キリスト教の起源は?と遡っていくと、死海文書に手がかりがありそうなんですね。
それを保有していたのがクムラン宗団で、宗規には「神が命じ給いたる全き道に歩む会衆の聖なる会議に入らんとする全ての者、その者にして公然たると隠然たるを問わず、モーセの律法の一字一句たりとも犯すあらば、・・・・共同体の会議より追放し、永久に戻すべからず。また聖なる者、金銭の問題において彼と関わるべからず。またいかなる事柄にしても彼に近づくべからず」と書いてあります。
パウロは最初、イエスの弟子たちの集団を迫害していましたが、改心し入信しました。
ところが、彼は後に追放されてしまいました。
一体どうしてイエスの思想を受け継ぐ集団から破門され追放されてしまったのか。
パウロは律法の完全な否定、神が民に与えたトーラを無価値としトーラを遵守することなく、「人間には原罪があり、信仰のみによって救われる これこそ<もっとも重要なことである> としました。 そして自分の神学を<神との新しい契約である>と勝手にしてしまったのです。
パウロは、もっとも力を持ち民から尊敬されていたヤコブの殺害を謀りました。
失敗すると、どうやら同じヘロデオン系の祭司を使ってヤコブに冤罪を着せ、民衆が生命をかけて嘆願しましたが無視し、殺させたようなのです。
ヤコブはパウロに襲われたときは両足を骨折しましたが、それでは死ななかったので、冤罪を着せて宗教的な処刑の石打ちの刑になるように工作したわけです。
死海文書には義の教師と悪の祭司について書かれており、悪の祭司が律法をあざ笑い、義の教師を殺すとかかれている。
パウロは<律法の背教者、イエスの教えを歪める者>と言われていたことが、文書に残っている。
パウロのダマスカスでイエスの会って改心したとなった出来事は、「悪魔によって吹き込まれた夢、幻覚」とされました。
これほどイエスの思想を受け継ぐ集団を弾圧し、自ら頂点に立とうとした野望の正体とはなにか?
私にはわかりかねます。
神からの神託とされたトーラを全て否定し、自分の思想を新しい契約だとし、「全ての人間には原罪があり、全て地獄に落ちるが、自分の信仰のみが人々を救える」と自分を神としてしまったパウロ。
その死の神のパウロを神だと崇拝しているのが信者なので、当然虐殺や侵略の歴史にならざるを得ないわけです。
イエスは全ての人に原罪があるなど言っていない。
言ったのはパウロ。
それを脅しとして使い人々を奴隷化していたのはパウロ。
イエスの教えを捻じ曲げたのはパウロ。
そしてイエスを信じず、イエスの声を聞き分けることができなくて、神はパウロと同一だとしてパウロにすがれば地獄行きが免れるとパウロと交わり(姦淫)してしまったのが、、、、、なわけです。
パウロを神とする人は、イエスの声を聞き分けることができなかったので、「原罪によりみんな地獄行きだ。 自分を信じれば助けてやってもいいぞ」という脅しをするようになったわけです。
親にしてこの子あり。
父親が子供を生むとはそういうことです。
父親と同じ思想に子供が育てれば、父が子を産む となる。これが古代に考えられていた父親の出産の概念です。
従ってパウロの子たちがキリスト教徒なわけで、遺伝といえば遺伝。
パウロのよって育てられ同一となったので、キリスト教徒はパウロの子たちなわけです。
進学者の中にはパウロ理解にエネルギーを注ぎ、彼の言いたいことを理解したときパウロ的な思想を述べることができるようになり、空から「これぞ私の子、私の義にかなうもの」とパウロの声が聞こえ、それがイエスだと錯覚したかもしれません。
声を聞き分けられなかった結果がこうです。
イエスの声を聞き分けることができた人はパウロ教には入信していない。
イエスの声に従って、イエスの思想とおりに育ったのでイエスの子なわけです。
イエスの子たちがどう呼ばれているのかはわかりません。
おそらくアポクリファ的に表に決して出ない集団だと思えます。
ましてや募集を募って信者を増やそうなんてするはずがない。
信者を募集している宗教はまず、偽ものであると思っていいと思います。
入会の入り口すら誰も知らず、叡智を持って探さなければ入り口すらたどりつけない。
それが真の宗教の入り口だと思います。
入り口にたどり着いたとしても、「行きはよいよい帰りは怖い」
パウロのように多くの人が自ら傲慢になり、堕ちていく。
そうなると破門ですが、五体満足で破門されるわけじゃあないようです。
どうなるのかはわかりません。
真理を望み自らの強欲に溺れた末路は哀れ。
大量虐殺の神となる。
だからイエスはラクダが穴を通るほうが簡単だと言ったわけです。
ちなみにラクダとは階級の事。
卒業前の人はラクダと呼ばれる階級になる。
針の穴を通る=卒業 つまりマスターするのは非常に難しいってことです。
だから行きはよいよい帰りは怖い。
パウロがどこまでの地位に登ったのか知りませんが、トーラの否定をしたことから、下っ端中の下っ端で、真理のシの字も知らぬまま破門されたと思えます。
その彼の神学をいくら学んだところで、下っ端中の下っ端のさらに下っ端でしかなく、方向が全くイエスと正反対なので、イエスからどんどん離れて虐殺・略奪に向かうしかなくなってしまったわけです。
イエスが生命の樹とするなら、パウロは逆の死の樹。
パウロの樹を辿ったものは地獄界に行くしかない。
それは死後行くところではなく、生きていながら既にいるところ。
主人の声を聞き分けることができなかった結果なので、最後の審判は既に下されており、その本質通りの世界の住民に既になっているわけです。
布教を神が自分に貸せた仕事だと思い、地獄に落ちるのを救ってやっているのだと恩着せがましく言うようになり、金を無心し、ボランティアをやっていると広告を派手に打ちながら裏で虐殺をするようになる。
地獄の住民とはこのようなものです。
そしてそれは私独自の架空の話ではなく、既に歴史がそれを証明している。
これが原罪であり(パウロとイエスの声の違いを聞き分ける能力を生まれながらに持っていなかった) これが地獄の住民の有様です。
お礼
ありがとうございました。