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文章理解の問題

モンテーニュの随想録からの出題で、私には理解できなかった内容について教えて下さい。以下のA「嫉んで」の部分です。 問題文  人間がつねに未来の事物を追い求めるのを非難する人々がある。彼らは我々に、現在の幸福をとらえ、そこに安住する事を教える。来るべきものをとらえることは、過ぎ去ったものをとらえるのと同様、不可能だというのである。自然がそのわざをつづけるために我々に与えたものまでも、あえて誤謬と呼ぶつもりならば、彼らはたしかに最も共通した人間的誤謬にふれている。自然がこの誤った観念を、その他の観念とともに、我々の心に植えつけたのは、自然が我々の知識よりもむしろ我々の行動を(A)「嫉んで」そうしたのであろう。我々はけっして我々のうちにいない。我々はその向こうにいる。恐怖、欲求、希望は、我々を未来の方へ追いやり、現に存在するものについての意識と考慮を我々から奪い、存在するであろうものによって我々を楽しませ、かくして我々がもはや存在しないであろう時にまでいたるのである。 質問 上の文で、自然は我々の行動を「嫉んで」未来についての観念を植えつけたということでしょうか?この観念がそれ以前の我々に無かったのならば、未来に向けた行動も無かったように思われ、それに「嫉む」事はなかったように思ってしまいます。モンテーニュがこのような矛盾を書くはずはありませんので、どなたか正しい解釈を教えて下さい。(ちなみに文章は全文転記しており、この範囲内での解釈を求める五択問題でした)

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回答No.1

ここで「誤謬」と言っているのは、行動、すなわち「未来の事物を追い求める」ことではありません。 本来ならばとらえることができないはずの「未来に起こること」に対しても、わたしたちはさまざまな「観念」を持つことができます。まだ起こってもいないことに、恐怖を覚えたり、なにものか欲求してみたり、希望してみたり、ということは、わたしたちが日常経験していることでしょう。 けれども、それは本来なら「起こってもいないこと」をあたかも「起こったこと」のように思い描いている、という意味において、「誤謬」なのです。 誤謬とは、ここでは「起こってもいないことから生まれる観念」です。 わたしたちはどうしてこんなふうに「起こってもいないこと」を、リアルに思い描き、それに恐怖したり、喜んだりできるのか。 それはそういう能力を自然が与えたからである。 そうして、自然はどうしてそういう能力を与えたのであろうか。 それは、人間が、「我々はけっして我々のうちにいない。我々はその向こうにいる」ものだからなのです。すなわち、人間は、未来の事物を追い求めるという行動をとる生き物だからなのです。 そうして自然が妬んだのは「未来の事物を追い求める」行動。 その罰として、「誤った観念」を植えつけた、つまり、起こってもいないことをリアルに思い描き、悩んだり、恐怖を抱いたり、喜んだりしてしまう、という誤謬を犯してしまうようになった、と言っているわけです。 簡単に書いたので、わかりにくかったら補足要求ください。

haru84
質問者

お礼

大変丁寧に解説して下さり、ありがとうございました。ご回答を拝見して、やっと少し理解できたように思います。 「未来の事物を追い求める」行動       ↓に自然が嫉妬 誤った観念(人間的誤謬)を我々の心に植えつけた ということですね。私には最初の行動にも観念が必要だという先入観があり混乱したようです。ここでいう行動はあくまで行動であって、観念とは独立したものだったのですね。未来に向けた「恐怖、欲求、希望」の観念がなければ行動も起きないという勝手な先入観がありました。筆者の主張を整理して理解することが大事ですね。本当にありがとうございました。

その他の回答 (1)

回答No.2

   人と自然 ~ ルネサンス以後、進化論以前 ~    久々に難解な議論がはじまったので、門外漢として参加します。  この質問文は、どんなテキスト(教科書)からの引用ですか。  できれば書誌データ(訳者・刊行年・出版社)を提示してください。    原文が正しくても、訳文がまちがっている可能性があります。  文責は原著者に重く、訳者・解説者・教師の順に甘くなります。  学生は、しばしば誰も間違っていないという前提で矛盾を発見します。   訳文>自然がそのわざをつづけるために我々に与えたもの<  モンテーニュは、誰に対して、誰のことを語っているのでしょうか。  ダーウィンの進化論(反ローマ)を予知していたのでしょうか。   質問>モンテーニュがこのような矛盾を書くはずはありません<  すべてモンテーニュが正しいという前提は根拠がなく、まして訳文や 注釈がトンチンカンだと、チンプンカンプンの議論になりかねません。   回答>罰として(略)誤謬を犯してしまうようになったと言っている<  自然に与えられた能力によって誤謬を犯した人間を、自然が妬んで、 罰したのでしょうか。   <PRE>  Montaigne,Michel Eyquem de        15330228 France 15920913 59 /~随想録  Montesquieu,Charles-Louis de Secondat de 16890118 France 17550210 66 /~法の精神  Darwin,Charles Robert          18090212 England 18820419 73 /~種の起源 </PRE>    わたしには、つぎのようにも読みとれました。  知識人は、現在から推して、過去と未来を空想することができる。  楽しかった過去を記憶し、快適な予測を未来に伝えようとする。    自然人は、このことを羨望し、嫉妬するらしい。  自然人は、存在しない過去と未来を、論じることさえ非難する。  不愉快な記憶を過去に葬り、面倒な思索を未来に先送りするために。   ── 迷信の偏見は他のすべての偏見にまさり、その理屈は他のすべて の理屈に勝つ。 ── モンテスキュー/根岸 国孝・訳《法の精神 19660228 河出書房新社》  

haru84
質問者

お礼

とても丁寧で興味深いご回答ありがとうございます。 >難解な議論‥  海外の例に習って、日本の一部分野でもようやくソクラティック・メソッドによる教育が始まったようです。議論を通した理解は人間の欲求でもあるような気がします。しかしまだ私にはこういった議論に加わるに十分な知識がありません。あらゆる分野の書物を原著から読むくらいでなければいけませんね。強い興味を持っていますので、今後その過程を楽しめるのではないかと思っています。 >できれば書誌データ(訳者・刊行年・出版社)を‥  出典を示さなくてはと思ったのですが、教養試験の多くの例題の一つであるため、詳細は分かりませんでした。申し訳ありません。一般にこの手の問題集では、ある程度の論理的な解釈ができることを目標としており、それ以上の深読みは時間労力の浪費であると断じています。しかしそれでは面白くないという思いから質問させて頂いた次第です。 >すべてモンテーニュが正しいという前提は根拠がなく‥  とても重要な事を確認したような気がします。 >わたしには、つぎのようにも‥  「自然人」とすればここでいう矛盾が解決しそうですね。随想録とダーウィンの進化論との間におよそ300年の隔たりがある事を考えれば、例題は後者の影響を受けて訳された可能性がありますね。なるほど面白いですね。 いずれ原著で読んでみたいと思います。しかしそれまでは参考書通り受験テクニックを磨いてしまうのでしょうね。ありがとうございました。

haru84
質問者

補足

 皆様から期待通り、いやそれ以上のご回答を頂きありがとうございました。改めてネットコミュニティーの底力を感じ、嬉しくなりました。また何か機会がありましたらよろしくお願いします。(ポイントについては形式的に回答順とさせていただきました)

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