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カントの宇宙論
カントは 「銀河系の外にも銀河系と同じようなものが無数にある、それが星雲なのだ」 と言ったそうですが、なぜそんなことが認識できたのでしょうか。また当時なぜ銀河系と言うものが、外から見えないにもかかわらず、おおよその姿かたちが星雲と同様のものだと、認識されていたのでしょうか? また、もしカントの宇宙論についてご存知でしたら、いかなる概念を提唱定義したのか教えてほしいです。
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%80%E6%B2%B3 【1755年にはドイツのイマヌエル・カントが太陽系からの類推を元に、天の川はたくさんの恒星が重力で回転している天体で、これを内側から見ているために天球上で帯状に見えているとする説を提案した。さらにカントは、星雲のうちのいくつかは我々の天の川と同様の天体が遠方にあるものではないかとする指摘も行っている。】 <何故天の側は帯状に見えるのか>について考えた結果、実際宇宙に行って見なくても、推論でそうなると思ったんじゃないでしょうか。 ブラックホール自体は観測できませんが、現象を見て「あそこにブラックホールがあるに違いない」ってなってますし。 宇宙の最初はビッグバン 紐のようなもの。どっちなんでしょうね。 いつか解明されたとき、「昔の人はどうして見ないでもわかったのか」って言われるのでしょうか。 実際宇宙から地球を見なくても、「何故船の帆から見えるのか」に疑問を持った人が、「地球は丸いんじゃないか そう考えれば、マストから見えて当然である」となったようだし。 http://www.s-yamaga.jp/nanimono/chikyu/chikyunokatachi-01.htm 宇宙からの啓示ではなく、超能力でもなく、実際人間が持つ感覚をもって観測して推理できる範囲だと思います。 鍵は「どうして」と思うか 思わないか。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%83%8B%E3%82%AF%E3%82%B9%E7%9A%84%E8%BB%A2%E5%9B%9E 【人間の認識は外部にある対象を受け入れるものだという従来の哲学の常識に対し、カントは人間は対象そのものを認識することはできず、人間の認識が現象を構成するのだと説いた。人間の認識自体を問う近代的な認識論が成立した。】 この哲学カテでみなさんが言っていることと同じですね。 人間の持っている感覚で十分。 問題は <何故> をつきつめて考えるだけの興味を対象に持つかどうか じゃないかと。
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- MoulinR539
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カントの宇宙論は知らないのですが、天文ファンなので一言書きたくなりました。カントの時代はすでにガリレオ・ガリレイやヨハネス・ケプラーのころから100年以上経っています。ニュートンよりも後の人です。 すでに天文学も物理学も相応の積み重ねを経て、近代的な合理精神が旺盛なころですから、地球が太陽の周りを巡っている天体の一つに過ぎないことも、どうやら太陽も幾多の星の平均的な一つであることも理解されつつあったはずです。 そうであれば、我々を取り巻く天文的な環境は案外平凡なもので、似たものは宇宙の中にたくさんあるだろうという認識にたどり着くのはごく自然なことのように思います。もちろん最初に言い出すひとの英知と勇気はすばらしいものですが。 ギリシャの何とかさんという哲学者は、太陽は炎と燃える岩の塊であると喝破して追放になった、という話を聞いたことがあります。古代ギリシャは原子論も持っていましたね。考える葦も捨てたものではにということろでしょうか。ちょっと偉そうでした。
お礼
大分天文学も進んでいたので、前半生自然科学者だったカントにしてみれば十分発展の余地があったようですね。
- lv4u
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ネットで調べてみましたが、カントは『一視霊者の夢』という書籍のなかで、「スウェデーンボルグ」について考察を行っていたようですね。 スウェデーンボルグは巨大霊能者といわれてますが、50歳くらいまでは科学者として活躍しており、現代ならば3,4個くらいはノーベル賞をもらってもいいくらいの学者だったそうです。それが、イエスからの啓示を受けたあとに、さまざまな霊能力を発揮されるようになり、周囲から「おまえ、学者なのにそんなイエスからの啓示なんてことを言うと、バカにされるぞ」といわれる声に逆らって、自身の霊能力で体験した「天国と地獄の風景」とか銀河系の外に関することなど、さまざまなことを発表したようです。 同様な事例ですが、仏陀はパピラの木で「宇宙即我」の悟りを得たとき、いわゆる「幽体離脱」したあと、その体が宇宙全体に広がったといいます。「これ以上拡大すると神と等しくなる」と思ったとき、「お前はまだ、神になることは許されてはおらぬ。お前の今回の悟りは、宇宙即我を悟るまでのこと。宇宙、大宇宙が、自分の体であり、銀河系は神と同一であるような、大きな体の中心であり、心臓であり、また、太陽は、心臓の一部のなかの細胞であり、地球もまた、一細胞にしかすぎぬ。その一細胞のなかにまた、さまざまな生物たちが住んでいるという、そうした世界観を獲得したところで、お前の今回の宇宙即我の体験は十分ではないのか」という声を聞いたそうです。 仏陀の体が拡大していく過程において、アジア大陸やアフリカ大陸を見て、さらにクルクル回る青い地球を眼下にして、さらに太陽や火星や金星、土星を超えて、銀河系全体を見て、さらにそれを越っていったようですね。 つまり、相当の悟りを得たか、特別な使命のある方は、宇宙全体の構造をロケットや望遠鏡などの道具に頼らずに、この世で生きながら宇宙を霊視できるようです。 私たちは、肉体が自分自身と思っていますが、本来は時間も空間の制約も無い霊界で霊体として生活するのが本道であり、一時的に肉体に宿って3次元世界で生活することを何度も繰り返してます。いわゆる輪廻転生して魂の成長させているわけです。 そして、霊的視点からすれば、巨大宇宙も金魚鉢の中程度の代物でしかないので、全体構造の把握も楽々できるようです。 スウェデーンボルグに関しての本は手元にいくらかあるのですが、カント関連の本は無いので、彼の宇宙論については不明です。
お礼
神かかり的なことというのは自身が体験するしかないですね。
お礼
当時の自然科学をまじめに勉強していれば、ある程度の認識は持ちえたようですね。