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見えている世界が違うのに関わりを持っている??
最近訳あって自分は自分一人に対する世界しか知らなかったという事に気付いたのですが、この質問を見た方も僕と同じ様に「孤独だが、孤独でない自我」みたいな感覚を持っているのでしょうか…この前までは自分はみんなと一緒に生きている、生かされていると思っていたのでハッキリ言ってすごく残念な気持ちでいっぱいです。もう他人がどこにいるのかよく分からなくなってしまいました。しかし、もしかするとこの考えは自分の行き過ぎた妄想で、それが強迫観念の様になってしまったのかもしれません。皆さんどう思いますか?
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同じ地平に存在するのは、異なるかもしれない世界の共通部分を見出すためではないでしょうか。共通部分をつなげることで世界同士を融和させられれば人間の孤独は一時的にせよ打ち消されます。 自分一人に対する世界とは言い換えれば自分を主観とした世界のことではないでしょうか。主観はほぼ自己同一性とセットなので自分のものが他人のものと重なることはありません。 他人はあなたが望む場所に存在しています。距離をどうとるかはあなた次第です。あまり強迫観念や妄想だと強く思いすぎないほうがいいと思います。意志がその方向へ引かれていってしまいます。あなたは別におかしくないです。私もそう考えていた時期が過去にありました。
- katsuo
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どんな人も他人がどんなことを考えてるかは正確にわかりようがないけど、自分はこの時はこんな気分だった、あんなこと言われた時はこんなこと思っていたと自分の経験から勝手に仮定して、相手の考えてることを理解しているつもりになっているだけです。 つまり、すぐ隣に人がいて、その人とあれこれ楽しそうに話をしていても結局自分だけが楽しくてその自分が勝手に相手も楽しいだろうと仮定しているだけで、実のところは相手の気持ちなんてわかるはずがないのです。 そう考えると確かに自分は自分一人の世界しか知らないと言えると思います。しかし、それはあくまでも精神的な話で、実際にあなたが見えている人間は少なくともあなたにとってはそこに存在しているわけで、決してバーチャルリアリティではありません。 あなたが完全に他人を避けて行動しない限り、あなたは他人と一緒に生きているということになると思います。だから、あなたの考えはわかりますが、他人が目の前にいるものはいるのだから、その人達と少しは分かり合えるよう生きていく他ないのでは。めんどくさいけど、他人がいて楽しい時もたくさんありますし。
- kigurumi
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生きている限りの永遠のテーマだと思います。 ちょっとズレるかもしれませんが、、、 http://72.14.235.104/search?q=cache:dxpSwPWho8gJ:tekipaki.jp/~gon/park/kotoba9.htm+%E3%82%BD%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%80%80%E8%B5%A4%E3%81%84%E6%B0%B4&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=8 ずーーっと下の方に「赤い水」「青い水」について書いてあります。 赤い水を飲んだら「ジュースは甘くて、へんてこな味がした。さっきとなんにも変わらないのに、なにもかもが一つのものみたい。なにもかもが一つの意識みたい」 青い水を飲んだら「さっぱりしていて、すっぱかった。ばらばらに離れていった。」 この中間が人間の座だと思います。 天と地の間ってやつでしょうか。 アニメの新世紀エヴァンゲリオン。 これは一つになりたいという永遠の孤独からの脱却の手段として、人類補完計画が実行されたとしているように思えます。 <青>い使徒と<赤>い人間がどっちが生き残るかと壮絶な戦いをするように一見見えるのですが、実は両者の融合だと思えます。 その融合の介在者が使徒であり人間であるエヴァンゲリオン。 といっても人間も結局は使徒なんですけどね。 で、シンジは赤でありながら青い魂を持っているんです。 そしてどんどん青に染まっていく。 そして青くなればなるほど、「みんな死んでしまえ。僕も死んでしまえ」という考えになっていく。 他人の存在をウザイと否定すること、共感が持てなくてそれによって発生した孤独感という存在が許せなくなると、こうなっちゃうわけです。 シンジは強い自我(ATフィールド)を持っています。 その殻に閉じこもっていながら、他人と共感を得たいと熱望するので、孤独感は癒されないわけです。 しかも傷つけられたくないということからATフィールドの厚い膜を張っているので、なおさら無理なわけです。 迷いに迷っているシンジにレイが話しかけるんです。 (レイとは仲介者的な存在←あくまでも私の理解です) そして「僕はいてもいいの?」と存在してもいいのか聞いたと思います。 それに対してレイは無言でした。 (どうして無言だったのかは最終を見ればわかります) レイの無言によりシンジはもう最後のふんばりがきかなくなり、結果を出すんです。 「みんな消えてしまえ」と。 どうなったか。 みんな消えました。 ええ 人類全部消えました。 何も無い空間にレイが出現します。 でも、シンジはどこからが自分でどこからがレイなのかわかりません。 そしてついに「傷付けられてもいい 孤独でもいい 誰か他者がいて欲しい」と願ったとき、アスカ(赤の象徴)が出現しました。 シンジはまだやっとスタートした段階で、もろいので、自分が願った他者 わかりあえない わかってもらえないという象徴のアスカのクビを占めて抹殺しようとします。 でも、そんな弱い自分が情けなくなって泣き出します。 また 同じことの繰り返しになってしまう。 泣いているシンジを見たアスカの一言が「気持ち悪い」 痛烈な他者からの一撃ですが、これに耐えたら再生できます。 多少 私の解釈と違いますが、ここなんか参考になるかもしれません。 ↓ http://homepage3.nifty.com/mana/message.htm#TOP
- mof
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mofです。 私も高校生の頃は、生きること、人間がなぜ存在するか、なぜ世界から人間が生まれたか、など様々な疑問に頭を悩ましました。上の考えについては、特に進展もなく、「ま、いっか」ということで、今に至ります。ごめんなさい。 私は哲学よりも物理学、宇宙理論に関する本をよく読みました。その結果、未来は波動関数の収束によって決定付けられることや、あるいは数学の時間に習った虚数の概念などに触れ、これらが私なりの世界観に結びつくことなのですが、簡単にいうと私達が知覚できる世界の在りようとは全く異なる次元が存在し、その一部分だけを自分は見ているのだということが確信できました。私にとってはこの事の方が大切な事だったのです。とても晴れやかな気持ちでした。また、およそ自分の考えそうな命題はひとしきり気がすむまで考えたので、次第に別の分野に興味を持つようになっていきました。結局今でもジャンルは変われど色々なことを考えるのが好きです。 ですからnao-kunnさんの考え始めると止まらない気持ちはよくわかります。人生は短いとよくいうけれど、私はたっぷりあると思っている。あせらず、気になることは気がすむまで考えてみれば良いのではないでしょうか?私が考えなかった事もぜひたくさん考えて下さい。必ずしも明確な答えに辿り着くとは限りませんが、全く同じ事を二度考える人間はいませんから、考えを巡らすうちにだんだんネタがなくなって、案外一つのことについてそう長い時間考えていられるわけではありません。たくさんある疑問や不安もそうやって解消されていきます。 nao-kunnさんは自分の自我について非常に深い切り口で考えようとしてらっしゃいますね。私の個人的なアドバイスとしては、自我はそれ単体で極限まで考えつめると虚無です。(持論です)自我のみを取り上げてその何であるかを問うても最後は虚無なのです。私はそのことに絶望しました。それはもうヒドイもんで…。私の知り合いでこのような絶望感に悩んだという人は一人もおりません。でも結局他人も含めた世界との関わりににおいて初めて、自我は生まれるのです。従って、考えるべきことは、専ら自我と世界の関係性を明らかにすることではないか。ここまでが私が高校時代に「考えた」こと。そしてその後どうしたかというと、 今私は学者ではありません。理論的にこれ以上何かを構築することはしていません。芸術っぽい方向に歩み始めたんですね。 実は音楽を聴いたり、絵を描いたり、話したり、色んな事を思ったり、感じたりすることが、考える以上の成果を与えてくれる気がします。もっと長い時間を生きて、色々な経験をしていく中で、自分自身についても世界についても確かなものが見えてくるのだと思います。 nao-kunnさんは私と違う人間だから、何を考え、信じるかはあなたの自由ですよね。だから、ああしなさい、こうしなさいというのは私はないですよ。 でも私の場合はこんな感じでした。参考になりましたか?
共認回路が違うと、 多数大勢と過ごす時間があっても孤独に感じる時もあったり、 色んな感性があるのが人間で 一人きりで「地球の未来は私が守る!」ぐらい ボーダーレス感覚の人もあるでしょう。 自分に捕らわれると自分が見えなくなります。 他者を思い遣る時に自分が映しだされてはっきり見える (対する相手は鏡)ということですね。 今思春期で成長前にある静の時期なのだと思います。 虫や爬虫類なら脱皮とか変態するので著しく変化しますが、 人間は肉体的には急変はしなくても メンタル面や思考の部分は ある節目で急成長するように思います。 弱者で従順「即場の習得」という子供の安全欲求特性から 「関連の模索」広がりが源泉に逆流するがごとくな ホルモンやらも影響している時期ではないでしょうか。 その為に独占欲や反骨心も生まれて自然で 孤独とはかかる欲求の深さです。 孤独を妄想とか闇とは言いません。 それがないという人がいたら、きっと変な人です。 善悪や美醜や正誤は理性に任せても 必要か不用かを誤らない感情こそが孤独には要る。 誰かの幸せを願ったり、 感謝に至るという経験が訪れれば、 孤立してはいても、 共認回路が孤独に逆する「理解者」として 無意識に明るく楽しくなれてしまうものですよ。 明るさの前では悩みすら解決してしまいます。 健全な肉体は自分のため。 健全な精神は人類のため。(武者小路実篤/人生論)
- mof
- ベストアンサー率37% (6/16)
おっしゃる意味が難解なので、できればもう少し詳しい説明を頂きたいのですが、「見えている世界が違うのに関わりを持っている??」をヒントに私なりに推測してみました。違っていたら申し訳ありません、なおさら貴方を孤独に感じさせてしまうかも知れませんが、少なくとも私が貴方を孤独から救いたい気持ちから書いたことだけは信じて下さい。 私の推測 (1)この世界で、貴方と同じ肉体を持ち同じ時間同じ場所にいる人は一人もいないので、あなたの見た世界も聴いた世界も全てあなただけのものである。 (2)さらに、(仮に)貴方が郵便ポストは赤いと感じ、別の人も「ポストは赤い」と言ったので、その人も自分と同じようにポストは赤いと感じていると貴方は思っていた。また、貴方が「ドラえもんは面白い」というと、別の人も「私もドラえもんは面白いと思う」と言ったので、その人も自分と同じようにドラえもんは面白いと感じていると貴方は思っていた。 (3)ところが、よく考えてみると何が赤くて何が面白いかを決めているのは自分の心である。同じ世界の同じ事象を見て感じていても、その見え方、感じ方が誰でも全く同じであるかは(1)より断定することは不可能。その人にとっての「面白い」はあなたにとっての「つまらない」に相当するかもしれないし、「つまらないね」という同意を得るために「私もドラえもんは面白いと思う」とその人は言ったのかも知れない。 (4)そして貴方は困惑した。同じ世界に生きていて、なおかつ心の内では全く異なる感じ方をしていても、互いの会話が互いの心の中でつじつまさえあっていれば、誰もそのことを疑いはしない。だが、貴方だけがこのことに気付いた。気付きさえしなければ、一生感じることはなかったであろう人間の孤独さ。そして、それを完全に否定することは不可能であるという結論に至った。 (5)そこで貴方は、ここに掲げてある質問をすることにした。 とします。 もしそうだとすると、少なくとも、貴方と同じ疑問を抱き困惑したことのある人間がここに一人います。その一点において、あなたは決して孤独ではありません。
お礼
お返事本当にありがとうございます 僕の考えを分かりやすくしますと、同じ世界を見ている保証の無い人間同士が何故同じ地平に存在し合っているのかという事です。これを肯定的に捉えると個人の世界観というものかもしれないし、個人の自由につながる為に必要な条件だとも思います。もしかしたら僕は他人ともっと深く関わりを持ちたいと思っているから、こういう疑問で不安になってしまうのかもしれないと思い始めました。mofさんも同じ様な疑問を抱いたという事でしたが、もし良かったらその後どういう風に考えが変化していったのか教えて下さい