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解体新書は本当に辞書も何も無しで訳した?
前野良沢,杉田玄白,中川淳庵らが、江戸時代の中期にオランダの医書「ターヘルアナトミア」を翻訳し、「解体新書」と題して出版したとのことです。 前野良沢らは、文法もわからず、単語を数百かそこら書き留めたものがある程度で、手探り手探り翻訳を進めたと言われています。 私、あらためて考えてみて、信じられないんですけれども。 どんなに良沢,玄白らの「執念」「克己心」「根性」が超人的であろうとも、文法もろくにわからず、辞書もなくて本当に難しい専門書を訳せるのでしょうか。 しかも、その時点では良沢らもオランダ医学のことはほんの断片的にしか知らないはずです(シーボルトが長崎に来たのはずっと後のこと)。自分達が「知らない」分野に関する専門書を、文法も知らない人達が、何人かかろうが何年がかりであろうが、訳せるものなのかなァァァ……。 本当は、通辞を雇ってその人にほとんど訳させたんじゃないかなァァァ。 真相はどうなのでしょうか?
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問題は三人がどの程度人間の身体の知識を持っていたかではないでしょうか。 例えば日本語である程度の知識を持つ私が、ドイツ語の解剖学の本を入手し、翻訳を思い立った場合、頭、足、心臓、手、爪、髪などは容易に対訳が見つけられるでしょう。 静脈、動脈などは僅かな語彙を頼りに、その説明を翻訳し、日本語、中国語の知識を総動員して血の流れる管のことらしいと推測するに違いありません。 眉毛の翻訳に時間がかかったのは、顔を描いて眉毛の位置を示し、その横に眉毛と書いてなかったからでしょう。眉毛の様子と働きを文章で書かれたら、書いてあることが眉毛のことだと気がつくまでに時間がかかったのであり、眉毛が何かわからず訳語にてこずったのではない筈です。(もし当時の日本人が眉毛を違った呼び方をしていたとしても、それが訳語になります)数百の単語が分かれば、説明している文章の三分の一か半分近くは分かるでしょう。後は解体図を見ながらパズルを解くように判読していったものと思われます。哲学書等と違い、何が書かれてあるかは分かっているのです。即ち、人間の解剖図と細部の名称及びその働きです。
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- nabayosh
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この苦労話が書かれているのは「蘭学事始」です。 それによりますと、 良沢:「かねてより蘭書を読みたいと思っていたが、同志がいなかった。もしもみなさんが望むなら、前の年長崎に行って少々のオランダ語は記憶している」と発言。しかしこの時はアルファベット25文字を知らなかった。 で、その後「眉」の話などがあってから、この質問上重要な一文が。 「其頃『ウォールデンブック』といふものもなし。」 つまり訳辞書もなかったということですね。 さらに言うと、通辞(「蘭学事始」によると「通詞」)ですが、彼らはオランダ語の文章を読むことができませんでした。会話・通訳はできたのですが、書物を読むことはちょっと前まで禁じられていたのです。しかし、将軍吉宗に許しを得て、書物を読むことが許されたばかりです。 「ターヘル・アナトミア」というのは、人体図とそれに対応する名称が書かれたものがあったため、その部分だけでもわかることが大いに手助けになったのではないでしょうか。 信じられないほど気の遠くなるような話ですが、これが真実のようです。 「蘭学事始」を手許に回答しているので、自信ありということで。
- norimasa_m
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確か、司馬遼太郎さんがどこか(「この国のかたち」だったと思うのですが)に書いたことで、要約すると、、 彼らは、オランダ語の一単語が「眉毛」であることが分からず、何日間もそのページをじっと眺めて思考していた。3日目か4日目に、「この語は眉毛ではないか」と気がつき、それでやっと次の文に進むことが出来た。 彼らは、われわれが想像も出来ないような辛苦を重ねて解体新書を訳し、われわれ(の先祖)に欧米の知識を広めてくれたようです。
- kanten
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三人よれば文殊の知恵っていうじゃありませんか! 3人で3年半かければ、なんとかなるものだと思いますけど・・・