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助けてください

こんにちは。私は今、すごく苦しんでいます。小学生の頃から強迫観念症に悩まされてきました。そして中学3年の受験の時期、その症状にある変化が起きました。これまで架空の被害妄想(火事になったらどうしようetc )にのみ向けられていた不安の対象が、目の前の人に変わりました。非難されるのを承知で書きますが、たとえばテスト中、ふと勉強の不得意な子の顔が浮かんで『この子のように勉強が出来なくなってしまう』という強迫観念に駆られます。そういった自分の不安対象となる人たちが今では3桁に上るほどいて、四六時中、頭の中をかけ巡っては、不安とパニック状態に陥ります。感覚的には その不安対象の人になってしまった錯覚に陥り、その後の全 がその人がやりそうな行動や結果となる。といった何とも馬鹿げた不安症状です。実に自分勝手な被害妄想に感じるでしょうが、もはや自分というものがなくて、常に他人に憑依されているような気分です。 間違っている。そんなはずはない。そう言ってもらえるだけでも有難いです。ただ鏡を見ても不安対象の人たちがかけ巡っては、自分の体がぐにゃぐにゃ変わってみえます。本当に 苦しくて仕方ないです。どうか私に 一喝してください。その言葉を現実としての確かなものにしたいんです。

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  • smi2270
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回答No.5

病気でも何でもないと思いますよ。 御自身を他人と比べてしまう癖が付いて 負けたらどうしよう・・・!と言う 不安が 被害妄想のように感じるんだと思います。 あなたはあなた!他人は他人!です。 他人が幸せそうに見えても そうではないかもしれない 逆に その他人は あなたの事を羨ましく思ってる可能性もありますよ。

natsuki1108
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。 確かに病的なものではなく、性格的なものかもしれません。。自分は自分、他人は他人、その境界が度重なる被害妄想によって揺らいでいるように感じます。仰る通り 他人と比べることで自分の評価や価値を決めていたのかもしれません。自分のアイデンティティを見つめなおすことで、自身の価値や良い面、また他人のそれを見出せていけたらと思います。ありがとうございました

その他の回答 (5)

noname#213651
noname#213651
回答No.6

本当に学生さん?

  • ootemon
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回答No.4

そんな風に考えても実際はそうならないんだからいらんことはかんがえないことですね。 考える時間も無駄ですよ。

natsuki1108
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 まさに仰る通りで、現実に起こるはずのない杞憂に時間をとられるなんて、本当に時間の無駄だと痛感しています。分かってはいるのですが…なかなか自制が効かない部分もあって苦労しています。しかし無駄と言い聞かせる努力もまた必要なのでしょうね。ありがとうございました。

noname#207821
noname#207821
回答No.3

強迫観念が強いということは、次のような特徴があると思います。 1)細部に対する注意力・観察力がある。 2)まだ起きてもいない、ずっと先のことまで気に掛けている。 3)比較をしたり違いに拘るのが癖のようになっている。 4)失敗をすることに対し恥の意識を強く持っている。潔癖である。 5)他者からの評価を強く気に掛けている。 6)物事に対しての原因の追及をしたがる。 7)結果主義者である。 上記の1~7に関しては度が過ぎると生きづらさを感じると思います。 だけど、これで助かっていた面もあったことでしょう。 でも、それがなぜ病的なまでになり、自分を苦しめてしまう迄になったのか。 それは、自分の能力以上の自分像を渇望したからなのでは…。 なぜ、そう思ったのかと申しますと、 >そして中学3年の受験の時期、その症状にある変化が起きました。これまで架空の被害妄想(火事になったらどうしようetc )にのみ向けられていた不安の対象が、目の前の人に変わりました。 とあるからです。 中3の受験シーズン、このときは質問者さんは人生の一大転機を迎えていると認識していて、自分の能力を一気に高めなければいけない、将来が掛かっているんだからと、これまで以上に緊張が高ぶり多大なストレスを抱えていたと思います。 思ったように学力が伸びなくて、焦りを感じていらっしゃったのではないでしょうか。実際に学力が伸びても、もっと上の学校を狙うように周囲から望まれていたとか、自分でもそうしなければいけない、その道しかないと思い詰めていたとか…。 そんな風になると、不安の内容は自分の能力そのものに目が行くし、予期不安も強くなってしまうと思います。 その結果が、 >たとえばテスト中、ふと勉強の不得意な子の顔が浮かんで『この子のように勉強が出来なくなってしまう』という強迫観念に駆られます。そういった自分の不安対象となる人たちが今では3桁に上るほどいて、四六時中、頭の中をかけ巡っては、不安とパニック状態に陥ります。感覚的には その不安対象の人になってしまった錯覚に陥り、その後の全 がその人がやりそうな行動や結果となる。といった何とも馬鹿げた不安症状です。  ~ということだと思います。 質問者さんは、強迫観念の内容から、自分のことを差別主義者のように感じて苦しんでいらっしゃるんだと思いますが、差別主義だからそうなったんじゃなくて、最初の切っ掛けになった想像がものすごく具体的で、自分でも解りやすかったし、そんな感情を持った自分が許せなくて、強く意識してしまったから「そのときの思考法が刷り込みされてしまった」んだと思います。 「私はこんな不安を持っている。私はこんなに嫌なところを持った人間なんだ」と自覚し傷付いたから、強迫観念がさらに強まって、ドツボに嵌ってしまったんだと思うんです。 治療法にはこれですよ、などということは出来ませんが、潔癖なところをもう少し緩めないと苦しいと思います。想像する度に、その対象となった人と自分の分と二重の苦しみに苛まれるわけですから。 >常に他人に憑依されているような気分です。 間違っている。そんなはずはない。そう言ってもらえるだけでも有難いです。 >ただ鏡を見ても不安対象の人たちがかけ巡っては、自分の体がぐにゃぐにゃ変わってみえます。本当に 苦しくて仕方ないです。 憑依されているような気分。表現としては正しいのでしょう。 だって、頭の中が不安対象の他人のことで一杯で、自分の姿までも変わって見えてしまうんですから。 だけど、他人からみたら、質問者さんの姿は変わらないし、憑依されているように感じられる対象になっている側も、自分が憑依した感覚はないし、質問者さんの体も思考も乗っ取ってやろうなどとは思っていません。 質問者さんが自覚なさっているように、それは妄想です。 だから、姿かたちまで他人になってしまうなんてことはありません。 DNAの書き換えは起こりませんから、あなたが他人になってしまうということはありません。大丈夫です。 先程も少し触れましたが、おそらく、質問者さんは潔癖なんだと思います。 潔癖だから、ふと、「この人みたいになってしまったら、嫌だな…」と思ってしまったし、潔癖だから、そんな風に人を見下してしまった自分が許せなくて、どこかで自分を罰したい気持ちがあるので、余計に今の状況を招いてしまったんじゃないかと思います。 だけど、自分を罰しなくて良いと思いますよ。 不安の対象になる人に、あなたは実際に意地悪をしてはいないのでしょう? 罵ったり、暴力を振るったりしていないのでしょう? 悪口を言ってまわっているのでもないのでしょう? 私達は人間で、神様ではないから、心な中で思うだけでも許されないなんてことはないです。 神職に就く人でも、ふと、「この人みたいになってしまったら、嫌だな…」って思うことはあると思います。それが必ずしも悪口ってこともないでしょう。 「自分が求める自分らしさは、こういうことではない」と思うこと、それは即ち悪意ですか? 違うと思います。 ふと、「この人みたいになってしまったら、嫌だな…」と思ってしまうのは、不道徳なことではないし、そう考えたら心が真っ黒だなんてことはないです。憎んで憎んで、この手でどうにかしてやろうとなったら悪意だけど、「この人と同じになりたくないと思うのは、ごく自然な感情です。そこを受け入れてください」。 他人は自分の鏡というけれど、それがものすごく具体的に体現してしまっているのが今の情況だと思いますが、それは質問者さんがもともと敏感な方だからじゃないでしょうか。インスピレーションが鋭敏なまでに発達しているということで、「不道徳だから、そうなってしまうんじゃないです」。 充分辛い思いをしていらっしゃるし、実際に誰かに危害を加えているのではないのですから、せめて、自責の念に駆られるのは止めて良いと思います。 憑依みたいな感覚が来たときは「ああ、またイタコみたいになってるな。だけど、これはもう癖のようなものだから、反省してもどうしようもないんだよね」って、そうとだけ思うようにしたら、少し気持ちが楽になると思います。憑依現象の感覚が来たときに、そんな自分を責めるから、益々、強迫観念が強まってしまうと思うので自罰を止めてください。 差別心が自分をそうさせているんじゃなくて、なりたい自分探しをしていたときに、強烈な思考法の刷り込みがあって、たまたまこういう状況になってしまったんだと、そう考えるようにしてください。これは偶然のことで、故意になったのではないのだから。「たまたま浮かんだ雑念が、とても傷つく内容だったから心に深く刻まれてしまったということで、思考そのものに罪はないんです」。 「自分のことを少しでも労わる気持ちがないと、強迫観念は強くなってしまう」と思います。だから、「もっと自分を労わり、許すことをした方が良い」と思います。

natsuki1108
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。 ご意見の方 拝読させて頂きました。まさに仰っている通りです。私が自身の理想像を追い求め続けるごとに、不安症状は増幅していきました。自分で自分の首をしめてきたのだと。しかし今回頂いた助言に従い、自分の在り方や認識を再確認したいと思います。そしてこれまで拭えなかった差別意識による罪悪感が拝読させて頂く中で随分和らぎました。正直、他人が聞いたらどんなに中傷されるのだろうという想いから誰にもはなせずにいたのですが、そのように好意的に解釈して頂けたことが本当に救いになりました。現実と妄想の狭間で苦しんでいましたが、不安など起こり得ないことという認識を自分の中で確立することで、現実との区別を図りたいです。症状と向き合っていく、そのための力強いお言葉をたくさん頂きました。本当にありがとうございました。

noname#256226
noname#256226
回答No.2

非難なんてしません。 他人に憑依されている感じ、私にも経験があります。 もう20数年前になりますが。 一喝なんてしないし、しても意味がありません。 そんな刹那的な言葉に頼っても あまり意味がないように思います。 強迫観念症はいろいろな変化をします。 また、一般的に中学生から高校生が 一番症状が重い気がします。 信頼できる神経内科の医師に定期的に 通ってはいかがでしょうか。 自分の症状と、うまく付き合って、 年齢を重ねることにより、 症状が自分の特技?特長?のようなものに なったりするから不思議です。 それまでにはいろいろと苦労もありましたが。 1人で悶々と悩むことが、症状を更に悪化させます。 可能なら親御さんに相談し、信頼できる医師とともに、 長い目で症状と付き合うことです。 それから、強迫観念に悩みつつ、偉大な作品を残した 作家や科学者がいます。 それらの作品や自伝等を読んでみるのも、 いいと思います。 私は過去に貪るように読みました。 それらが、今の私のバックボーンになっています。

natsuki1108
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。 似たようなご経験をされたということで、とても貴重なご意見ありがとうございます。今はただただ苦しいばかりですが、いつかこれを糧に出来る日が来ると信じて向き合っていこうと思いました。バックボーン。私もいつかそう言えるようになりたいです。受診の件も 検討してみようと思います。ありがとうございました。

noname#206613
noname#206613
回答No.1

他人を蔑む目で見てるから そうなるのです・・・ あなたにも他人より良い部分があるのと同じで 他人にも 良い部分があるのです・・ それを見抜ける力が 未熟なだけ・・ まっ もっと 人生経験を積まないと無理だけど どんな人にも 必ず 幾つかの取り柄があるから 産まれて来てるのですよ・・

natsuki1108
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。 たしかに他人のネガティブな部分にばかり気をとられてしまうのは自分自身の未熟さゆえでしょうね。自他ともに良い面を見いだせるよう成長していきたいです。