ユダヤ教にも、宗派によって原罪を規定しているところはあるようです。
原罪のイメージは、旧約聖書(ユダヤ教では『Tanakh(タナク、タナーク、タナハ、タナッハ)』と呼び、「旧約聖書」とはキリスト教での呼び方)の「アダムとイブの物語」に由来します。
神の命令を聞かずに、知恵の実を食べたことが「罪」とされ、アダムとイブの子孫である我々人間は、この「罪」の影響を未だに受けていると考えられています。
因みに、アダムとイブをそそのかした蛇について、キリスト教はサタンであると考え、ユダヤ教はサタンとは考えないようです。
どちらにせよ、人間は自由意志を不正に行使し、神の信頼を裏切った。
この行為により、人類の一体性から全ての人間は「原罪」を背負うことになった。・・・とが、原罪の意味です。
ユダヤ教では上記の自由意志を行使したのは、あくまでも人間でありサタンの誘惑は無かったとします。
また、それ以前のアダムとイブは不完全な人間であり、自由意志の行使によって完全な人間になったとし、神はそれを望んでいたと考えます。
ユダヤ教では、キリスト教ほど重要な意味ではなく、戒め程度であると考えているようです。
一方、キリスト教では、悪の誘惑に負け、不正に自由意志を行使した事によって、自らを貶める結果となった。
それによって、完全な聖である神との密接な関係を断ってしまったと考えます。
そして、人類はその罪を生まれながらに背負うことになります。
イエス・キリストは、神に対して生まれながらに人間に代わり、人間の「原罪」を自ら引きうけて、人間のために死んだと考えられています。
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