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「音楽的」とは
文芸(小説やポエムなど)を評するときに、しばしば「音楽的」という表現が使われるのを目にしますがこれはどういう意味でつかわれているのでしょうか?
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補足しましょう。 音楽というのは時間を必要とする芸術です。 もちろんリズムもそうなんですが、メロディーに関わる時間の役割というのは大きいものです。 文芸では何かを描写しているわけですが、その動作をメロディーと考えてみましょう。 文章というのは単語をばらばらにつなぎ合わせたものではありません(詩に例外はもちろんあります)。 動作が始まる瞬間から終わる瞬間までの、点と点をつなぐ線の役割を文章は担っています。 いわば、コマ送りではなく、しっかりとストリーミングになるようにということですね。 例えば子供が走っている様子をこんな風に描写したとしましょう。これは僕の文章なので、人から見れば全然音楽的ではないかもしれません。 「少年は額にじんわりと汗をにじませながら、だだっぴろい草いきれの中を駆けていた」 この場合、ハーモニーとして、「額→汗→にじむ→じんわり」というような言葉の噛み合わせが働いています。 リズムとしては読みやすい程度になっていると思います。 さて、メロディーですが・・・ 「少年は汗をにじませていた」 「少年は駆けていた」 の2つの点をつなぐことで、汗をかきかき少年の走る姿を映像として思い浮かべることができるのです。 これを、「少年は汗をにじませていた。少年は駆けていた」とやってしまっては、2つの点の因果関係は推測に過ぎません。リンクが弱くなるということです。 そして、止まっているものに対する描写もそうです。 「真っ赤なリンゴのように熟したあの人」(悪文ですが) この中に動作を表す語は含まれていませんが、「リンゴ」と「あの人」を「熟した」という言葉によってつないでいるわけです。 これが点をつなぐ作業ということになります。 メロディーとハーモニーは似ているというかもしれませんが、ハーモニーという意味では「人」という語がうまく調和しない、ということになります。 というのが僕の考え方なんですが。
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前の2人の方の回答で十分でしょう(素晴らしく捕捉のしよう無し) おまけとして: 小林秀雄(嫌いですが)は、文中に「モーツァルトの楽譜」を度々そのまま引用し、(日本語は縦記述だから、楽譜は本を左90度回転しないと読めない)非難ごうごうでした。(非難した人の何割が五線譜を読めたのか?)意図的な小林秀雄のこの例は『文章表現としては全く音楽的では無い』いい例でしょう。 ペーター全集が東京創元社から出ますが、宣伝文句に『全ての芸術は<音楽>を理想とする云々』とありました。時代的には、ドビュッシーの作品を頭の中でメロディ再現してみて下さい。そして詩人の「マラルメ」が翻訳のせいというか、「音楽的」な側面が日本人の理解不可能の一因(それのみでは無いが)を少し考えれば後は: 『あなたが、<音楽的>と感じる表現がこれから先体験されたら、その時に少し自己分析してみて下さい。』 P.S.他の2人の方の回答を良く読んで、それでも今後あなたが、『音楽的』表現だと感じる瞬間が無ければ、それは「音楽作品の体験」の不足・不勉強でしょう。たくさん聴いて下さい。「音楽作品」を!ジャンルを問わずに!!!(と言っても<エイベックスの創始者>は×。EL&Pの演奏覚えてるよ!同窓生だからな。鍵盤触るなよこの先は。)
お礼
アドバイスありがとうございます。 これから音楽作品もいろいろ聴いてみようと思います。
- nabayosh
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音楽の三要素というのをご存知でしょうか。 リズム・メロディー・ハーモニーというものです。 小説にしても詩にしても、読む時のリズムというのがあると思います。特に押韻のある詩ではそれが顕著ですね。リズミカルな文章。 そしてメロディー。音楽というのは時間に順うものですから、リアルな時間の進行(または停止状態)が見えるということ。 そしてハーモニー。言葉が全体の中にうまく溶け込んでいるか。歯車として支障を来していないかということ。 大体僕はこのように解釈していますが。
お礼
ありがとうございます。 なるほど。「リズム」と「ハーモニー」に関してはよくわかりましたが、 「メロディー」にあたる「リアルな時間の進行(または停止状態)が見える」 というのがちょっとわかりにくいです。
お礼
補足ありがとうございます。 とても具体的でわかりやすいです。 音楽の三要素は理解していたつもりですが、文学表現との関係性については今回の説明ではっきりと合点することができました。 とてもロジカルな意味があったのですね。質問してよかったです。私は「音楽=きれい」「きれいな文=音楽的」というような勝手な解釈をしていたもので。