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ハッブル以前の天文学者の考えとは?
- ハッブル以前の天文学者が遠くに見える天体を何と考えていたのか知りたいです。
- ハッブル以前の天文学者は我々の銀河系の外にも銀河が存在することを知らなかった可能性があります。
- ハッブルの発見は宇宙論の基礎を築く重要な一歩でした。
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ちょっと主なところを時系列で並べてみましょうか。 (1)16世紀を通じて地動説は天文学者の密かな常識となり、ジョルダノ・ブルーノなどは、全宇宙の中のありふれた太陽系を唱えて火炙りとなるものの、隣の太陽系が望遠鏡で確認された訳ではなかった(出来るようになったのは、今世紀に入ってから)。 (2)17世紀までの目視観測で、水金(地)火木土までは、惑星(遊星)という形で知られていた。その他の星々は、そんなに遠くない球殻上に貼りついていると一般には思われていた。 (3)1610年頃ガリレイは、土星までを初めて望遠鏡で確認する(月含む)。 (4)1687年初版のプリンピキアでニュートンは、地球-太陽のような2体問題の完全な解を与える。3体以上の問題は難しすぎて諦めるが、太陽系に対する力学模型の原型となる。 (5)イギリス発のニュートン力学は、デカルトの宇宙論が支配的だったヨーロッパ大陸において受容されるのに、約1世紀を要する。 (6)1758年に、ハレーの1705年の予想と一年ずれてハレー彗星到来。1781年、ハーシェルは天王星を望遠鏡で発見。 (7)1799~1825年の天体力学論でラプラスは、3体以上の惑星運動の平均的な安定性を、史上初めて示す(3体問題を解いた訳ではないが)。 (8)天王星の軌道のずれから重力源を逆算し、海王星が発見/観測されたのは1846年。 (9)1900年にケルビンは、もはや物理学(天文学含む)はほとんど完成されたという講演を行う。 (10)冥王星がほとんど偶然に発見されたのは、1930年。 ・・・こう見てくると20世紀初頭まで、科学のプロ達にとっても宇宙と言えば太陽系であった事がわかります。その他の星々は、太陽系周辺のその辺にあるという感覚だったんだと思います。ハップルの発見は1924~1929年です。冥王星の発見とかぶっているのが、なんとも象徴的ですよね。 ・・・では一般大衆は?。格好の題材があります。1920~1940年代にパルプ雑誌と呼ばれて流行ったものに連載された、スペースオペラの駄作群です(中には名作もありますが)。これらの舞台はほぼ、徹頭徹尾太陽系でした。太陽系を出ても、銀河系内が精いっぱいで、かなり数は希少です。そして銀河系を飛び出たのは、自分の知る限りただの二つ。 1928年に始まったE・E・スミスのスカイラーク・シリーズと、同氏により1937年に開始されたレンズマン・シリーズ。想像の中の世界にも関わらず、前者は銀河どころか太陽系外に飛び出た最初の記念碑的(?)作品。後半では銀河団を飛び出ますが、相対性理論は仮説と片づけ、超光速に達してしまう潔さ(^^;)。 後者は前者よりはるかに洗練された話になってますが、出てくる銀河はたった2個。大規模構造なんて、影も形もない。しかも特殊装置のおかげでニュートン力学風理屈のオンパレード。 ちなみに特殊相対性理論は1905年。一般相対性理論は1910年で、フリードマン宇宙モデルは1924年です。 たぶん一般大衆は銀河の外の銀河なんて、想像の中の馬鹿話と捉えていたんでしょうね。 現在2016年。思えば遠くまで来たもんです。
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- takuranke
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>質問:「我々の銀河系の外にも銀河が存在すること」を発見したのがハッブルだったというのが新鮮な驚きなのですが、ハッブル以前の天文学者は遠くに見える天体を何だと思っていたのでしょうか? 星の集まりという認識です。 すくなくとも観測はされていたので。 ただ、銀河系(地球のある銀河)内にあるかまたは銀河系の重力の影響を受けるような近くにあるという認識だったようです。 ハッブルのアンドロメダの距離観測の発表の17年前にヴェスト・スライファーという天文学者が、明るさの強い星雲を分光法で観察した結果、赤方偏移していることがわかり、それらの星雲が銀河系の影響を受けていないことが知られるようになりました、また、ジエイムズ・キーラーやウィリアム・キャンベルもハッブル以前に赤方偏移の観測をしていたそうです。 10世紀あたりなら雲という表現、 アンドロメダ銀河は、964年アブドゥル・ラフマーン・スーフィーによって「小さな雲」と著書に記述されています。 大マゼラン雲は、マゼラン以前の航海者からは「ケープの雲」と呼ばれていたそうです。 アンドロメダの望遠鏡による初観測は1612年12月15日ドイツの天文学者シモン・マリウスがに行い「角灯を透かして輝くロウソクの光」のように見えたと記述しています。 以降望遠鏡の発達により細かい観測ができるようになりました。 天の川が星の集まりであると証明したのはガリレオ・ガリレイの観測によるものです。 それ以前から星の集まりという仮説はたくさんありました(最初は紀元前のギリシアの哲学者) ちなみに銀河系の形(渦巻状銀河)がわかったのは1930年、ハッブルのアンドロメダの距離観測の発表の翌年。
お礼
観測の解像度が悪い時代は、アンドロメダが恒星の集まり(=galaxy)ではなくて、宇宙塵やガスの集まり(=nebula )だと誤解していたというのは説得力がありますね。 しかしHubbleが活躍した20世紀になるまで、宇宙のこと、天体のことなどまるで理解していなかったというのが実態なのですね。 最近はいろいろと宇宙の初期段階や宇宙の大規模構造などが判明・観測されているようですが、まだまだ我々人類の知見は未熟なもので、この先にもコペルニクス的な大転換があると思った方が良いのでしょう。 楽しみですね。 どうもありがとございました。
- notnot
- ベストアンサー率47% (4900/10358)
アンドロメダ星雲という言葉があるように、オリオン星雲のような星間物質の輝きと区別付いていなかった。 >遠くに見える天体 そもそも距離が分からなかった。
お礼
なるほど。 観測の解像度が悪い時代は、アンドロメダが恒星の集まり(=galaxy)ではなくて、宇宙塵やガスの集まり(=nebula )だと誤解していたというのは説得力がありますね。 どうもありがとございました。
- maiko0333
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銀河は雲と思っていたようですね。 星雲もあることですし。
お礼
観測の解像度が悪い時代は、恒星の集まり(=Galaxy)と宇宙塵やガスの集まり(=nebula )の区別がつかなかったというのは説得力のある解説ですね。 どうもありがとございました。
- maiko0333
- ベストアンサー率19% (839/4401)
天体までの距離を測るすべを持っていなかったので、 一定距離の半球上に星があると思っていたのです。
お礼
投稿ありがとございます。 星の事ではなくて、銀河の事を質問しております。 まさか、銀河を観測しながら、それを「星だと思っていた」なんて事を仰っているのではないですよね(笑)。
お礼
思えば遠くに来たものですね。 しかし、この先も、ビッグバンの直前にあったとされるインフレーション仮説が否定されるような、一様等方でない観測事実が発見されたりするのでしょうね。 数学の世界で位相幾何学で論ぜられる他次元空間が物理的な宇宙空間に適用される可能性だってゼロではないですね。 明治生まれの祖父が、銀河が沢山あると聞いたら、どう思ったでしょう。 どうもありがとうございました。