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真珠湾をめざし北太平洋を進む日本海軍空母の写真。
下記URLは、国立公文書館アジア歴史資料センターの一部です。 昭和16年(1941年)11月26日 ハワイ作戦機動部隊ヒトカップ湾を出撃 https://www.jacar.go.jp/nichibei/popup/pop_25.html この写真の説明では、 「真珠湾をめざし北太平洋を進む日本海軍空母(昭和16年(1941年)11月18日撮影)(毎日新聞社提供)」とあります。 質問です。 1.撮影日付の11月18日は合っていますか。 2.新聞社が、こんな近くから空母を撮影できましたか。 3.空母の名は分かりますか。 以上、よろしくお願いします。
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https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Zuikaku_November_1941.jpg ウィキメディアコモンズにあるこの画像と同じものだと思われますが、これの説明文によると撮影は1941年11月、手前が空母瑞鶴、奥に見えるのが空母加賀だそうです。 国立公文書館アジア歴史資料センターが11月18日だというのなら、おそらくその日付について根拠となる何らかの記録が残っているのでしょうね。 (たぶん問い合わせをすれば判るのだろうけど、めんどいので私はやらない) 当時大型艦艇には新聞社などから軍に徴用されたという形で従軍する報道班員の記者やカメラマンが乗ることもあったそうですが、そういった報道班員が飛行甲板の端から撮影したものではないかと思われます。
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- kuni-chan
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単冠湾を出撃するのが昭和16年11月26日ですから11月18日の日付が正しいとすれば、単冠湾へ向かっている写真となります。 真珠湾へ向かっている写真なら11月26日以降でないといけません。 当時は情報統制されていましたし、航空母艦の写真は簡単に撮影できなかったはずです。軍から提供された写真というのも考えにくいのですが、戦時中に新聞へ掲載されたなら提供されたと考えるしかありません。戦後に新聞社が入手したものとすれば納得します。 飛行甲板の左に艦橋があるのは赤城と飛龍しかありませんのでどちらかというのは確かですが、不鮮明で自信が持てません。 どちらかに決めるとすれば飛行甲板が高くないように見えますので私は飛龍と判断します。
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ご回答ありがとうございます。 #5の方のご回答で知ったことですが、この写真は、呉の大和ミュージアム所有らしいで す。 そして、大和ミュージアムの説明では 「帝国日本海軍の空母瑞鶴(前景)と加賀(背景)は、太平洋戦争の開始前の1941年11 月に真珠湾に向かいます。」となっているようです。 ところが、質問で示したURLのアジ歴の説明では、 「真珠湾をめざし北太平洋を進む日本海軍空母(昭和16年(1941年)11月18日 撮影)(毎日新聞社提供)」とあります。 なぜ食い違っているのか分かりません。 私はこの写真から、艦橋が飛行甲板の左にあるのか、右にあるのかが判断できませんが、 写真の空母は瑞鶴のようです。
- koncha108
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たまたま図書館で新聞のアーカイブ調べていて、昭和16年12月8日近辺の朝日新聞も見たのですが、8日の朝刊は、米国ハル国務長官との交渉難航、しかし交渉継続の意志あり。一面ですが、すでにインドシナでイギリスと開戦していたので扱いは大きくない。夕刊は、交渉行き詰まりか、と言う小さな記事。それが9日朝刊では真珠湾攻撃が大書きのテキストで写真もなくでかでかと。写真が載ったのは2-3日たってからでしたが、真珠湾の現場の写真では無くあらかじめ持っていた戦艦や航空機の写真と米艦のシルエットのイラストと打撃の状況。 当然超極秘任務と作戦だったはずだし、写真も速やかに送れる通信手段も無いか、禁じられるでしょうから、カメラマンがいたとしても、速報するつもりじゃなくて記録するためだけでしょうね。特に戦争中は軍艦の写真を取るのは日本の海岸からでも禁じられていたそうなので、軍部のカメラマンの可能性が高いんじゃないでしょうか。タイミング的に出帆の時期はそんなもんだと思いますが、新聞社にリアルタイムで情報が伝わるはずは無いと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 撮影したのは、記録を取るために乗船していた、軍のカメラマンだった可能性大ですね。 それが何かのいきさつで写真が毎日新聞社にあったという話かも知れませんね。
- whaihansei
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真珠湾攻撃は隠密作戦だったので 報道記者がいたり 軍が記録写真を撮る 理由がわかりません。 撮ったとしても表にはほとんど 出ないでしょう。 出撃が26日ですから18日は違います。 空母は赤城か飛竜です。艦橋が左にあるのは この2隻のみ。 撮ったのはそのどちらか。 北太平洋か南太平洋かも分かりません。
お礼
ご回答ありがとうございます。 艦橋が左にあるから赤城か飛竜なのですね。 参考になりました。 画像で調べてみます。 出撃が26日ですから18日では理屈に合いませんね。 しかし、何か理由があるのかと思って質問しました。
- ketsuro8da
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1.撮影の日付は正しいと思われます。 2.海軍が提供したか従軍記者が撮影したのでしょう。 3.赤城など7隻だったかと思います。真珠湾攻撃で検索してみてください。
お礼
ご回答ありがとうございます。 撮影日付の11月18日が合っているとすれば、説明文が間違っているのかも知れません。
- oska2
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>撮影日付の11月18日は合っていますか。 合っていると思いますね。 >新聞社が、こんな近くから空母を撮影できましたか。 新聞社では、ないでしようね。 既に、報道統制が行われていますから・・・。 たぶん、軍が撮影しています。 >空母の名は分かりますか。 当時のスターだった「赤城」「加賀」でしようね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 撮影日付の11月18日が合っているとすれば、説明文が間違っているのかも知れません。
お礼
ズバリの資料を教えてくださって真にありがとうございます。 写真の空母は、瑞鶴に間違いないですね。 ご回答をヒントにして調べました. 撮影日付は「1941年11月」であることまでは確認できましたが、11月の「18日」とまでは分かりませんでした。 アジ歴には11月18日だという何らかの根拠があるのでしょう。 11月18日、瑞鶴は豊後水道に面した佐伯湾を出港していますが、同じ日付の全景を写した写真もありますから、質問の写真もこの時撮影されたものでしょう。 結局、写真の説明の一部が間違っていることになりますね。 「真珠湾をめざし北太平洋を進む日本海軍空母」の内、“北太平洋を進む”のところです。 この部分がなければ、ヒトカップ湾で集結するにせよ、真珠湾を目指していたことには違いないからです。 撮影者の特定は困難ですが、私の疑問は解決しました。 ご教示に感謝申し上げます。