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知的好奇心があるとは
知識を求めるのを喜びややりがいと感じられる人と、そういうものに興味がない人では、どういう特性の差があるのでしょうか。性格や考え方など。
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知識っていろいろな種類があると思います。そして、それに対する求め方にも、いろいろな態度があるのではないかと思います。 野球の知識とか法律の知識とかというような、分野別に分けることの出来る知識。これは、好き、嫌いで知識欲が変わりますね。これは趣味として分類できるものも含めると思います。 もう一つは動機による分け方です。 こちらは姿勢になりますね。 同じく好きなものを勉強していても、動機が違うと求めるものが違います。 良い医者は、治療をおざなりはしませんので、治療に対する厳密さは周囲にも要求します。いい加減な知識は許しませんね。また自分でもそのようにします。武術もそうやってワザを磨くし、学問もそうです。何が良いのか、無責任さがないのかと知識に対して厳正ですね。そして、仕事でやる場合は、求めてない知識でも勉強しなくてはいけません。知りたい知識を知識とするために、それとは関係ない知識や反対の知識もいります。科学者になりたいなら、英語くらいはできないとなれません。これは科学とは関係ないけれど、必要な知識です。自分の知りたいことを本当に知ると言うことは、こうしたことも含めて、幅広く知る必要があります。知りたいことだけ知りたいからあとは知らないというのは、どこかで必要なものを切っている部分があるわけですね。一人の人間には限界がありますし、なかなか難しいことですが、知りたいことの他に、そのためには知らなければいけないことというのが知識の世界にはありますね。 学校の勉強などは、その最たるものですね。あんなの全然関係ないとも思いますが、やっぱりやりたいことの基礎として知っておく必要のあるものです。そのことを認識している場合は、やる気が高いわけですね。ある物理学者も数学が苦手でしたが、物理をやるために数学を始めたそうです。そういう必要な知識というのものがあります。なかなかできませんが・・・。
その他の回答 (6)
6です ですから、狭い範囲の趣味は別として、 広く知識欲のある方といのは、一つ一つの知識が動機の部分のどこかでつながっていると思います。 知ること自体が楽しいという希有な方もいますが、この場合も、知識というものが根っこでつながっているという認識でいるのではないか思います。
お礼
わかります。何の知識欲も、底には動機付けがあります。
- tokytime
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どんなモノにでも新しい情報、つまり知識がもたらされると思います。 哲学、科学、芸術、医学・・・のみならず、ゲーム、アニメ、漫画、映画、ダンス、スポーツ・・・なんでも、どんな分野でも、好きなことならば新しい情報、旬の知識が欲しいと思うのが一般的だと思います。 好きなこと、興味のあることが一つも無い人は、私は聞いたことがありません。 ただ、ある人にとって興味のあることが、他の人にとっては実にクダラナイコトで、その知識も知識として認められていないことは、あるかもしれません。 結局何に対して喜びを持つかで、お互い認め合ったり、否定したりするのではないでしょうか。 その知識が社会的に役に立つか立たないかによっても、評価が違ってくるとは思います。 人は所詮、自分の興味のあることにしか情熱が注げないと思います。 こんなところで如何でしょうか。
お礼
私の場合、ジャンルを問わずにとにかく「知りたい」という欲求が多いんですよね。ただ、除外するべきものもあって、スター芸能人関係、ゴシップ端的にいうと今ときめき人にはどうも興味ありませんね。百科事典的な知識がほしいというのか。 要するに「知る」という動機付けのほうから考えないといかんのであって、意味がない得がないという基準で考えられる人は、それこそ博物館などに行かない。株やなんかにより深く興味をおくでしょう。 私はなんか「知る」ことによって、不安定な自己存在を補強したいという気持ちがあるきがします。
- 8942
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知らない事を知るために努力する事は、手間はかかるし、疲れるし、 別に知ったからってどうって事ない事が多い。 ではなぜそんな苦労をして知るのか・・・多分当たらし知識が増えると 脳内麻薬(ドーパミンでしたっけ?)がドパーっと分泌して脳が快感を 感じるんじゃないでしょうか? どうかだから知的好奇心の旺盛な人は脳内麻薬中毒かも知れませんね。(笑) 私も患者かも知れません。軽いですけど
お礼
ドーパミンがドバーっは納得行く説明です。確かに異様な充足感がありますよね。
- YMOA
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まぁ No2の方がおっしゃつているように 人それぞれ興味の対象という物があります。人によって「知識は広く浅く」やら「世間の話題についていければよい」そう考えることも少なくありません。世間一般では「オタク」やら「トリビア」やらの言葉でかたずけられてしまいます。例えの件ですと、「博物館に行く」といっても みんなでお喋りすることに楽しみを感じる人もいれば 学習として楽しむかたもいます。まぁ 人によって行動に対する原動力もかわってくると言うものです。ただ好奇心と「ワクワク」の刺激を求める感情には違いがありますし 何に対してもそれに気が付かなければやがて失敗してゆきます。「社会的制約が生じてくる前から」ですか?良く勉強していますね。これはね「先天的性格」っていうのがあらかじめ決まっています。誕生日に関する占いの本を読めば理解できると思います。ちなみに私の誕生日で調べると原動力は哲学的思考でした。以上
お礼
確かに興味の対象は違って、博物館的な説明には何の興味もないがという人もいます。が、やはり知識「欲」があればこれに飛びつくという傾向は否めないかと。
皆一同に、知ることは喜びであると感じていると私は思います。ただ、何に興味を示すのかの違いがり、それはある意味で出会いに似て、どのような対象に出会うのかは、その人の、時と場合によるのではないでしょうか。 ただ、哲学的問は、誰しも一度は持ったことがある、そのような問が多いと思います。それは、自分自身に出会うという、自己の成長を意味するものではないでしょうか。
お礼
そうですか。どうもあまり「知る」ことを欲していない人も結構多い気がしますね。哲学的問題なんてその典型ではないかと。一度は持つかもしれないが、その後は全くとか。確かにきっかけは大事でしょうが、性質的に常に「知識」に飢えているかと言う事ですね。
- YMOA
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いい質問ですね。難しい言葉で書いてありますが 要するに 子供は生まれた時はなんでも珍しく 何に対しても興味 を持つわけです。 しかし 大人になるにつれて ほとんどのものが当たり前になった り 先入観を持ったものの見方になります。 私達のように恵まれた国で育つと 何もかもが当たり前になり 学校によって 勉強につかれ就職する事になると 学習する事を 辞めてしまいます。就職しても 会社にあわせることで個性をうし なって行く まぁ仕方がないことです。 ようするに上昇志向 良くなろうとか考える人はいつでも学ぶこと を忘れません。というより最近の人は珍しいものに対して刺激を求め ているだけなのかもしれませんね。 そういった1つの考え方とアドバイスです。 以上
お礼
確かにそうなんですが、そういう社会的制約が生じてくる前から、傾向として出ている気がするのです。例えば私は高校時代から、博物館の説明書きやら丹念に読みまくっていたのですが、他の同僚は何食わぬ顔で通り過ぎるだけというパターンで。知る喜びとか情熱とかは、結構特殊な傾向のように感じましたね。 しかし、社会的な制約による上昇志向の挫折なども十分考慮されるべき要因だと感じました。
補足
今もこの好奇心のおかげで、貴重な睡眠時間を犠牲にしてしまっているんですよね。好奇心は時に身を滅ぼしますね。
お礼
いろいろな態度ですよね。その通りだと思います。まずはその動機付けが、知識欲というものを探るキーワードでしょう。ご回答いただいた医者の例とかよくわかります。知らねば本業に差し障る、だからという。 ただそういう感じでない知識欲もあって、漠然と楽しい、充実する、そんな人がアマチュア研究家になっていくのでしょうが、ここの動機付けなんですよね。 私の場合は自己存在の肯定感がほしいので、ということと何でかしらないが、知識を蓄積し、それを体系化し、一般法則的なものを発見するようなときに感じる喜びとあいまってという感じがします。