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江華島事件から日朝修好条規まで。
こんにちは、いつもお世話になります。 今回は、「大東亜戦争への道」という本を読んでいて気になったことを質問させていただきます。 日朝は、江華島事件から僅かばかりの時間で「日朝修好条規」を締結したわけですが、この間の話し合いはどのような形で行われたのでしょうか? 「どこで、だれが、だれと、どのような要素を、どのように」話し合ったか知りたいのです。 また、これが朝鮮がはじめて外国と結んだ条約であることは事実でしょうか? そして、「不平等条約」と言われる主因として、「領事裁判権(治外法権)」を日本が一方的に押し付けた、と言われていることですが、詳しくはどういう意味なのでしょう? おそらく第十款の事だと思うのですが、ここに「日本国内における朝鮮人に対する言及がない」と言うことが問題なのでしょうか? また、当時、日本は朝鮮に対して開いていた港はどこで、どれくらいの朝鮮の人の行き来があったのでしょう? また、貿易に関しての情報もいただけるとありがたいです。 質問が多く、纏まりもありませんが、よろしくお願いします。
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- tanuki4u
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