- ベストアンサー
子供時代に友人を半殺しの目に合わせたことがある
小学生低学年くらいの事だったと思います。 普段近所で遊んでいた子をものすごく痛めつけた事があります。特にいじめられたりいじめたりという事はなかった関係で、とにかく仲良く頻繁に遊んでいたんですが。あるとき、何の遊びだかは忘れましたが、その子が意識的にか無意識的にか、自分を無視するような差別するような行動を取った(あるいは私がそう曲解した)時があって、そのとき、空前絶後ですが、ものすごい怒りがこみ上げてきたようなのです。私は非常におとなしい性格で、いじめた事もなければ、気に障ることもなかったのかいじめられた事もありませんでしたが、とにかくそのときは私の一生涯に空前絶後のような暴力を振るいました。髪を引っ張る耳を引っ張る鼻っ柱を殴るで、相手が血だらけになって家に逃げ帰っても追いかけていって、家の中にまで侵入しようとまでしました。大人に取り押さえられてやめましたが、あのままやっていたら本当に殺しかねないような勢いでした。 何がこれほど子供の心に凶暴な火をともしたのか、どうも自分で自分がわからくなります。そういう火種というのは、小学校低学年くらいから芽生えるものなのでしょうか。また私が異常なストレスを抱えていたのでしょうか。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
>私が異常なストレスを抱えていたのでしょうか。 :それとは知らずストレスを抱えていたのは確かではないかと思います。 ただ、その程度であれば「異常」ということにはならないでしょう。 今時(に限ったことではありませんが)の陰湿ないじめに比べれば遥かに健全な対応と言えます。 「>凶暴な火」は親の躾(と称されるもの)によって点されるのが一般的と考えますが、 躾が全く無意味であったり有害であるだけではないという点が難しいところです。 躾とは子に対する抑圧ですが、この抑圧が全くないと、子供は【乗り越える】という作業を経験しないまま大人になってしまいます。 程度が肝心ですが、世の中【ちょうど良い】ということはなかなか無いもので、子供のキャパシティを超えた部分が、吐き出す必要のあるストレスとして(無意識的に)認識されるのでしょう。 ところで、「乗り越える」ということは攻撃性、すなわち積極性の初歩トレーニングでもあります。 昇華させることができれば大きな実りの母体となる、ということもまた事実であろうと思われます。 人生にとって(特に子供にとって)抑圧が避けられないものである以上、何らかの方法で吐き出しておくことが、精神衛生上、非常に大事なことだと私は考えています。 その時、その感情を抑えていたらおそらく他の局面に歪んだ形で噴出していたように思います。 私も、いたって大人しいほうでしたが、ある時、当時は珍しかったキャンディーをポケットに大量に突っ込んで見せびらかす金持ちの同級生をもう一人の友人と「襲って」殴りつけ、キャンディーを強奪したことがあります。 その時も、キャンディーが欲しかったというよりは、金持ちの同級生が何か馬鹿にしたようにほくそ笑んでいた(ような気がした)のに非常に腹が立ったのを覚えています。 ある種の劣等感だったのかもしれませんが、必ずしもそればかりではなかったようにも思います。 もう一人の友人と何か打ち合わせをしたわけではないのですが、殆ど同時に飛びかかっていましたね。 絶妙の呼吸でした。(^^;) また、昔はよく子供同士の決闘があったのものです。 理由は、ただ「気に入らない」というだけなんですけどね。 下駄や棒などを使って血だらけになるまで喧嘩し、鼻がつぶれたり腕が折れたりなどということは良くありました。 子供というのはそういうものです。 弱い立場ですから多かれ少なかれストレスを抱えざるを得ないわけで、 このストレスをどこにも発散しない「大人しい子供」は、そのストレス発散の欲求が自壊作用として内向しますから非常に危険と言えます。 内向して処理しきれなくなったエネルギーが思いもよらない形で、本人の意図に拘わらず噴出してしまうことが往々にしてあるからです。 そういう方は、少しでも自分に正直になること、そして人生を恐れないこと、が脱出の手がかりになるでしょう。 >そういう火種というのは、小学校低学年くらいから芽生えるものなのでしょうか :環境からの刺激は、生まれた瞬間から火種になり得る可能性を常に秘めていると私は考えます。 たとえば生後間もない赤ん坊が日常的に虐待を受けていたような場合、それが「>凶暴な火種」として脳の記憶領域に格納されないと考えるほうが不合理だろうと私は思います。 思い出せないからといって影響を与えていないということにはならない、ということです。 これが無意識の神秘であり、闇でもあるのでしょう。 それをどのように昇華させていくのか、というあたりが自己実現に関わる個人の意識というものの力量が問われる点ではないかという気がします。
その他の回答 (2)
- backs
- ベストアンサー率50% (410/818)
心理学的な観点ではなく,私の経験上でいわせて頂きます。 少なくとも病的な行為ではないと思いますよ。流石に誰にでもとまではいいませんが,血だらけになって殴りあう喧嘩くらいするでしょう。それをいちいち病気扱いするというのもどうかと思います。むしろ,逃げ帰るだけの体力が残っていたのだから思っている以上にダメージは少なかったのでしょう。 私も基本的に血の気の多いトラブルメーカーは嫌いですが,拳を交えなければ伝わらないこともありますからね。というか,小学生くらいの子が大人ぶって議論するフリをして,もやもやに事を解決したように勘違いするよりは殴り合いの喧嘩をして白黒つけたほうが良いとも思いますがね。
お礼
そういう考え方もありますよね。私自身がまったく暴力沙汰(受けるのも与えるのも)とは縁のない人間なので、どうもこの体験が気になっています。ただ幼少時のどうでもいいエピソードと思えばそれで済む話です。こぶしを交えないとわからない事ありますので有効かもしれません。 ただ、なんというかそのとき「憎悪」感がものすごかったわけで、健康的な怒りでなかったようです。
- sally37
- ベストアンサー率25% (67/258)
キレちゃったんでしょうか? 小さいときですよね? 夜は早い時間(8時位)に寝る習慣ついていましたか? 育ち盛りのときに大人の都合で寝る時間が遅くなると 脳の成長を妨げるので キレる子供になりやすいと聞いたことがあります。 あるいは生活のなかでご両親が不仲とか、 経済的に苦労が多かったとかそういう不安定な環境ではありませんでしたか? 子供は親の愛情によって心が安定します。 親の暴力、あるいは愛情不足などでも影響することもありえます。 いつの時代でも変わらないですね。 現在はどうですか? 不安定なようでしたら、近くにその不満などを正面から受け止めてくれる方がいるといいのですが。。。
お礼
そう、キレましたね。何十年に一回でしょうか。というか他人に対して暴力を振るったのはこのときだけです。 もう小さい自分のことなので覚えていませんが、早く寝た事は寝たと思いますが、父親の接待の酒でいやな思いは頻繁にしていたと思います。そういうストレスはあったでしょうね。あとはなんでしょう、ちょっと体が弱くて自信がなかったし悲しかった事はあります。
お礼
大変ご丁寧なご回答ありがとうございます。 陰湿ないじめは本当にやり場のない思いがいたします。この話は「憎悪」の爆発ということでして、それが異常かどうか判断基準は難しいですけどもひとつの指針を示していただきました。 おそらく当時の私の苛立ちというのは、健全なしつけのストレスではなく、不健全はうちのストレスを反映したといえなくないのではと思われます。それがあるいは健全なしつけとしても、吐き出す必要があるのは同様でしょう。 しかしそういう凶暴性が子供にはあるのですか。それが必然的ストレスなのか本能的な凶暴性なのか、ミックスなんでしょうかね。 潜在意識への格納はおそらく普遍的にあるように思われます。その昇華は思いのほか難しいような気がします。