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大名の側室
江戸屋敷では建前上(実務は年寄・上臈がやっていたと思いますが)正室が奥を仕切っていたと思いますが、国許の奥は古参の側室が仕切っていたのでしょうか? 国許の奥向きには、江戸の正室や奥の年寄の影響力はまったく及ばなかったのでしょうか? ご意見を賜れれば幸いです。
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それぞれの家により違いますが、たいていは国許には国許の奥向きの組織があり、お国御前と呼ばれた第二夫人がいて、名目上は側室ですが、国許では正室に準じる扱いをうけていたことが多いようです。
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- yakyutuku
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回答No.1
側室が有力家老家の出の場合などは、そうなる場合もあります。一般的には大名の生母や、先代の正室などが多いのではないでしょうか。
質問者
お礼
先代の正室は国許に赴いていたのですね。 ありがとうございました!
お礼
正室に准ずる扱うを受けていたお国御前がいたのですね。 大名家によっては狭い江戸屋敷の奥より、国許の城内の奥向きの方が立派そうですね。 ありがとうございました!