め切るのがあなたのすべき事です。 毎回返事を記入し考査するのであれば、更なる返事も期待出来るでしょう。 しかし、これでは真剣に考えた方達を愚弄するに等しいですね。 神を語る前にご自身を見つめ直して下さい。 最後に、 人の我が侭や身勝手が、争いを招き、落胆と後悔を誘引し、差別感を植えつけます。 互いを尊敬し、礼儀を持てば、何ん人も感謝と、尊重をします。 健やかなる時を大切に!

  • masa2323
  • ベストアンサー率100% (1/1)
回答No.15

 わたしはクリスチャンです。 神の創造、人間の追放。そして今までの歴史はその後だと信じてます。  人間は悲しいほど罪に汚れてしまっています。もうちろん生まれたての子供であっても。  nobuakiさんのおっしゃるとうり、今後ますます世の中は悪くなっていくでしょう。戦争、いじめ、殺人、地球温暖化。。すべては一人一人の自己中心の結果でしょう。そして人間は自分たちの自己中心を自分で処理、コントロールすることができない。  自分の生活習慣の一つでもとって考えてみてください。「自分のここをこうしたいな」と思うことを。それを改善することができるでしょうか?   

noname#30933
noname#30933
回答No.14

でも、アウストラロピテクス的な原人から進化してきたんじゃないんですか?後、{それは単に人間の「妄想」「逃げ」だと思います。}すいませんこの部分がよくわかりません。「妄想」はなんとなく分かりますが、「逃げ」は、むしろ神が造ったと考える方が「逃げ」だと思いますが。

noname#80116
noname#80116
回答No.13

《絶対》の問題だと思います。 人間は 絶対の存在ではないという意味です。 そうすると 人間が《絶対》に対してどういう関係にあるかという問題になります。 絶対とは 人間が考えても 分からないことです。分かるか分からないかが 分からないことがらです。 したがって それに対する人間の態度は 《考える》以外の精神および身体のあり方ということになります。一般にこの態度を 《信じる》と言います。 従って 《絶対》に対する人間の関係としての《信じる》には その絶対の存在を《信じる》場合と《信じない つまり 信じないと信じる》場合とがあります。 仮りに《絶対》を《神》と表わすなら 有神論と無神論とです。どちらも じつは 信仰なのです。神は存在すると信じる場合と 存在しないと信じる場合とです。 善悪の問題は つぎのように考えられます。 絶対の存在 もしくは 絶対との関係にある人間の存在 これを善と規定することから始まります。生命のことと言ってもよいはづです。 したがって 存在あるいは生命 これを保持し――主観的にせよ――良く保つことは 善です。人間の社会的な行為なり人間どうしの関係なり そのような領域においても 互いの存在と生命とその保持・向上となることは 善です。 ところで 人間は 相対的で時間的にして有限な存在です。精神・知性にも 限りがあります。したがって この上に見た《善》という事柄を まちがって捉えることもあれば その善じたいを わざと 失おうとすることさえありえます。 《善》が欠けた状態 これが 《悪》です。《悪》が初めにあるのではなく はじめの存在とその能力などを まちがって使ったり 捨てたりすることが 悪だと考えられます。絶対の善ではないから そのようなまちがいが生じます。 このあたりで留めます。 ちなみに 赤ん坊の状態については こう考えられます。つまり 悪には陥っていない善なる存在であるだろうが 悪に陥る可能性を 残念ながら当然のように 持っているのだと。

  • 1katyan
  • ベストアンサー率18% (147/800)
回答No.12

宗教と言うのはその信仰を持っているものだけが持っているもの >戦争もなくならない。殺人もなくならない。差別もなくならない と言うのはまた別のもの  信じ方が違えばまた話もかわります。別の話を一つにして考えるのはやめましょう。 人が生きている限り何らかのトラブルはありますから

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.11

>確かに人間には良い部分も沢山あります。しかし、愚かすぎます・・・。 >難しいと思いますが、皆さんはどうお考えでしょうか? 賢い部分もあるが、愚かな部分もある。 あなたが考える印象と現実は一致しており、それは事実だと思います。 アブラム。 彼は人類最古の文明が発生したメソポタミアのウル(現在のイラクの南部)の出身。 軍隊が遠征するとき同行していた商人。 ある時、啓示を受けH(神聖)がついてアブラハムとなりカナン(ヨルダン川西岸)に移住。 彼らの集団は川向こうから来た人という意味のヘブライ人と呼ばれた。 その後エジプトに移動して王の寵愛を受けるが、妹といつわった妻がエジプトの王の妻となったとき、神はアブラハムにではなくエジプトに怒り災害をもたらした。 王は災をアブラハムの神の怒りだと思い、二人に金銀財宝を与えエジプトから離れてもらった。 エジプト王から巨万の富を得た商人アブラハムはカナンに戻った。 このアブラハムが12支族の長。 しかし、ユダヤ人と一般に呼ばれる人たちは12支族ではなく、12支族+1族。 アブラハムの系図は地上の民、つまり人の子と呼ばれた。 対して+1族は天の子 つまり神の子と呼ばれた。 この神の子が築いた宗教がユダヤ教。 いつ起こったのか。 成立は紀元1世紀ですが、創世記が作られた時代は、バビロン捕囚(紀元前597年)の時ではないかと言われている。 バビロン捕囚は、ネブカドネザル王がエルサレム市街に入城し、王と妻子たち など有力者をバビロンに連れて行ったというもの。 絶対的な権力を持っていた人たちが、バビロンで他国により支配されるという情況になったわけです。 プライドが許せません。 そして起こったのが「私達は神から唯一選ばれた民である」という思想。 「神が我々を救い出してくれる。何故なら我々は選ばれたエリートなのだから」 ここで 差 というものを強く意識したわけですよね。 ユダヤ教では神の名をみだりに唱えてはならないので、神をさす時、わが主という意味のエルという言葉を使う。 だが、それより前から使われていた語でもある。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AB 【彼はまた神々の会議を招集し議長を務め、また神々の王を指名しまた自由に罷免する権限を持つ。 しかし年老いた神ともされ、事実上の主神はむしろバアルである。】 新しい王が権力の座につくとき、新しい王は古い王を殺し、古い王が新しい王として再生するというストーリー。 似たような話がある。 バアルは新しい神という概念があったが、キリスト教ではバアルは悪魔となっている。 人間による神殺しなわけです。 nobuaki20様が書いた創世記の話し以外に、いくつか創世記の別バージョンを知っています。 イヴの聖書の中の添え名である「あらゆる生物の母」は、カーリー・マーの添え名。 インドではイヴはシヴァとかイエヴァとも言われていた。 あらゆる現象を創造する女神だった。 アッシリアの聖典では、母ー子宮、運命の創造女神という添え名が与えられていた。 この女神は粘土から男女の人間を創造した。 女神は「対で人間を感性した」とも言われた。 聖書の2つの創造神話のうち、最初のものは、このアッシリアの話を載せている。 ただし、「彼女」を「彼」に変えている。 イヴのタントラの名前の一つはアディタ・エヴァ、すなわち「初めの初め」だった・ 北バビロンでは、イヴは「エデンの天女」、あるいは「生命の木の女神」として知られていた。 アッシリア人はイヴをニネヴァ「神聖なイヴの奥方」と呼んだ。 この女性にちなんで、アッシリアの首都は名前がつけられた。 もともと神は創造という属性を持っていると思われたので、女の概念があったようだが、いつのまにか神は「彼」になっている。 そしてこんな話まで出てきた。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8A%E6%9B%B8 女神の名前を持つ名前の都市が、滅ぼされかかったのを男であるヨナが救ってやった という話。 一体何が起こってこういうストーリーになったのだろうと興味深いものがあります。 別の創世記の話では、傲慢な主人に楽園だと偽りその農場で働かされていた人間に対し、真実の目を開かせた蛇という話がある。 人間は真実の情報を知らされ、目が開き、自分たちがなんと愚かだったことか、今まで幸福だと思っていたのは偽りだったのか、と悲しみに浸る。 幻影を破られた主人は、奴隷を農場から追放し、情報を与えた蛇を呪った、とある。 つまり、永延の命があるからと偽りによって働かされていた人間の悲劇。 (現在でも永延の命が入るから全財産を寄付しないと救われないと布教する宗教がありますし、(新約聖書にも同じことが書かれていて、全財産を寄付しなかった信者が殺害されたという記録が聖書に残っています。)、無償労働をするほど天国にいけると労働力に対する対価を払わず、信者を騙してこきつかう宗教がありますよね。) グノーシスでは、アダムとイヴをこき使っていた神は低俗の神で、本当の神は別にいるとしています。 ユダヤ教の神を表す文字 YHWH。 yod-he-vau-heは「生命」と「女」を意味するヘブル語の語源HWHじからきていて、ラテン語にするとE-V-Eとなる。 I(yod)を加えると、創造の「言葉」として、女神自分自身を呪文に使ったことになる。 これはエジプトやその他の古代国家ではよく見られる考え方だった。 アダムは神によって作られたのではなく、イヴの言葉の力によって作られたとグノーシス聖書には書いてある。 イヴはアダムに「生きなさい。大地から立ちあがるのです」と言い、イヴが言うとイヴの言葉は直ちに実現された、となっているそうです。 アダムはイヴを見て「あなたは万物の母と呼ばれているのでしょう。あなたは私に生命を与えてくれたのですから」と言ったそうです。 アダムは男性神によって課せられた無知を、イヴを通して乗り越えることができた。 だが、聖書の考え方は、それまであった神話を逆転させたものだった。 男の子供は神から女を通して与えられると信じられていた。 従って産んだ親はその子と一切関係が無いと信じられていた。 その当時の哲学者が悩んだのは、「では男の子供だから当然男が生まれるはずなのに、何故女が生まれるのだ」ということだった。 それでそれは女ではなく、神に呪われた男のなりそこないだと思われた。 女に生まれたことも、伝染病にかかったことも、神からの呪いだと信じられていたわけです。 そして、子供ができない男も神から呪われていると信じられていた。 子沢山は神から祝福された証だと信じられていた。 ここでも 差 というものを人間が強く意識したと思えるふしがありますよね。 シラの子イエスの知恵の書では、「悪は女(イヴ)から始まり、イヴのせいで、私達は全て死ぬことになった」と書いてあるそうです。 エノク書では、イヴの犯した罪に対して全人類を罰するために、神が死を作ったと書かれているそうです。 テモテの第一手紙には「アダムは惑わされなかったが、女は惑わされて、過ちを犯した」と書いてあるそうです。 聖書編纂にも参加したテルトゥリアヌス、彼は女性信者に対してこう言ったそうです。 「あなたたちは、自分達がイヴであることを知らないのか。あなたたち女性に与えられた神の刑は、この時代にも生きている。罪も必然的に生きている。あなたがた女は悪魔の入り口である。 神の掟を最初に捨てた人である。 悪魔が攻撃する勇気を持てなった男を、あなたは説き伏せた人である。あなたがたはあまりにも簡単に、神の似姿、つまり人間を破滅させた。 あなたがたの罰ーつんわち、死ーのせいで、神は御子まで死ななければならなかった」 どうしてここまで狂った思想がまかり通ってしまったのか。 後にこの恐怖による奴隷支配思想が、異端審問へと発展し、中世の魔女裁判へと発展していって、人の奥に潜むねたみを呼び起こし、殺人を正当化するに至る時代ができてしまった。 流れていくと、その書かれた創世記の話のパスを辿ったものは、全人類にある差を強く意識させ、殺人を引き起こすようになるとしか思えないんですよね。 聖書の創世記は、バビロン捕囚の時、祭司達が捕囚先の神話を元に作ったと思えます。 捕囚された祭祀たちの中には捕囚先で冷遇されていたのではなく、結構上の地位まで上った人もいたそうです。 だから、解放後もカナンに戻らなかった。 だが、戻った人たちは、そのもらった神話の神を悪魔と摩り替えてしまったのだと思えます。 カナンに戻った理由は、捕囚先で知恵により上位に上って地位を築けなかった人たちだと思うんですね。 ここでも差がでていて、嫉妬がひき起こった。 嫉妬から神を悪魔にかえてしまった。 >確かに人間には良い部分も沢山あります。しかし、愚かすぎます・・・。 愚かすぎるというより、頑固だし嫉妬をする生き物だからだと思います。 個々が違うように、どうしても差というものはできます。 相手と自分の差を知ったとき、個性と受け止めるか、ズルい と嫉妬するか。 差別はよくないから差を無くそうとしても、無理ですよね。 差が無くなったら、全員 同じ名前 同じ顔 同じ思想、同じ 同じ 同じ。 全部で何人? 全部で一人ですよね。 差があることが苦しいのではなく、その差を許せないと思うとき、苦が発生する。 でも、差が無いとひとりぼっちになりますよね。 新世紀エヴァンゲリオンでは、世界が崩壊して一つになってしまったんですね。 永延の至福 それが死によって得られると長老たちは考え、人類補完計画を行った。 ゲンドウの場合の人類補完計画は、全人類がたった一つになることで至福に入れるとしたようなんです。 宗教もそうですよね。 バラバラの思想をたった一つに全員を統一してしまおうとするもの。 そうすれば、差はなくなり 争いもなくなり 発展もなくなり 全てが止まる  これぞまさに永延の死 違った 永延の命だと考えたんじゃないかと思います。 全人類をたった一つの思想に塗り替えてしまえ! 無理です。 だって、人間がどうあがいても差というものは消せないから。 全人類がたった一人になったとき、それは実現します。 では、宗教で塗り替えても一つにならないのなら、地球を破壊するのか。 エヴァギャリのシンジのように「みんな死んでしまえ 自分も死んでしまえ」でいいのか。 シンジは破壊を引き起こしたことで、この世でたった一人になってしまったんですね。 永延の至福に入れたか? 「きずつけられてもいいから他者が欲しい」と願った。 そして他者が出現した。 シンジはその他者の首を絞めた。 閉めながらシンジは激しく泣いた。 それを見た他者は「きもちわるい」と言った。 繰り返しですね。 過去にあったことは未来でもある。 神の概念もそうです。 過去にあって現在にあって未来にあるものが神。 なんら変わらないんです。 そして人間はなんら変わらないことに気づかない愚かさがある。 ただ、愚かだったということは、到達しないと愚かだったかどうか判断ができない。 従って同じことを繰り返すわけですよね。 だから古代の現代にも争いは起こるわけです。 未来もずっと 永延に 人間が地球上にいるかぎり、共食いをし続ける。 この無限ループを断ち切ろうと考え出されたのが、仏教だったのではないかと思います。 (尚 神話の話の内容は、神話・伝承辞典から抜粋しました。 http://www.amazon.co.jp/%E7%A5%9E%E8%A9%B1%E3%83%BB%E4%BC%9D%E6%89%BF%E4%BA%8B%E5%85%B8%E2%80%95%E5%A4%B1%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%9F%E5%A5%B3%E7%A5%9E%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AE%E5%BE%A9%E6%A8%A9-%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%A9-%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC/dp/4469012203 )