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自我の弱い世界
自我が強いと、欲求により素直な為何かと衝突が多くなります。 (現に私がそうです) だからもし自我の強すぎる人間ばかりの世界になってしまったら 世界は戦争の末に崩壊してしまうのではないかな、と考えてました。 そこで疑問に思ったのですが、 自我が弱い人間ばかりの世界になったら 世界はいったいどうなってしまうのでしょうか? ここではあえて自我が強いという意味の逆の意味として 自我が弱い、という言葉を使わせていただいたのですが、 要するに協調を最優先し、なるべく自分の意見よりも相手の意見を尊重し、時には自分の欲求すらひっこめるような、そんな性格の人を浮かべて下さい。 ややこしい質問ですみません。 イラク戦争でアメリカのブッシュがとった行動が、 国連の決議が出されるより早く 自分だけの考えのみで宣戦布告してしまったことに対し、 世界がアメリカのような性質ばかりの国になってしまったら 一体世界はどうなるのだろう、と考えた末なのです。
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- Umeshaan
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『自我が強い』というのは、他者と比べて初めて分かることです。 そしてもし、『自我の弱い』者同士の社会になったらどうなるか。。 また周りの人間と比べるでしょう。そうすると、自我が弱い者たちの中でも、 周りと比べると“比較的自我が強い”者が見えてくると思います。 するとどうでしょう、本来自我が弱い者しか居ないはずなのに、自我の強い者が 存在する。 つまり、“今の世の中”ということです。
- 阿加井 凛悟(@neutral)
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無我といえば・・お釈迦様・・・ですか。へえ。 仙人とか聖人とか言われる人もそうなんですかねえ。 でも、それはそれで、一種の人格障害なんだと思いますけどねえ。 だいたい、自我が無い人だらけたったら、この世にコミュニケーションなんて行為はなくなっちまうんぢゃないかな。 だってさあ。 自我が無い人って、自分の欲求とか感情に鈍感だったり、気付いていても無視したりして、要するに「協調を最優先し、なるべく自分の意見よりも相手の意見を尊重し、時には自分の欲求すらひっこめる」わけでしょ。 そんな人たちばっかだったら、それこそ「こいつには何を言ってもいい。こいつには何をしてもいい」ってことになって無法地帯になっちまうんじゃないかなあ。 で、その被害者は(何をされてもされるがままの人)は、やたら相手の顔色を伺って生きる、ロボットみたいになっちまうんぢゃないかなあ。 ・・だととすると、やっぱり、強いものと弱いものが生まれるのではないかと。 あ、なんだか矛盾してきたぞ。 そもそも、自我が弱い人たちばかりだったら、という設定に無理があるような。
- souziki
- ベストアンサー率24% (116/482)
多分、自我の強い人が生まれると思いますよ。 自我の弱い人だってそれなりのコンプレックスがありますし。 自我の弱い親は、子供を叱れないと思うんです。 だって「それはしてはいけない」という自我を出すことが出来ない。そうして育つと、子供は自我の強い子になるんじゃないかな。 あくまで想像ですけど。 それに、仲間同士でもそうです。 誰もが譲り合って、自我を消していても、誰かが一人自我を通さなければいけない場面があります。 そのときは、その人が自我の強い人となります。 仕方ないんですけどね。 逆に、自我が強すぎる人だらけでも、自我の弱い人が生まれます。衝突して生きていくことは少々面倒ですから、少しぐらい、自我を弱くしても喧嘩が避けられるなら、という仲間内でそういう人間が生まれるか、自我の強い親を持って押さえつけられてきた自我の弱い子が生まれるかすると思います。 ほどほどにバランスがとれていくんじゃないかなぁ。
- Quant
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自我が弱い=無我ということでしたら、お釈迦様が説かれています。 お釈迦様が考えられたような世界になるかどうかはわかりませんが。
- 阿加井 凛悟(@neutral)
- ベストアンサー率29% (231/773)
自我が強い→衝突が多い・・・とは限らないと思います。 自我が強いのは、ちっとも悪いことではないと思います。 自我が強いということは、「自分を尊重している」ということだと思います。 そういう人は、破滅的な行動をとるようなことは少ないと思います。 衝突するのは、自分の欲求や感情に鈍感だったり、ちゃんと気付いていても、それを無視してしまったりするため、ほったらかしにされた欲求や感情が不適切なカタチでひょっこり現れてしまうためではないか、と思います。 自我が強い人は、それをうまく表現する方法を心得ています。 そして、的確に自分を満たすことができます。 欲求や感情は自然に発生する、いわば「屁」みたく健康的なもので、別に悪いものではありません。 なのに、自我が弱い人は、「協調を最優先し、なるべく自分の意見よりも相手の意見を尊重し、時には自分の欲求すらひっこめるような」ことをして、その健康的な欲求や感情を抑え付けたり後回しにしたりしがちです。 もちろん、そうしたからといって、欲求や感情は、消えてなくなるわけではなく、未処理のまま、蓄積されていきます。 それが、病んだ心とか、犯罪とか、争いごととか、そんなものにつながっているような気がします。
- weiemes15
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『なってしまったら』ではなく、もう『なってしまっている』と思います イラク戦争の開戦にしたところで、我を張ったのはアメリカばかりではありません アメリカの査察延長案にフランスが拒否権を振りかざしたりせずに、協調してフセインに圧力をかけていれば、もしかしたらフセインも折れていたかもしれません もちろんフセインには12年間ずっと折れる(停戦決議を遵守する)チャンスがありました 国連だってどっぷり利権に浸かっていました (フセインとの)協調を優先したといえば聞こえはいいですが、決議違反状態のまま制裁が続いた方が得になる連中の、結局は我欲です