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明治の留学
明治に伊藤博文などが欧米に習い事に出かけたときどう言う状況で入ったのですか?大学の聴講生にでもしてもらったのですか。
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明治維新を担った人物を語るとき、トーマス・ブレーク・グラバー(Thomas Blake Glover, 1838年6月6日 - 1911年12月13日)の存在を抜きに出来ません。 坂本竜馬による亀山社中のスポンサーであり、薩長同盟を実現させた武器購入を一手に引き受け、多くの若者を英国留学させています。 年齢的にも幕末の志士たちと同世代で、竜馬の二才年下、 伊藤博文の三才年上です。 長州藩の英国留学の志士五人を称して『長州ファイブ』(「伊藤俊輔[伊藤博文](22)・井上聞多[井上馨](28)・山尾庸三(26)・野村弥吉[井上勝](20)・遠藤謹助(27)」といいます。 その留学の経緯は次のURLを参照下さい。 http://www.c-able.ne.jp/~tseiso/ishin/tyousyu5.html
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- inamikunihara
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「長州ファイブ」という映画が今春公開されるようです。 そういった内容についての映画のようですので、是非ご覧下さい。 私も楽しみにしています。
お礼
ありがとうございました。
- komes
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当時の留学者や視察者の目的は学問の修得よりも実学的なものに目的がありました。 伊藤博文にしても統治の政体、憲法、政治組織といったものが主目的ですから議会や政府機構に学んだとおもいます。 ヨーロッパの大学ではこのような実学を学ぶ事は困難ですし、迂遠だったと思います。 その他の留学、視察者にしてもそれぞれ、軍事組織、教育制度、兵器戦術、産業経済構造など目的を明快に持っていたので専門的に実務を学習する必要があり大学に学ぶ人は少なかったとおもいます。
お礼
ありがとうございました。
お礼
参考資料ありがとうございました。