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「英語教育」の必要性
英語が必要だ、とか英語が世界の人々とのコミュニケーションにつながる、などと言いますが 今や小中学生、高校生が殺人を犯す時代です。また、その動機が「うざかった」「頭にきた」 など些細なことです。若年層に限ったわけでもなく立派な大人でさえも、そのような理由で 人を殺めています。このように、日本人が母国語の日本語でさえコミュニケーションが取れない時代 にそんなに「英語教育」をすすめていいものなのでしょうか。 言い換えれば、英語よりも教えることがあるだろ!!って思うのですが、いかがでしょうか。 もちろん、日本人みんなが意思疎通できないというわけではありません。しかし、身近な友達とさえ意思疎通できない人間が、国も文化も違う人と英語で意思疎通ができるとは思えません。みなさんの意見をお聞かせください。
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- birdflew
- ベストアンサー率10% (10/92)
ご質問をまとめると、 学校での英語教育をやめて、その時間、母国語の日本語でコミュニケーションを向上(意思相通ができるようになる)させる教育をしたら、小学生、中学生、高校生が起こす殺人犯罪が減少するか、ってことですよね^^ であれば、論点はコミュニケーション力の向上をどうやって学校が教育の中で実現するかであり、英語教育の必要性とは別の議論ですよね^^ それとも、 意思の疎通ができない事が原因で殺人犯罪を起こす学生がいるので、そのような学生に英語を教えても意味がないのでは、ってことですよね^^ それはそのとおりですが、意思の疎通が図れない学生はそれほど多いと思われますか?そのような学生は限られた人数で、ましてその中で殺人犯罪を起こす学生の割合は極少数でしょう。それなのに、すべて学生を対象にコミュニケーション力を上げる教育を施すことは大多数の学生には無意味ではないですか?さらに、そのために英語教育だけに焦点をあてる理由がみえません。 となれば、友達と意思疎通できない学生だけをターゲットに、英語の代わりに意思疎通に役立つ教育をうけるべきか、と言うことになれば、それは学校ではなく、家庭で対応するべきとの認識・常識が一般的ではないですか? 又は、それは障害の一種と認定し、その様な特殊な障害者用の学校を作ると言う場合には別かも知れませんがね^^ よって、質問の主旨がいまひとつ理解できないので、補足してください^^
- very-very
- ベストアンサー率11% (1/9)
No.3 です。気になって何度かこちらの質問覗いてます。質問の回答ではないのですが、cerise77 さんのプロフィール拝見しました。複数のIDをお持ちで、ご自分の質問にご自分で回答されたりしてるのですか?私の勘違いでしたらすいません。
- Ganbatteruyo
- ベストアンサー率63% (4601/7273)
アメリカに38年半住んでいる者です。 私なりに書かせてくださいね。 まず私自身の結論を書きます。 英語教育は必要。 なぜなら、他の国でも英語が母国語の次が英語でないと通じない しかし、その必要性は日本人の誰にでもあるわけではない、 しかし日本の教育として、英語を算数と同じレベルで「知る教養」は必要。 つまり、基本以上のことをするかしないかは、今の学校教育を終えた人が英語を「やり直す」「自分で磨く」と言うのと同じように、使える基本は身につかせる必要はある。 と言う事なのです。 中学校で教えるのは遅すぎる、だから小学校で教えよう、とするのは根本的なことが分かっていないと言う事なのです。 中学校の英語教育を「教えられる教師」を使って3年間ちゃんと教えればいいだけのことなのです。 高校からの英語教育は必要ではないかもしれません。 しかし、使える英語を教えることのできる(これはもっと習いたいと思うようにさせることのできる、と言う事のもちろん含んでいます)教師を徹底的に「実力主義」に変えることが必要であるとする英語教育革命も考慮に入れなくてはならないでしょう。 受験と言うmのを見直す事も考える必要もあります。 しかし、英語は教える必要はない、と言う事はここの英語カテの常連さんから、英語が(今)出来る人からは聞きたくないと感じます。 なぜなら、簡単に言うと、もし中学での英語教育に触れなかったら今の自分の英語はどうなっていた事でしょう。 ゼロから始まった英語へのふれあいがあったからこそ今の自分があるはずです。 中学英語の触れたからこそ意味の自分があったはずなのです。 英語ができると言う事は、先日も書きましたが、英語の成績がいい、と言う事ではありません。 トーイックの得点が満点、と言う事でもありません。 使える、と言う事ほかないのです。 英語なんて必要ない、と思っている人が、もし英語ができて毎日出なくとも英語を何らかの形で使っている人(英語でアダルトサイトを見ている人も含めて)であれば、「教えてくれてよかった」「使える様になってよかった」と思っているはずです。 しかし、それだけがとりえとする人であれば「自分だけが英語を使えればいい」「競争相手を作る必要なんてない」なんて思っている費とも、0.001%はいるかもしれませんね。 また、教えられる教師に会えなかった不運としかいえない自分を納得させるには「英語なんて必要ないさ」と自分に思い込ませるのは自然だとも思います。 試験の為の英語教育、とかんじさせる教育制度がある限り、教えられない英語教師がいる限り、英語を自分の人生の一部(算数のように)に取り入れ、日本人の人口75%に持たせる事ができるはずがないのは当然のことなのです。 使える英語の基本を中学3年でちゃんと植えつける事ができれば(つまり、今英語が出来るようになった人のほとんどが「独学」で磨いた前までのレベル)、後はその人それぞれの興味、得て不得手、意欲、などで更なる「使える英語教育」を受ければいいのです。 日本の首脳が英語で挨拶さえもできないなんて愚の骨頂です。 (単なる噂話、と言う事なのかもしれませんが) 今の日本の政府の首脳100のうち英語を使えられる人は何人いるのか非常に興味があるところです。 さて、本題ですが、意思の疎通が出来ない日本の子供たち、と言う表現をされていますが、それはほんの少ない数なのではないでしょうか。 また、犯罪と英語教育とは何のつながりはあるはずがありません。 暴力に向かっていける大人がいない、という事を考えた事があるでしょうか。 教師の中でどれだけ「不良」に立ち向かえる人がいるでしょう。 どれだけ、警察自体がそれに対して「立ち向かう」事が出来るのでしょうか。 アメリカは犯罪が多い、と言われがちですが、それは、大人や警察自体が犯罪に対してもっと前向きに見ているからなのです。 見ているか目立つのです。 日本は平和ボケを経験している、と言う事なのです。 日本の学校に警官が来る事ってあるのですか? よほどの事がなければないでしょう。 学校自体も隠そうともしているみたいですしね。 教師がビビリ、警官がビビッテいては、親がビビッテいるんじゃ、子供がのさばるわけです。 そののさばってきた子供が親になるわけですがその中には自分がそうだったから(しつけと暴力のいい意味での経験から)自分の子供をのさばらせないでいる事実もありますね。 自分は英語が分からないからせめて自分の子供には、と言う親御さんが出てくるのも自然なのです。 と言う事で、犯罪と英語教育とはまったく別のものですし、伸ばせる事のできる英語教育をみっちり教えられるようにする事で、英語を使えるようになってよかった、と言う事につながるわけです。 留学しなければ英語はしゃべれるようにはなれない、なんていう寓説を作り出したのは、すなわち英語を教えられない英語教師に6年間と言う人生の一部を無駄に使わされた、と私は言うわけです。 これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。
- IXTYS
- ベストアンサー率30% (965/3197)
こんにちは。 私は天下国家の事はわかりませんし、正直興味もありません。 大切なのは、個人とそれを取り巻く環境であります。 何故、私が子供たちをバイリンガルに育てて来たのかを話したいと思います。 今は『IT時代』といわれています。 ITとはinformation technology の略ですが、このinformation とは英語で書かれた情報の事です。 今、インターネットの通信網を通じて流れている情報の70%以上は英語で書かれた情報です。 英語で書かれた情報には優れたものが少なくありません。 いや、英語で情報にアクセス出来ないと、世界から大きく取り残される時代です。 だから英語は出来て当たり前。 そう考えたからこそ、シンガポール政府は英語を学校教育の共通語にしているのです。 日本でもそうすべきだのに、反対が多く実現しません。 そこで、何人かのクリスチャンの方々が協力して、英語による普通教育に取り組み、成果を上げています。 英語の教材には優れたものがいくらでも簡単に手に入ります。 私がこのOK Waveで回答する際に添付する資料は、殆ど英語で書かれたものです。 そのまま添付はせず、日本語でサマリーはつけていますが、、、。 今や英語で書かれた情報の日本語のそれと比べれば、優秀なことは誰の目にもあきらか。 英語を何のために、というのは少なくとも私と我が家の全員から『お前、今頃、何寝言をいってるんだ。』といった反論を受けることになります。
- eqrus
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No.14です。 すいません言いすぎました。
- eqrus
- ベストアンサー率0% (0/5)
みなさんのご意見はごもっともだと思います。 でも重要な事は、英語が苦手な大人達が子供達に英語をやらせようとしていることだと思います。 例えば、もしあなたが空手道場に通って先生はまったく何もできないのに、無理な練習をやらされ、板や瓦を割らされたら納得できるでしょうか?やる気が出るでしょうか?(下手な例ですいません)
- taked4700
- ベストアンサー率37% (777/2050)
ヨーロッパの人が、または、旧イギリスの植民地の人が英語を学ぶのと、日本語と言う英語とは全く言語構造の違う言葉を母国語とする人が英語を学ぶのは、全く条件が違います。彼等にとり、英語はかなり日常的なものであり、関東の人が関西弁を学ぶのと同じような近親感が最初からあるので、もともとそんなに難しいことではないようです。 ところが、普通の日本人にとり、英語は全く日常的なものではなく、言語構造も違い、文字からして違うので、この勉強が比較的難しいものとして意識されてきた歴史があるわけです。そして、その意識がそのまま、生徒の選別のための科目として利用するという態度につながってきていると感じます。 実際、小学校での英語教育の導入は、英語に関してより大きな学力差を小学校から中学校にかけて生み出すはずです。 自分としては、英語自体は、外国人にとり、比較的なじみやすい、文法的にも簡単な言語なので、その教え方と言うか説明のしかたをもっと工夫していくことが一番大事かと思います。
- trgovec
- ベストアンサー率52% (2538/4879)
問題行動を起こす人は学校教育以前のところに問題があります。幼児期に周囲とコミュニケーションをとっておかないと、感情をあらわすことが不自由になると思われます。最近見かける何を考えているか分からないボーっとした表情の人は、怖そうな人以上に恐怖を感じます。 英語教育自体はあってしかるべきだと思います。しかし現状のように「日本人は誰でも英語を勉強しなければならない」「英語だけはどんな大学にいくにも必要(他の科目はやらなくてもいけるところはある)」「英語が日本人の一般教養であるべき」のようなことは変です。 英語にしろ何語にしろ「興味がある人」「仕事に役立てたい人」「それを使った仕事をしたい人」が学ぶのが正道だと思います。学校の授業には役に立つかどうかの他に「努力すること」「忍耐」を学ぶ面があるのは否定しませんが、何もそれがわざわざ「外国語」である必要はないでしょう。 日本における英語のあり方は奇妙です。日本人は英語が「話せない」「書けない」「読めない」「聞き取れない」のはよく言われるとおりですが、その割りに広告、放送、様々な表示には根深く英語が入り込み(外来語ではありません。外来語は普及の度合いや使うべきかどうかは別にすれば日本語の一部です)、「なんとなく分かったような分からないような」「見た目かっこいい」扱いを受けています。そのためネイティヴチェックや辞書で確かめる事すらしないので奇妙な「英語もどき」が氾濫し、これが英語を学ぼうとする人をだまし、ネイティヴからは失笑をかったりしています。キャッチコピーなどを作るとき「英語としてはおかしいが、語調の良さからこうしよう」このような会話がなされることもあるのです。ビジネスの観点からコピーなどに細心の注意を払うことは理解できますが、言語に対する侮辱でもあります。 結論としては学校で英語を教えること自体はあってしかるべき(欲を言えば他の言語の選択肢もあってほしい)、意欲がある人を対象にして充実したものにするべき、入試などの道具にしない(ただし選択科目としてや英語を専門とする学校・学部には入試科目としてあるべき)、英語に対する「なんかよく分からないがかっこいい」といった感情が育つべきではない、「英語=国際的」というゆがんだ国際感覚をなくす、ということになります。
- ito_mamuko
- ベストアンサー率17% (6/34)
英語の必要性は、疑う余地はありません。 しかし、母国語を正確に読み、書くことができない人間が外国語を習得できるとは思えません。 そして、「英語よりも教えることがあるだろ!!」と言われるのは、学校教育の範疇にない生物です。
- sid3325
- ベストアンサー率2% (1/40)
『目的』にするもよし、『手段』として必要に迫られてするもまたヨシ。必要な人が勉強すればいいんじゃないでしょうか...^^ 『うざい、頭にキテいる』連中には確かに無意味かも知れませんね。いちいち『理由を付けて』逃げる環境を与えてしまっていることが問題やと思うのですが...
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