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日本海軍は真珠湾奇襲に『成功した?』、『成功させてもらった?』
第二次世界大戦での日本の軍事作戦について質問です。昭和16(1941)年12月8日の早朝(日本時間)、日本海軍機動部隊は、ハワイのアメリカ太平洋艦隊基地の奇襲に成功した。これを皮切りに日本とアメリカは戦争状態に入った。というのが、戦後の長い間の定説だったと思います。私もそう信じていました。 ところが一方で、日本海軍は奇襲に「成功した」のではなくて、アメリカに「成功させてもらった」のだという説があります。つまり、機動部隊がハワイへ向う途中、無線電波を発しながら航行したためアメリカ政府の首脳は機動部隊がハワイに近づくのを知っていた。ローズベルト大統領は既に始まっていた大戦に参戦したかったのだが、アメリカの世論が参戦反対だったため、その機会がなかった。 で、日本に第一発を打たせれば(ハワイを奇襲させれば)参戦の口実ができるので、ローズベルトは機動部隊がハワイに近づいていることを太平洋艦隊に知らせなかった。そのためハワイの米軍は警戒態勢を取らなかった。そして、日本の航空部隊は奇襲に成功した。だから、日本海軍は真珠湾を奇襲できたのだというのです。 日本海軍は真珠湾奇襲に『成功した』のでしょうか、それとも『成功させてもらった』のでしょうか。
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補足
>・・開戦後のイギリス情報部は・・JN-25を解読する余力はなかったと思われますが、いかがでしょう。 専門家ではないので良く分からないのですが、ドイツがポーランドへ侵攻する1939年9月よりも前ならば、イギリス情報部も余裕があったかもしれません。20年ほど前、イギリスのBBC放送が制作したドキュメンタリー番組「真珠湾攻撃~暗号を解いた情報部員たち~」では、JN-25は日本海軍が1939年の後半に使用を始めイギリス情報部が解読を行った。英連邦のオーストラリアには解読マニュアルを提供した。日本海軍が「JN-25」を使う頻度が徐々に高まったものの、依然として旧暗号も同時に使われていた。旧暗号の使用を停止して「JN-25」のみを使用するようになる迄に一年以上を要した。と、説明しております。イギリスは香港で日本海軍の電波を傍受し、暗号を解読していました。 >・・単冠湾へ各艦が集合する際、厳重な電波封止が行なわれると同時に、移動を秘匿するため、元いた基地からは多数の偽電が発せられました。後から記録を調べた場合、偽電かどうか吟味の上、選別する作業が必要になるはずですが、電文内容の吟味に関しては、どのように書かれていますか?南雲名義の電文が60本というのは、いかにも多すぎる気がするもので。 -引用始め- 戦後、元軍令部作戦課長の冨岡定俊大佐が「空母機動部隊は完全な電波封止を実施していた。瀬戸内海にいた主力艦隊と基地航空部隊が機動部隊の赤城、その他の軍艦になりすまして、空母機動部隊が依然として九州地域で訓練中であるかように見せかけて米側を欺くために偽電を発信した。」と述べた。 戦後の1945年から1946年にかけて行われた米議会の真珠湾調査合同委員会でT・B・イングリス海軍大将は、日本が偽電を実施して真珠湾攻撃前、空母部隊が瀬戸内海にいるように見せかけたと証言した。 戦争中の1944年、米陸軍査問委員会でキンメル大将の情報参謀だったエドウィン・レイトンは、「日本は偽電を実施した」と証言した。 しかし、1985年に刊行した著書の中で彼は、「日本が偽電計画を実施したとの意見を支持する者はいない」と、陸軍査問委員会での証言を取り消した。 -引用終り- つまり、日本海軍が組織的に偽電計画を実施した事実はない。しかし戦争直後、日米の海軍関係者が口裏合せをして日本が偽電を発信した事にした可能性がある、との印象を与える書き方になっております。 南雲忠一司令官の電文が多いのではないかという件ですが・・