回答:朝鮮側の勘違いによる不幸な事件でしかありません。
この事件を、アメリカの黒船と同様に考える人もいますが、日朝間は江戸時代から交流があり、比較するのは間違いだと思います。当時の朝鮮は徳川幕府は認めていましたが、明治新政府を認めておらず、それらに関する話し合いが繰り返されていました。私は、日本政府は、強行に開国や通商を迫るつもりはなかったと思っています。
しかし、当時の朝鮮の政府があまりにも低レベルだった為に、交渉がスムーズに運ばず、それにより様々な問題が起こってしまったのではないのでしょうか。
事件当時の雲揚号の航海の目的は↓です。
●対馬海域の測量
●朝鮮の東南西海岸~清国牛荘の航路調査と研究
●帰路、琉球諸島を測量
雲揚号はまず、対馬の測量を行い、次に朝鮮東南西海岸から清国牛荘に向かいましたが、途中で、水が不足した為に、補給のため江華島に行き、事件がおこりました。
江華島事件の経緯は以下の通りです。
1:江華島に向けて給水要請の為のボートを派遣した。
2:朝鮮の砲台からボートに向けて激しい砲撃があった。
3:雲揚号が応戦し朝鮮の台場を破壊
4:その後事情聴取の為のボートを出したが、朝鮮が再び発砲
5:雲揚号が再度応戦
6:日本は上陸の後、朝鮮陣地を制圧
結果は、朝鮮側の死者35名、捕虜16名、(日本は負傷:2名のみ)
朝鮮側には相当の高官がいたらしいが逃走した模様。
事件のはじまりは2の朝鮮による砲撃ですが、以下の理由によるものです。
現場の朝鮮人が日本の国旗(日の丸)を知らず、日本の船とわからず、不審船による侵犯と誤認し、砲撃してしまった。
である以上、この事件の全責任は朝鮮側にあります。(朝鮮政府には日本国旗は既に届出られています。)
事件後、日朝間で大臣が会談を行っており、朝鮮側は以下の発言をしています。
●事件前に朝鮮政府が日本国旗を受け取っていたのは確かである。
●しかし、地方には見本・通達が届いていなかった。
●日本の軍艦と分かっていたら,そんな無礼な事はしなかっただろう。
この事件に関する日本の行動に関しては、以下の事が未だに言われています。
A:領海侵犯
B:砲艦外交
C:日本による挑発
Aですが朝鮮の砲撃理由を、雲揚号が無断で江華島水域の測量をしていたからだという意見があります。
しかし、上記の会談時、日本の黒田大臣を乗せた船は釜山→江華島間を、測量しながら航海した為に、20日も掛かっており、雲揚号が江華島の測量を行っていたとしたら、不自然です。
他にも、雲揚号は朝鮮沿岸を測量していますが、朝鮮は容認しており、問題は起こっていません。
Bですが、当時でも270トン程度の雲揚号で「砲艦外交」は不可能だと思います。
Cですが、この事件で日本が挑発行為を働いたという記録はありません。また、日朝は事件前から燃料の薪や水等の供給を約束しています。この事件では、雲揚号はそれに基づいて支援を要請しており、しかも少人数のボートを先行させています。
補足
江華島事件は特にどんな事件で 何が始まりなんでしょうか・・・ 教科書はあまりかいてありません