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開通して間もない東海道新幹線に乗られた方!
1964年に開通した東海道新幹線。1972年には山陽道まで延び、その後上越新幹線も開通するなど大きく便利になりましたね。 今では当たり前すぎますが、開通当初に東海道新幹線に乗られた方、 どういう印象をお持ちになりました?
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開通翌年の2月に新大阪から東京まで父にせがんで「超特急ひかり」に乗せてもらいました(超特急ひかり)。 当時はまだ路盤が固まっていないため、新大阪~東京間は4時間だったと思います、それに、現在のような関ヶ原の雪害対策がなかったため、結構遅れが出ていました。 乗ったのは当然0系の初期型ですが、その前年に鴨宮で東海道線の急行東海の車窓から見た1000形B編成(1004)の六角形の窓の印象が強烈だったため、なんか期待していたのと違うのが来たという印象でした。 ビュッフェ(食堂車はなかった)も行きましたが相当混んでいました。そのときはピラフを食べた記憶があります。 それまでは、列車での旅行では途中で駅弁を買うのが常識でした(コンビニなど無い時代ですから)が、窓が開かないのでビュッフェで食べるしかありませんでした(車販もあったのでしょうが記憶にないです)。 このときから、帰省(岐阜)はすべて新幹線になりました。1966年だったと思いますが、指定が取れず、東京~名古屋間を超満員のこだまの通路に立って移動したことがあります、今では信じられないですね。この頃の新幹線はかなり混んでいました(まあ、時期にもよりますが)。 これ以前は、帰省は急行東海(多分、大垣行きの2号)、そこから関西の親戚には急行比叡を使っていました。一度だけですが、東京~名古屋で特急こだまのパーラーカー(クロ151)に乗ったことがあります。 ところで、1004というのははここの真ん中の車両です(窓がわかると思います) http://shopping.hobidas.com/shop/rail-hobidas/item/MIMT1508.html 実はこのとき、近鉄の新ビスタカー(10100系)の二階に乗っており(多分名阪間)、そちらの印象の方が強烈だったりします。
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- kbfd33
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1.ヒカリとコダマの二系列ダイヤで、ヒカリの新大阪駅から東京駅までの所要時間の短さに仰天しました。 2.新幹線の予算を認可して予算付けした大蔵省主計官に対しては「日本三大バカ」の査定をしたと罵詈讒謗が浴びせられましたが今日の繁忙を誰も予測しませんでした。 3.新幹線開業前の予測では、一時間に一本のヒカリとコダマがガラガラの乗客で、空気を運ぶ無駄遣いのハコモノと非難ゴウゴウでしたが、実際には10分に一本のダイヤでも満員盛況は誰も予想しませんでしたネ
お礼
面白いですね。将来の繁忙をマスコミは予測できなかったんだ---。 もともと東京オリンピックに間に合わせるという趣旨もあったから、 「それだけのために作ったのか!」と見られたのかもしれませんね。 「ひかり」と「こだま」の書き方の方が良いかと思います。
- yasuponpon
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私は子供のころに乗りました。何せ小さかったので細かいことは記憶にありませんが、乗客はカジュアルな人はおらず、みんなよそ行きの格好だったように覚えています。一番印象的なのはビュッフェ車で富士山が見える側にカウンターがあって、アイスクリームやコーヒーの紙コップに新幹線のイラストがあったことを覚えています。今は食堂車も死語になってしまいそうな時代ですね。
お礼
ビュッフェは良く私も行きました。
- kgrjy
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ガキでしたからね、一号車からしんがりまで、踏破したことがあります。 親の乗ってる号車を通過して二往復しました。はい!
お礼
私も昔同じ事しましたわ(笑)。 でも16両を1往復するだけでも大変だよね。
- pixis
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開通翌年の65年の夏に東京から京都まで行きました。 第一印象? 寒かった!一言です。 なんたって冷房がんがん効かせやがって、夏だから薄着で保温するものがないし、唇が紫色になっちゃった覚えがあります。 京都駅のホームに降り立った瞬間、う~あったけー、気持ちいい~!! でした。 そう!ちょうど寒い日に加減のいいお風呂に入った時のような そんな声を出してしまった覚えがあります。 普通、夏に京都駅を降りると、あっちー、なんでこんなアチーんだ? と思いますが、そのときばかりは気持ちよかったですね。 いずれにせよ、寒さでした。 そーですねー・・あとは乗る前のうきうき感ですね。 初めて飛行機乗るような、そんな緊張感もありました。 当時はやはり滅多に乗らないという意味で 飛行機と同じようなイメージがありました。 在来線とは別物でしたね。
お礼
ほう、冷房が効きすぎていたんですか---。
お礼
こんな車両が当時あったんですか---。 体験談も交え面白い話有難うございました。