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小学校からの英語教育は必要か?

小学校の英語教育についてのディベートで以下の文章の立論から反論をしなくてはならないのですが、どの部分からどう反論すればいいのでしょうか。いい反論やアドバイスがあったらお願いします。 1つ目は英語を教える教師についてです。現在の教育現場の現状として小学校数は23123校に対し、小学校専属のALTは121人と少なく、地方公共団体で雇われているALTの数は5362人から205人に減少しています。ALTをやとえるだけの財政力がある県とそうでない県で、教師の数が異なります。つまり、財政力がない地方では都心と比べ、ALTの数が少なくなります。外国人教師は、英語を母国語にもつアメリカ人やイギリス人、オーストラリア人だけでなく、韓国人、中国人などの外国人教師ならだれでもいいという風潮がみられ、私たちが学ぶ英語の教師として適応しているかは疑われますさらに小学校英語の免許はなく、他の教科を担当する教師が英語を担当することになり、英語を成績に加えている小学校に関しては、評価の判断基準や発音などの面に関して必ずしも正しい判断を下しているとは言いがたいですmまた小学校教師で中学校英語の免許を持つ者も3,7%とかなり少ないです。  2つ目は学力低下についてです。現在総合的な学習の時間を英語学習に使っている学校が多く、平成14年からの学習指導要領では総合学習の時間をとられることに加え、毎週土曜日が休みになることで授業時間は小学校6年間で5785時間から418時間も少なくなりました。そして国語、算数、社会、梨花と基礎的な科目が大幅に削られています。このことにより、現在学力低下という大きな問題が起こっています。仮に英語教育をすすめていくとしても小学校3~6年生までの4年間、週2~3時間のペースでは覚えるよりも忘れるペースのほうが速く、また周りに日本人がいる以上日常会話は日本語で行われるため、さらに英語はみにつきません。よって他の教科を犠牲にして捻出した430時間の総合学習はまったく無駄な遊びの時間になってしまいます。さらにまた日本語に堪能でない小学校低学年の子供たちは日本語と英語の両方を学校で教えられることで混乱し、英語はもちろん日本語さえもあやふやになり、きちんとした言葉が話せなくなることがあります。相手のいうことを理解したり、自分の意見を伝えるために不可欠な日本語ができないというのはさらなる学力低下を引き起こします。  3つ目に英語教育をする前にするべきことがあるということです。英語は言語のひとつです。たとえば、1年間留学した学生の英語の語彙力は日本語の語彙力と密接に関係しているという調査結果も出ています。つまり、英語ができるようになるには、国語力も必要だということです。また、英語のコミュニケーションでは言葉をつかいます。その言葉はコミュニケーションの基盤となるもので、その基盤は中・高校からの基本的な文法や発音の勉強によって作られていきます。小学校で中途半端な英語教育をしても意味はなく、むしろ国語教育を強化すべきだと考えます。日本は今、国際化していると考えられていますが、まずは自国の日本のことについて知るべきではないでしょうか。日本は他国にはない固有の文化を持っており、そんな日本文化は外国にとっても貴重な考えです。そのような素晴らしい文化をアピールしていかなければ、世界に日本人としての居場所がなくなってしまいます。小学校の国語も算数も犠牲にし、英語に慣れ親しむ楽しい「ゆとり教育」で育つのは、貧弱な国語力と未熟な思考力のまま、意味も文法も知らずに英語とつきあう子供ではないでしょうか。今の日本人は教育現場にかかわらず、日本語という母国語の持つ意味の重さについて気づくべきです。 誤字があったらすいません

みんなの回答

noname#47281
noname#47281
回答No.6

#5です。訂正と補足です。 現在の小学6年、中学3年を 小学5年、中学3年に変えるのです。→現在の小学6年、中学3年を 小学5年、中学4年に変えるのです。 あと、教科の必要性についてですが、ピアノやスケートだって必要性は低いかもしれません。でもねえ、音楽は楽器では必ずリコーダーを吹かされるし、体育ではプールを泳がされます。しかし、リコーダーがピアノよりも重要で、水泳がスケートより重要だということでもないんです。あくまで、インフラの問題です。音楽ならピアノの方がリコーダーよりも和音とか覚えるのには適しているし、スケートの方が水泳よりもバランス感覚を養うのには適しています。これは知識とも少し違うんですが、嗜みとして身に付けるには英語と勝るとも劣らぬ意義があると思いますよ。ただ、学校ではインフラの整ったものを教えるだけで、不必要だとすれば、そもそも学校で体育や音楽なんか止めて、英語の授業でも増やせばいいということになります。 あと、時間なんかいくらでも作れますよ。先ず、土曜日の半日授業の復活させて、ゆとりという考え方から、中学校では学校主導の日曜日の部活動の廃止とか,etc. 一つ言えるのは、この問題は英語だけの枠内では考えられないということです。

noname#47281
noname#47281
回答No.5

質問の趣旨とは少しズレますが、英語以前に学校のシステムを変えたらどうかと思います。というのは、現在の小学6年、中学3年を 小学5年、中学3年に変えるのです。私が思うに 小学6年は長過ぎて、上級生はたダラけてしまいがちだし、逆に中学3年は短すぎるので、多感な思春期の時期は もう少しじっくり生徒と向き合った方がいいと思うんです。 そして、問題の英語ですが、この4年制の中学1年生から導入したらいいと思います。ですから、現在よりも1年早く英語を習うことになります。それに伴い、国語の教育漢字も5年制小学校を終えるまでに全部覚えることになります。少し詰め込み過ぎと思われるかもしれませんが、 漢字を覚えるのだって、小学校で教育漢字約1000字で、中学校で残りの常用漢字約1000字を覚えるんですから、バランス的にも丁度いいと思うんです。 あと、もっと重要なのは現在の中学の英語教育を変えることです。今のような文法と訳読中心の教え方では効果が上がりません。

  • celery29
  • ベストアンサー率19% (31/157)
回答No.4

こちらの意見に対する反論をすればいいのですよね… 1.これに対する反論は、正直ありません。  正直危惧しているところです。 2.学力低下と英語とは関係ないと思います。   ゆとり教育の弊害といわれますがそれだけでなく、全体として主要科目の授業コマ数がどんどん減っているのです。  細かい数字は忘れてしまいましたが、例えば九九に割ける時間が、  おばあちゃん世代から比べると親世代が2/3ぐらいで、今は1/3ぐらいだったような気がします。  もちろん、おばあちゃん世代(60代)と比べると学ぶ内容も増えたとは思いますが…親の世代(30代)と比べると、減ったぐらいですよね。 >小学校3~6年生までの4年間、週2~3時間のペースでは覚えるよりも忘れるペースのほうが速く これは当然そう思われます。週1回通っても身に付く、スイミングなどとは違い、ピアノに近いものです。毎日触れなくては身にならないでしょう。 私は時間の割き方がおかしいと思います。どの学校も一律にやることは難しいかもしれませんが、 毎日、5分でも10分でも、英語に触れる時間を作る事が大事だと思います。 例えば、朝のホームルーム、給食の時間、どこかの5分休みの間に、英語の歌を流したり、短く簡単なお話を流したり… 授業でやった内容などを次の授業まで、何度も耳に触れるようにする事で、定着度は上がると思います。 お話ならば、日本語で分かる話などが良いと思います。 >また周りに日本人がいる以上日常会話は日本語で行われるため、さらに英語はみにつきません これは、ある程度仕方がないでしょうし、集中力を高めることで少しは改善できると思います。 それから、英語が身に付くとは英語が話せる事だけではないですよね。 先生が指示だけでも絶対に英語で言えば、それを理解しようと一生懸命、耳を傾け頭を働かせます。 まずは、相手の言う事を理解できなければいくらしゃべれても駄目ですよね。 >英語はもちろん日本語さえもあやふやになり、きちんとした言葉が話せなくなることがあります これに関しては、正直具体的な事例を聞いたことがありません。 聞いたことがあるといえば、帰国子女とかインターとか、長く保育する側の親の母国語が日本語でないとか極端な状況下に置かれた場合の弊害ばかりです。 日本で普通に暮らしている子が数時間英語に触れて日本語がおかしくなってしまった事例が本当にあるのでしょうか? これぐらいの時間数でしたら、英会話教室などに通っている子は普通に費やす時間でしょう。その子たちが混乱していますか? 日本語の乱れは私も感じますが、家庭や環境の問題もあるでしょうし、国語の授業数が変わらなければ、英語をやろうがやるまいが変化はないと思いますし、 むしろ英語教育が成功すれば、相乗効果で言語力や感覚が豊かになる事さえあると思います。 土砂降りの雨の事をdog and catなんて表現したりしますよね。なるほど~なんて思いませんか? 逆に、「いただきます」の英訳って無いですよね。そんな所からも、日本語のすばらしさや文化の違いって感じたりしませんか? 日本語で日本の文化を語れる事ももちろん大事ですが、英語をかじってみて初めて気づく日本人の文化や感覚ってありますよね。 また、逆もありで、英語圏の文化や感覚に気づかされる事もあります。 この辺は、2.3.の話に関連しちゃいますね。 3.に関して特に思うのは、留学生の話は興味深いものですが、小学生がこの先母国語の学習を停止して英語漬けになるわけではなく、 この先も日本語教育は続いていくのですから、そちらはそちらで力を注いでいけば良いことではないでしょうか? 自分自身を振り返ってみると、英語に関心を持ち出した後のほうが、むしろ日本の文化について考えるようになったものです。 >貧弱な国語力と未熟な思考力のまま、意味も文法も知らずに英語とつきあう子供ではないでしょうか 他国の子供たちの母国語力がどのようなものかは分かりませんし、島国で、英語とはかけ離れてる日本語が母国語の日本ですから、一概に他国と同じ土俵で語れない事は良く分かりますが、 幼稚園や小学校から英語を必修とした国々で、失敗だった…とやめた国はあるのでしょうか? むしろ、どんどん増えていますよね。 また、No3.の方がピアノやスケートと同じと語られて、その意見には賛成ですが、 必要性の面から考えると、ピアノやスケートと比べると必要性は非常に高いと考えます。 必ずしもみんなが英語を必要としていない…とおっしゃる方もおりますが、 果たして、本当に必要ない人や、まあ全然困らない人ってどのぐらいいるのでしょうか? ネットの世界では7割ぐらいが英語で書かれた物ではなかったかとおもいます。 大人で英語力が全く必要ない人ってどのぐらいいるのでしょうね? 簡単な会話力、読解力があればもっと楽しめるのに…って思う人も多いと思いますよ。 もっとも、中、高の英語の授業にも問題があるでしょうけど… こんな風に思いますが… ちなみに我が家も、小さい頃から英語に触れさせてきました。 遊びの中で触れたり教室に通ったり…日本語は日本語で大事にしてきました。 簡単な洋書は読めるぐらいになりましたが、英語によって日本語が乱れてるとか混乱してる…などとは感じませんよ。

noname#47281
noname#47281
回答No.3

この手の質問は何度もされていますが、極端なことを言えば、小学校の音楽の授業にピアノを教えるべきか、体育ではスケートを教えるべきかのレベルです。つまり、どういうことかと言いますと、現状(昔からですが)ではピアノやスケートは 習いたくてもインフラ的な理由から習えない生徒が多いんです。だからと言って、全員に必修にする必要もないと思うんです。英語もこれと同じです。英語以前に、他の教科でも生徒に選択の余地を与えてもいいんじゃないでしょうか。それと、ゆとりの教育といっても あれははっきり言って無意味です。小学生はゆとりどころか暇をもて遊んでいるか、そうでなければ逆に塾通いが増えるだけでしょ。中学なんかは その分 部活動が過熱化しているだけでしょ。ゆとりなんか どこにもないのです。 あと、国語教育ですが、英語以前に国語教育を見直すべきでしょう。 日本の国語教育は文学偏重で、コミュニケーションとしての観点に欠けています。例えば、敬語の使い方なんかも詳しいことは高校の選択科目である「国語表現」でならうんですが、こんなのは小学校のうちに教えるべきでしょう。一方、小学校に古典を導入する案を持ち出している人がいますが、とんでもないです。生活用語としての日本語と学校で習う国語との乖離が激しくなるだけで全くの無意味です。 手前味噌になりますが、私の娘には小学生のうちから英語を教えていましたよ。でも、それ以前に日本語を徹底して前倒しして教えました。 小学校入学前に、1年生で習う漢字は全部覚えて、小学5年生終了までに常用漢字は全部覚え、中学2年終了時までJIS第1水準漢字を全部覚えました。

回答No.2

三つともある程度事実であることは確かです。一番もっともだと言えるのは1であり、この点について反論することは難しいですね。2と3については、必ずしもそうとは言い切れない部分があります。反論するとすれば、ここだと思います。 2ですが、学力低下の原因は授業時数の減少とかゆとり教育であるかのように言われていますが、私はそうは思いません。もちろんそういう部分が一つの原因になっているとは思いますが、それがすべてではありません。学力低下はこのほかに家庭教育力の著しい劣化があると私は見ています。学力向上には子供たちの学習に対する姿勢も必要不可欠です。モチベーションが低くなれば、学力も思ったよりもつかないのは当然です。 3ですが、国語力が低下しているのは事実でしょう。ろくに漢字も書けない有名大学生がいます。英語より国語、確かにそうかもしれません。しかし、世の中グローバル化が叫ばれている中、ユニバーサルな英語を習得することは必要です。また、国語も英語も同じ「言語」ですから、英語をやった分、国語に悪影響が出るということはないと思います。

  • taked4700
  • ベストアンサー率37% (777/2050)
回答No.1

立論って、こんなに細かくするものなのですね。もっと大まかなもので、後の展開がチームに任されるのだと思っていました。 上の文章が英語教育反対の立場で書かれているようなので、賛成の立場で反論すると言うことでいいのでしょう。 (1).立論であげられている良くないとする根拠を取り除く方法を示す。  (1)教員の問題については、教材を絞り、短期間の研修でちゃんと教えられるものであることを示す。具体的には、英語の文字と発音の関係をやる。 例えば次のように: つづりと発音の関係: つづりを覚えるのは、次のような法則を知っておくととても楽になります。これは、以前、定時制に勤めていた時に作ったものです。 1.文字は2種類ある。一つは母音を表す母音字でA, I, U, E, Oの5文字しかない。もう一つは子音字でアルファベットから(母音字)を除いた残り全部を言う。 2.母音とは、口を自然に開いて、唇とか舌とかのぞを使わずに、自然に出せる音のことを言う。「ア、イ、ウ、エ、オ」のような短い母音と「エィ、アィ、ユゥ、イー、オゥ」のような長い母音の2種類がある。つまり、基本的に、母音字は、それぞれ、これらの短い音と長い音の二通りの発音を、持っている。ここが、ローマ字と英語の文字の読み方の違う点です。 なお、u は、短い読み方は「ウ」よりも「ア」のほうが多い。cut:「カット」, bus「バス」 など。それから、aとuでは、口の開きの大きさが異なる。aのほうが口が大きく開き、「エア」のような音で、Japan:「ジャパーン」のpanのような音。uは、日本語の「ア」とほぼ同じ。 3.子音とは、口の色々な機関、例えば、舌、唇、歯、喉などを使わないと発音できない音のこと。基本的に、子音字が表す子音は、そのアルファベット読みから母音を取り去った残りの子音になる。例えば、f、l、m、n、s、xのアルファベット読みはどれも、「エ」という母音が共通していて、それぞれの文字のアルファベット読みから「エ」を取り去り、残った子音がそれぞれの子音字の表す子音となる。だから、基本的に、子音字は一通りの読み方しかない。 なお、2と3が、ローマ字が「か」ka のように、二文字になる理由。 4.母音字が二通り、子音字が一通りの発音の仕方があるので、英単語の読み方で困るのは、母音字を短く読むのか長く読むのかの判断である。 5.dog, cat, pet の様に、子音字+母音字+子音字 の並びの時は、母音字を短く発音する。これは、二つの子音字に挟まれて、母音字が圧縮されているとイメージすればいい。母音字1個に対し子音字2個で、1対2で、母音字が負けて圧縮されていると思えばいい。 6.cake, five, codeのように、子音字+母音字+子音字+eの時は、母音字を長く発音する。これは、eが母音字であるため、子音字2個、母音字2個の同数なので、数の上で勝ち負けなしとなり、母音字は圧縮されない。これは、e が自分は発音しなくていいからもうひとつの母音字を長く発音してくれと言っているようなもの。 7.desk, test, pass の様に、子音字+母音字+子音字+子音字のパターンの時は、母音字を短く発音する。これは、子音字が3個に対し、母音字がたったの1個であるので、母音字が子音字に圧縮されて短くなるとイメージする。 8.boat, read, coat の様な子音字+母音字+母音字+子音字のパターンの時は、母音字の一方だけを長く読む。もう一方のほうは読まない。これは、次のように考える。つまり、母音字と子音字の数が同じなので、互いに勢力が等しい。よって、母音字は圧縮されないということ。 (2)その他、予算については、小学校の英語のみ、国の一律負担にする。国語力の低下については、英語自体を国語の中に組み込んで、国語の一環として教えることで、言語の特徴を引き出せる。 (2).良くないとする根拠を超える利点を示す。 (1)普通に考えられることですが、英語力が高まる、低学年から始まり発音が良くなる。 (2)外人アレルギーがなくなる。 (3)国際的な視野が広がる。 (4)インターネットを使った国際交流が出来るようになる。 (3).良くないとすることによって起こるまたは予想される問題点を指摘する。 (1)国際化の波に乗り遅れる。 (2)英語が出来る人が少ない状態のままになる。 実を言うと、自分は現状の小学校での英語教育にかなり危惧を抱いています。つまり、全国的な教科書が出来ていないこと。そのためか、各小学校でも、ほとんど場当たり的な指導がされ、学年進行や中学とのつながりがほとんど考えられていないこと、そのため、一部の経済的に恵まれた家庭のみが塾などでの英語教育に走り、より中学段階でのクラス一斉の英語教育が難しくなり、生徒間の格差が広がることなどがあるためです。 自分としては、上に述べた文字と発音の関係だけを小学校でやり、文章は中学からやるのがいいと感じています。