• ベストアンサー

東海道新幹線

新幹線について質問させて下さい。 東海道新幹線は東京オリンピックの頃開通したということですが、当時も当時の運賃は(物価を考慮して)今と同じくらいだったのでしょうか?それとも、市民には高額だったのでしょうか。 開通当時は目新しさから一度は乗ってみたいと人々が殺到したのではないかと思いますが、なかなか予約が取れない状況だったのでしょうか。 開通当時の駅数は(新駅は除いても)今のように多かったのでしょうか? それとも、東京、新横、名古屋、京都、大坂といった主要駅にしか停まらなかったのでしょうか。 新幹線が開通する以前は、東京の人が大阪に出張する場合には飛行機かブルートレインを使っていたのでしょうか。 開通当時と今とで、何か大きな相違点などはあったのでしょうか。 ご教示賜れれば幸甚です。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • m-twingo
  • ベストアンサー率41% (1384/3341)
回答No.2

開業当時、私は名古屋に住んでいて、開業直後に 父親と新幹線に乗り東京へ行った記憶があります。 当時新幹線は私達子供の憧れでしたから、 実際に乗る何日も前から友達に「新幹線に乗る」と吹いて回り、 羨望と嫉妬の眼差しを受けた思い出があります。 当時新幹線の料金は一般庶民には高嶺の花でした。 一般の人たちが東京、大阪間を移動するのは主に東海道本線を 走っている夜行の急行や、151系特急電車を使った「こだま」等を 利用していました。 ですから今のように乗車率は高くなかったと思います。 実際私の記憶でもさほど混んでいなかったです。 新幹線が本格的に庶民に利用されるようになってきたのは、 1970年の大阪万博の頃からです。 それ以降は、大型連休には今も続く乗車率200%と言った混雑が 起きるようになってきました。 開業当時の東海道新幹線の駅は、#1の回答者さんがのべれられて いるように、東京、新横浜、小田原、熱海、三島、静岡、浜松、豊橋、 名古屋。岐阜羽島、米原、京都、新大阪の13駅です。 そして「こだま」は全ての駅に停車、「ひかり」は東京、名古屋、京都、 新大阪のみの停車です。 逸話として面白いのは、静岡、浜松間の掛川ですが、開業当初から国鉄が 駅を作る計画があったのですが、当時の掛川市議会(だったか当時の市長) がそんな列車の駅が出来ると街が騒がしくなると言って拒否したため、 結果として開業当初には掛川駅は作られませんでした。 ですから、掛川駅が作られる前は静岡、浜松間が新幹線の駅間距離が 一番長かったのです。 また、最初から駅を作る計画があったので、東海道本線掛川駅の前後は 新幹線の線路が密接して走っているのです。

noname#30350
質問者

お礼

>羨望と嫉妬の眼差しを受けた思い出があります。 当時はかなり羨ましがられたでしょうね。 当時は一般の人には高嶺の花で、そんなに利用できる状況でもなかったのですね。 予約がすぐに取れないくらい殺到していたのかと思っていました。 70年になって本格的に一般市民が利用できるようになってきたのですね。 未だに北陸新幹線やら、九州新幹線を作れ作れとの声が大きいのに、当時の掛川の議会(市長?)は先見の明がなかったのですね。 ありがとうございました!

その他の回答 (1)

回答No.1

こんにちは。 ちょっと調べてみましたら、開業当時の新幹線、東京~新大阪間の料金は2,480円(運賃1,180円、特急料金1,300円)だったそうです。現在は「のぞみ」だと14,050円なので約5.7倍です。 当時の大卒初任給が21,200円だったそうなので、物価水準を現在の約10分の1と考えると、今の感覚より倍ぐらい高かったことになるのではないでしょうか? 開業当初の駅は、東京・新横浜・小田原・熱海・静岡・浜松・豊橋・名古屋・岐阜羽島・米原・京都・新大阪です。「こだま」号は、今と同様各駅に止まりましたが、「ひかり」は、途中、名古屋と京都にしか止まりませんでした。(新横浜も通過です) 新幹線以前は、在来線に「こだま」「つばめ」「はと」などの特急が走っていた他、急行もありました。特急でも東京~大阪間は6時間以上かかりました。寝台列車もありましたが、急行の「銀河(現在も走っている)」以外は東京~九州方面が中心でした。 飛行機はありましたが、運賃がべらぼうに高く、一部のお金持ちしか利用できない交通機関でした。 開通当時の新幹線は「路盤が固まっていない」という理由で、最高速度を200km/hにスピードを抑えて走っていました。このため、東京~新大阪間は「ひかり」で4時間、「こだま」で5時間という所要時間だったそうです。確か1年ぐらいで、210km/h運転、東京~新大阪3時間10分という運転になったと思います。

noname#30350
質問者

お礼

やはり当時は運賃高かったのですね。 開業当時からひかりもあったのですね。こだまだけかと思っていました。 当初から駅数多かったのですね。途中で増設するのは大変でしょうけど、羽島や米原も当時からあったとは驚きでした。 ひかりは新横にも停まらなかったのですね。当時、あの辺りは発展してなかったのでしょうか。 特急だと東京・大阪間を6時間ちょっとでいけたのですか。意外と速かったのですね。十分日帰りも可能だったのですね。 路盤が固まっていないという理由で200キロしかだせなかったのですね。フランスの新幹線はリニア並みのスピードに成功したとニュースでやっていましたが、遠くない将来、日本でも高速度交通機関はリニアが標準になる時代がやってくるのでしょうか・・・ ありがとうございました!

関連するQ&A