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一神教と多神教は平和共存できるでしょうか。
世界を見渡せば、啓示・啓典の民(ユダヤ・イスラム・キリスト教徒)における神(一神教の神)と、神道や仏教(多神教)における神仏とが対立しているように思われます。 これらはどうしたら平和共存できるでしょうか。
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教義どおりに考えれば、多神教は一神教から見れば偶像崇拝者ですから排除すべきものです。 しかし、どのような勢力であれ、多かれ少なかれ世俗化しています。世俗的な利害関係を無視はできません。利害が一致すれば、共存関係は成立するでしょう。 もっとも共存しやすいのは、共通の敵を作ることです。
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- fountainofs
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宗教は、理論的にはイデオロギーの一種です。 ご質問の文章は、宗教イデオロギーの共存が可能か?という問いなのか、 異なる宗教イデオロギーを奉ずる人間の間で共存が可能か?という問いなのか、 やや曖昧です。 また、何をもって平和共存というのかも。 宗教(教義、イデオロギー)については、すべての宗教が他の宗教も正しいのだと互いに受け入れ合うという意味での、教義上の完全な共存は、ありえません。 ある宗教の指導者が、他宗教とも共存しなければならないという宣言を出すこと程度なら、可能です。これは教義を現実社会における平和のために妥協させるということです。 信徒については、もともと大半の人間は宗教だけで行動を決めるのではないですから、異なる宗教の信徒の平和共存は可能です。世界のほとんどの場所でそうして共存しているではありませんか。日本でもみんな共存してます。 また、現実世界で紛争・戦争が無いことを平和共存というなら、現在も、仏教対キリスト教や、儒教対イスラムで、宗教を理由とした戦争は起きていないですから、すでにその意味では宗教間の平和共存はおおむね実現しているとも言えますね。別に一神教と多神教が世界的に対立しているという現実はないですよ。 (現在の世界情勢では、たんにイスラムという一つの宗教が急に先鋭化して他の価値観と衝突が目立つようになっている、それだけです。) まとめると、 ・異なる宗教の教義が互いを完全に認め合うことはありえません。 ・異なる宗教の信徒同士が平和共存するのは可能だし、普通にあちこちで行われています。
お礼
漠然とした質問の仕方で失礼いたしました。詳しく回答して下さりまして、ありがとうございます。
- SCNK
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#2です。 まず#6の回答には私も基本的に近いですね。ただし民族というのは文化的な区分なので、宗教がことなれば民族性の違いとも言える場合もあるので厳密な区別は困難でしょう。いずれにせよ宗教の対立が戦争の主因になったことはウエストファリア体制により主権国家が形成されてからは少ないかもしれません。しかし、宗教が戦争を終わり難くしていることは言えるでしょう。 共通の敵のことですが、まあ宇宙人が現れれば、それも一つでしょう。従来の歴史のなかでは共産主義が共通の敵として大きな意味を持ちました。冷戦時代においては宗教対立は、それ程表面化していません。共産主義は神及び神々の存在そのものを否定していました。(マルクス及びレーニンが神だったのかも。)
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ありがとうございます。
- yuhkoh
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宗教紛争といっても内実は、教義が異なるという対立よりも、民族対立が原因ですから、「一神教と多神教は平和共存」することはできても、それを信仰する民族が平和共存できるかどうかは別問題でしょうね(つまり同じ宗教を信じていても、対立する民族なら紛争は起きるし、異宗教でも対立しない民族同士なら互いに不干渉でしょう)。 『軍事板常見問題』より http://mltr.e-city.tv/index02.html 「総記FAQ」から 【質問】冷戦後に宗教紛争が多発している根本的原因は? 【回答】個々の紛争の歴史や経緯を辿ってみると、宗教が決定的原因ではないことが分かります。 宗教に起因しているかのように見える紛争も実は、民族やエスニック・グループといった、言語や文化、歴史などが異なる集団が、支配と被支配という垂直的関係を打ち破ろうとしたり、領土を含めた資源の配分を巡る対立が、武力衝突に発展しているケースが殆どです。 冷戦構造は、こういった紛争が表面化することの妨げとなっていたのですが、東西対立の重石がなくなった結果、かえって90年代以降、紛争が多発し始めたのです。 しかしもちろん、宗教色が全くないという紛争はありえませんし、その宗教色が強まると、対立が激化することも事実です。 一つの要因は、宗教が信徒達の帰属意識をより強固にし、「我々」と「彼ら」という集団間の違いを、それぞれのメンバーにはっきり意識させることです。 何かの原因で対立が生じた場合、宗教・宗派の違いは、「味方」と「敵」を区別する重要な指標になってしまいます。 宗教が対立を激化させる、もう一つの要因は、イスラームが「神への絶対的帰依」を意味するように、宗教が信徒に完全な忠誠心やコミットメントを求めることです。 「神の御名において」というフレーズは、人々の心を駆り立てる決定的な原動力になる場合が多く、それはまた、殉教や暴力といった、宗教が持つ側面に大いに関係しています。 イスラームに限らず、殆どの宗教は殉教という概念を持っていますし、神の名において暴力を容認し、時には煽ってきたわけです。 政治が、人々の支持を掻き立てて一つの方向に持っていくために、宗教的シンボルを利用している側面も、見落としてはなりません。 戦前の日本は「神州」であり、戦死者は「英霊」としてまつられるという国家神道の世界でした。 宗教が紛争を引き起こしているのではありません。 ただ、宗教が対立を激化させているのは事実であり、当事者が宗教を利用しているというのが現実なのです。 (立山良司〔中東現代政治専門家〕 from 「『新しい戦争』を知るための60のQ&A」、新潮社、001/11/15、 p。158-160、抜粋要約)
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ありがとうございます。
- teinen
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私は,一神教の神と多神教の神仏とが対立しているようには思えないのですが。 一神教を信仰する民と多神教を信仰する民が対立しているかといえば,そうでもないように思います。 どちらかと言うと,一神教を信仰する民同士が対立しているのではないでしょうか。 キリスト教・イスラム教・ユダヤ教は一神教ですが,その信仰の対象である神は同一です。同じ神を信仰しているにもかかわらず,教義が異なることから対立が生じています。 一神教では,全知全能の神が居て,その神を信仰しています。 対して,多神教には,全知全能の神がおらず,それぞれ専門分野の神が居ます。農耕の神や学問の神や病気平癒の神といった具合です。 多神教を信仰する民は,一神教の神の存在を否定しません。たくさん居る神の1人と捉えることができるからです。これに比べ,一神教を信仰する民は,多神教の神を許容することができません。 ですので,一神教と多神教のいずれが歩み寄る必要があるかは,明白だと思います。
お礼
ありがとうございます。
- kensan39
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出来ないでしょうね でも日本では一神教は あまり信用されません それは自然が過酷だからです 多神教は自然を神と思っています これでないと生きては行けないのです 一神教は死者の神としての存在しか無いのです 人が殺し合っている所を自然には平和なのです インドネシア地震みたいなのが頻発すると 戦争する暇も無くなるのです
お礼
ありがとうございます。
- nacam
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状況によりけりでしょう。 現在の日本では、共存しているといえます。 相互に干渉しなければ、可能だと思います。 現在では、一神教どうしの共存の方が、難しくなってきています。 キリスト教原理主義者とイスラム原理主義、ユダヤ教の保守派の対立が、今後益々深刻になると思われます。 一神教の中でも、キリスト教は、二元論的性格を内在しています。 さらに、多神教的要素も含んでおりますから、現在の状況であれば、福音派以外のキリスト教とは、十分可能だと思っております。 特に「カトリック」や「長老派」、「ルーテル派」、イスラムから分離した「バハイ教」とは共存可能だと思っています。
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ありがとうございます。
難しいと思いますけど? 一神教は他宗教の存在を認めていません。 ちなみにイスラム教が狂信的なんて言われていますけどキリスト教もどっこいどっこいです。 (旧約聖書での他宗教教徒への恨み辛みははゾッとするくらい) 実際、宗教関係(根本とか根底まで入れると)の対立が無ければ世界の戦争の最低1/3は無くせる位です。
お礼
ありがとうございます。
お礼
ありがとうございます。 共通の敵とは例えば宇宙人でしょうか。スティーブン・スピルバーグ監督の映画「宇宙戦争」は、何を問いかけるでしょうか。