- ベストアンサー
「夏の思い出」の歌詞について
日本語を勉強中の中国人です。「夏の思い出」という唱歌の歌詞を読みましたが、理解できないところがあるので、質問をさせてください。 歌詞の全文はこちらでご覧ください。 http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/natsunoomoide.html 1.「うかびくる」は古い表示でしょうか。辞書で調べましたが、見つけませんでした。「浮かんでくる」という意味でしょうか。 2.「やさしい影」は何の物の影でしょうか。水芭蕉のですか。 3.この歌詞の中の「水芭蕉」はいったいどこに咲いているのでしょうか。野の小径ですか。それとも水のほとりなのでしょうか。分からなくなりました。 4.「夢見て咲いている水のほとり」とはどのような意味でしょうか。句読点がないので、混乱しています。誰が夢を見たのでしょうか。作詞者自身ですか。第二段落の中の「夢みて匂っている水のほとり」もこれと同じような理由で、よく理解できません。句読点を入れていただければ助かります。 5.「花のなかに そよそよと ゆれゆれる 浮き島よ」とはどのようなことを指すのでしょうか。なんか省略が多すぎるような気がします。風情を壊してしまって申し訳ありません。具体的な情景をつかみたいので、説明していただけないでしょうか。 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それについてもご指摘いただければありがたく思います。よろしくお願いいたします。
- みんなの回答 (11)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
1.「うかびくる」は古い表示でしょうか。辞書で調べましたが、見つけませんでした。「浮かんでくる」という意味でしょうか。 ⇒正解です。 ⇒夏が来るたびに思い出すのは、遠い空の下にある尾瀬沼のこと。 その尾瀬沼は霧が深く、野の小径を歩いていくと、その霧の中に何かぼんやりとやさしい影が浮かんでくるのです。そう、水芭蕉の花が咲いているのです。まるで水のほとりで夢でも見ているかのように咲いているのです。 2.「やさしい影」は何の物の影でしょうか。水芭蕉のですか。 ⇒正解です。 ⇒上記の説明でお分かりのように、見えてくるのは「水芭蕉のやさしい影」です。 3.この歌詞の中の「水芭蕉」はいったいどこに咲いているのでしょうか。野の小径ですか。それとも水のほとりなのでしょうか。分からなくなりました。 ⇒歌詞の中にある「尾瀬」という沼の「水のほとり」です。 尾瀬沼のすばらしい景色をご堪能ください。 http://www.towabank.co.jp/oze/oze97/oze97.html 4.「夢見て咲いている水のほとり」とはどのような意味でしょうか。句読点がないので、混乱しています。誰が夢を見たのでしょうか。作詞者自身ですか。第二段落の中の「夢みて匂っている水のほとり」もこれと同じような理由で、よく理解できません。句読点を入れていただければ助かります。 ⇒「夢見て咲いている、水のほとり」 ⇒読んで字の如し「水芭蕉の花が夢を見ているかのように静かに美しく水のほとりに咲いている」 ⇒「水のほとりに、夢見て咲いている」が倒置されてます。 ⇒「水芭蕉」を擬人化して「夢を見ているかのように咲いている」と表現しています。 第二段落も同じです。 「水のほとりで、夢を見ているかのように匂っている」 ⇒「夢を見ているかのように」という表現は、「水芭蕉の純白の可憐な花が、そっとやさしく咲いている様」を【純真で汚れの無い小さな子供が、スヤスヤとやさしく、そして幸せそうに眠っている様】に喩えているのです。 5.「花のなかに そよそよと ゆれゆれる 浮き島よ」とはどのようなことを指すのでしょうか。なんか省略が多すぎるような気がします。風情を壊してしまって申し訳ありません。具体的な情景をつかみたいので、説明していただけないでしょうか。 ⇒省略はありません。 ⇒下記のURLをご覧下さい。 ⇒「水芭蕉」は沼地にあるところでは点々と、あるところでは何本かが寄り添って、またあるところでは道のように連なって、さらにあるところでは花たちが集まって島のような塊となって咲いているのです。水の中に咲いている様子が「浮き島」のように見える水芭蕉もあるのです。 【浮き島】のイメージが下記の写真で解るといいのですが・・・。 http://www.page.sannet.ne.jp/moris/oze.htm 質問文の1. 【辞書で調べましたが、見つけませんでした。】 ⇒【見つけることが出来ませんでした】 ⇒【見つかりませんでした】 ⇒【探せませんでした】 ⇒【探すことが出来ませんでした】 ⇒【見当たりませんでした】 ⇒【辞書で調べましたが載っていませんでした】 ★「見つけませんでした」は、ご自分の意志で見つけなかったという意味になり、「探しても見つからなかった」という意味とは違ってしまいます。 質問文5. 【なんか省略が多すぎるような気がします。】 ⇒「なんか」ではなく、もし使うのであれば「かなり」とかになります。しかし、ここではそのような言葉を使うのではなく、「この文章は省略されたものが多すぎるような気がしています」などの方が、質問文としては良いでしょう。 歌詞はメロディーに当てはめ、音符に乗せることなどが優先され、倒置法が用いられていたり、省略されたり、妙な造語が出てきたり、擬態語が使われたりします。さらには、歌詞独特の擬人法が駆使されていたりして、詩自体の文意が解りにくくなっていることが多いですね。 頑張ってください。
その他の回答 (10)
- shigure136
- ベストアンサー率37% (278/744)
awayuki_ch さん、こんにちは。 1.「水芭蕉」はいったいどこで生えているのでしょうか。ネットで写真も何枚も見たのですが、はっきり見えなくて、何か湖に生えているのもあるし、泥道に生えているのもあるような気がします。 ⇒awayuki_ch さんのお国にも湿原地帯はあると思います。湿原地帯は広大な野原全体が常にじめじめと湿っている土地です。 その水は、あるところは地中からの湧き水であり、あるところでは近くの川の水が流れ込んできているものであり、あるところは沼地の延長であるというように、様々な要因で出来ています。 また、湿原地帯は、全体がただただじめじめしている場合もありますが、中にはじめじめではなく沼のほとりのように、水がゆらゆらと揺れるように豊富な場合や、ところどころに小川などがさらさらと流れている場合もあるのです。 それは、雨が大量に降ったりすると、今まではただじめじめしていた湿地が、急に沼や池のような状態になってしまったり、小川のような状態で流れてきたりするからです。 awayuki_ch さんがご質問に書かれたように、水芭蕉は、沼道に生えている場合もあり、(湖ではないですが)沼地に生えている場合もあり、流れている小川に生えている場合もあるのです。数日後に訪れた人が見たときは、あの時は人が足を踏み入れることが出来た場所が、小川のように水が流れている場合だってあるのです。また、その逆もありますね。 湿地帯は「水はけ」が悪く、流れ込んだ川の水や、降り注いだ雨水が簡単にははけない土質なのです。その湿地帯に生えている「水芭蕉」は、上記のような理由で様々なところに咲いているように見えますが、実際は、そこの土地のそのときの水量の差がもたらした演出だといえるでしょう。 ★「水芭蕉の花は湿地帯・湿原地帯に咲いている」というのが正解です。 2.歌詞の中の「水のほとり」というところは水の中ですか。それとも陸地の上ですか。 ⇒「水の中」か「陸の上」かと質問されれば「水の中」と答えます。 ⇒水芭蕉は生きていくうえで大量な水が必要なのです。 水の無い陸の上では育ちにくく、根っこを水の中に伸ばして水分を吸い上げる必要があります。 ⇒ここでは、湿原地帯の中を流れる小さな流れの脇に生えて、可憐な花を咲かせている水芭蕉のことを歌っているものと思いますが、その地帯全体は豊富な水が溜まっている湿地帯です。 3.「花が咲いている中をそよそよと、ゆれながら漂っている浮き島よ」という文の中の「花」は何の花だと思われますか。 ⇒「水芭蕉の花」以外は考えられません。 ⇒作者は、「夏が来るたびに思い出すのです。はるかかなたの尾瀬の野原を旅したことを。目を瞑って思い出すと、尾瀬の湿原一杯に咲いている水芭蕉の花が思い出されます。そして、その水芭蕉の花の群れの中を、そよそよと吹く風に吹かれて、ゆらゆらと流れに乗って流されてくる浮き島までも、昨日のことのように思いだされるな~。そして、その水のほとりに、夢見る子供のように少し首を傾けながら咲いている水芭蕉は、かすかに匂いを放っていたなあ~。 目を瞑るだけで、懐かしい水芭蕉の花の光景が思い出される尾瀬。その尾瀬も今は遠い空の下。 ★こんな感じの歌の心だと思います。したがってここで水芭蕉以外の花が登場する余地は無いと思います。 4.「そよそよ」は普通風を修飾すると思うのですが、ここでは浮き島の様子も修飾できるのでしょうか。私は「そよそよ」を浮き島の修飾語と思えず、「風」の修飾語のような気がします。つまり「花が咲いている中を(風に)そよそよと(吹かれ)、ゆれながら漂っている浮き島よ」のような感じです。 「そよそよと」にかかわる省略を補足していただけないでしょうか。 ⇒(水芭蕉の花)の中に、そよそよと(吹く風に)揺れ揺れる浮き島よ。 ★風に吹かれて揺れながら、水芭蕉の花の咲く湿原地帯の中の小さな流れを漂ってくる浮き島のことを歌っているのだと思います。 ★先ほども書きましたように、湿原地帯では雨の後などに急に小さな流れが出来たり、常に川の水が流れ込んで、ちょろちょろとした流れが出来ている場合があります。 特に、雨などで急に水量が増えた後は、湿原地帯の真ん中に流れていた小さな流れの水量も増え、枯れた根っこや葉っぱが堆積しているものが、ふわっと流れに流されることがあるのです。まさにふわふわと頼りなく浮きながら流されてくる「浮き島」という表現にぴったりの状態になるのではないでしょうか。 ★★水芭蕉の咲く地域でよく見られるのは「ザゼンソウ(座禅草)」です。しかし、この歌詞の中で、作者は水芭蕉以外の花のことには触れていないと思います。
お礼
shigure136さん、再びありがとうございます。 湿原地帯について詳しく説明していただきありがとうございました。湿原地帯の特徴がよく分かりました。歌詞もよく理解できるようになりました。 この歌のメロディを聞くときに、なぜか水か風か心の中を通り過ぎていくような気がします。まずこの淡白で自然な音符の流れに惹かれました。都市生活の疲れを洗い流し、払い除けてくれました。よく歌詞を読んでみたら、メロディーと同じで、とても素敵でした。shigure136さんの文章はとてもきれいで、日本の尾瀬の風景はよく私に伝わってきました。水芭蕉、浮島、石楠花色にたそがれる空などなど、外国人の私に深い印象を残しました。もう忘れられません。ぜひこの目で、尾瀬、尾瀬の水芭蕉を見にいきたいです。 本当にありがとうございました。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
#9です。何度もおじゃましてすみません。 >水芭蕉は「水のほとり」という陸地にあり、浮き島は湖にあると思ったので、この文の「花」が水芭蕉だったら、理解できなくなります :すでに述べていますが、私はこの「花」は水芭蕉以外の花だと思います。 ただ、浮島は風に吹かれて岸辺に寄ることもあるようなので、これが水芭蕉の花であるとする解釈も『文章の構造上から考えて間違い』とすることはできないでしょう。
お礼
何回も何回もご親切に教えていただき誠にありがとうございます。ご意見はよく理解できました。大変参考になりました。 心より厚くお礼を申し上げます。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
#5の補足を拝見しました。 ◇ #8で「浮島」の様子を記述しましたが、島の上には色々な草などが生えています。 「その草が風に【そよそよ】となびく」わけですが、その草が生えている浮島も根が無いのでゆらゆら揺れます。 結果として草は、左右にそよそよとなびきながら浮島と共に上下にもゆらゆらゆれるわけです。 花の中にこのような上下左右の動きが見えるのを風情がある、と【まとめて表現している】ということだと思います。 #5でも述べたとおり、この花は水芭蕉以外の花ではないか、と個人的には思います。 ◇ 歌詞という特性を離れて厳密に言えば、浮島がゆれるのは「そよそよ」ではなく「ゆらゆら」と表現すべきでしょう。 「そよそよ」は「そよ」(「風がそよとも吹かない」などという使い方をします)の連語ですが、 「風が静かに吹く様子」、またその風に揺られて「物が触れ合う様子」を意味します。 ですから、浮島のような一塊になっているものに対して「そよそよと揺れる」という表現は自然ではないと思います。 あくまで、風が静かに吹いて、浮島の上に群生している草などが反応してそよぎ、その葉ずれの音さえ柔らかく聞こえてきそうな状況に対して使われる表現でしょう。 その意味ではawayuki_chさんのおっしゃるとおりで、通常の文章としては不適当と言えるのは確かだろうと思います。 歌詞は字数などに制限がありますから、どうしても文法どおり収まることが難しい場合も往々にしてあります。
お礼
度々ありがとうございます。「そよそよ」に関する説明はとても理解しやすいと思いました。よく分かりました。 本当にありがとうございました。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
#5です。 ◇ 参考URLが開きづらいようなので、その内容を記述しておきます。 「浮島」は植物や植物遺体 (泥炭または枯死体) からなり,湖沼や河川に浮遊する島。 浮島が浮遊するのは,植物や植物遺体のもつ浮力と浮島内部に発生するメタン,二酸化炭素などのガスによる浮力によっている。 日本では,尾瀬ヶ原に代表される高層湿原の池沼に浮島は多くみられ,池底から水面に浮上したコウホネ類などの浮葉植物の根茎や,水面に長く伸びるミツガシワの根茎を核にしてスゲ類やミズゴケ類が侵入して浮島が発達することが知られている。 大きさは普通は数m2程度までだが,時には数haに発達する (京都市深泥池,山形県琵琶沼)。 泥炭塊が浮遊する場合 (鹿児島県藺牟田池) や浮島に高木が生育する場合 (和歌山県新宮藺沢) もある。 高層湿原以外でも,ヨシ,マコモなどの抽水植物が岸から離れて浮島となる場合がある。 熱帯・亜熱帯では,ホテイアオイ,ボタンウキクサなどの浮遊植物やイネ科・カヤツリグサ科の抽水植物からなり, 浮芝suddとよばれる浮島が広く見られ,船の航行に障害となるほど巨大に発達する場合がある。 乾季に露出した湖底・河底に生えた植物が雨季の増水時に底から離れて浮島となる場合も知られている。 ◇ 尾瀬の浮島。 http://www004.upp.so-net.ne.jp/fjmthr/oze/ukisima-oze.htm 尾瀬沼の畔(ほとり) http://www004.upp.so-net.ne.jp/fjmthr/oze/numahotori-oze.htm http://www004.upp.so-net.ne.jp/fjmthr/oze/kisugenuma-oze.htm 小川の水芭蕉 http://www004.upp.so-net.ne.jp/fjmthr/oze/mizubemzbs-oze.htm 残雪と水芭蕉 http://www004.upp.so-net.ne.jp/fjmthr/oze/sifutumzbs-oze.htm ハイカー http://www004.upp.so-net.ne.jp/fjmthr/oze/porter-oze.htm 以下のURLでその他も見られるかもしれません。 うまく表示されると良いのですが・・・。 http://www004.upp.so-net.ne.jp/fjmthr/oze/meta1.htm
お礼
再びありがとうございます。「浮島」の詳しい定義を拝読しました。大体のイメージが分かりました。せっかくいろいろ探していただいたのですが、残念ながら、今回の画像も見られませんでした。絵の右側についた説明は見えます。 本当にありがとうございました。
- Fuu1962
- ベストアンサー率29% (426/1425)
こうしてみるとわかっているつもりでわかってなかったなあと感じています。 2は、野の小径あるいはそこを歩く人影説に賛成です。 水芭蕉は「霧のなかに うかびくる」ほど大きくないですから。 5については、#3さんの参考URL先の「イメージのみ参照」は見ることができました。 湿原全体のところどころに水芭蕉が咲いていて、そのどっかに浮島があるのでしょう。 だから「花のなかに ~~ 浮き島よ」となったのだと思います。 浮島というのはたぶん湿原中に植物が堆積してできた小さな部分だと思います。
お礼
ご親切に教えていただき誠にありがとうございます。残念ながら、「イメージのみ参照」をクッリクしてもまだだめです。自分でもいろいろ検索してみました。「浮島」のイメージはなんとなく分かりました。「湿原全体のところどころに水芭蕉が咲いていて、そのどっかに浮島がある」なら、確かに「花のなかに ~~ 浮き島よ」なのですね。とても参考になりました。 本当にありがとうございました。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
1、 文法には自信がありませんが、 「くる(来る)」は、「来(く)」という文語の連体形だろうと思います。 おっしゃるとおり「浮かんでくる」という意味で、『【次第に】浮かび上がる』という意味です。 突然はっきりと見えるのではなく、原文の場合は、霧の中に(やさしい影が)次第に浮かび上がるように見えてくる、という解釈で良いと思います。 【次第に、ある状態になる】を意味する「くる(来る)」を使うことによって霧の存在を印象づけ、幻想的な情景の表現に成功しているように思います。 2、 ここが解釈の関門のひとつになっておられるようですが、個人的には「人の影」ではないかと思います。 尾瀬を旅した時の思い出の歌ですから、霧の深かったこと、歩いて行くに従って、その霧の彼方に同じように尾瀬を散策する人々の影が幻想的に浮び上っていたこと、などをまず思い出した、と考えて良いでしょう。 つまり、この部分は直接水芭蕉に関する歌詞ではなく、状況説明と捉えたほうが良いでしょう。 3、 そして、そのような人の影が浮かび上がる野の小径を歩いていたら、水芭蕉の花が咲いているのに気付いた。 ということだと思います。 どこに咲いていたかというと、「水のほとり」です。 4、 「夢見て~」は、「水のほとりで夢を見ながら~」で主語はどちらも水芭蕉です。 いわゆる【擬人法】ですね。 5、 尾瀬には水芭蕉の他にもたくさんの色々な花々が咲いています。 その花々に見とれていると、根の定まらない浮島 http://ss.hbi.ne.jp/@6db3a80af51a482a63ea271a8000d0616eb4a90bf61b492b64eb281b8101d162/netencyhomesv/index.asp?Word1=%95%82%93%87 が風の吹くたびにゆらゆらしているのも目に入ってきて、それもまた風情がある。 ということを表現しているのでしょう。 個人的には、「水芭蕉の歌」ではなく、「尾瀬の思い出の歌」として解釈するとわかりやすくなると考えます。 【ご質問文の添削】 1、{古い表示}(×) 『古い表現』(○) 2、{見つけませんでした}(×) ・「見つけませんでした」は文法的に誤った表現ではありませんが、「意図して、わざと見つけなかった」という意味になってしまいます。 ・「見つける」という他動詞を使うのであれば主語は「私」になりますから、 『見つけられませんでした』(○)と可能の否定形にする必要があります。 ・「うかびくる」という言葉を主語とする場合は、 『見つかりませんでした』(○)と自動詞「見つかる」の変化形を使うべきと思います。 (文法用語にはあまり自信がありませんが、このように判断しています) 3、{【なんか】省略が多すぎるような}(△) 「なんか」は「なにか(何か)」の音便ですが、相当くだけた表現です。 「なんか最近暇だねえ」「なんかこのごろ体がだるくてさ~」など、親しい友人同士の会話で使われるのに相応しいという印象を受けます。 このような場では、『なにか』(○)と表現するほうが無難でしょう。
お礼
毎度お世話になります。 ご親切に教えていただき誠にありがとうございます。4まではよく分かりました。特に、「来る」のご説明はとても理解しやすいと思いました。大変参考になりました。 質問文まで手直しをしていただき心より感謝いたします。間違いに気づきませんでした。とても肝心な知識です。今後は使い分けに十分注意いたします。 本当にありがとうございました。
補足
残念ですが、参考ページは見られませんでした。 「花が咲いている中をそよそよと、ゆれながら漂っている浮き島よ」という文の中の「花」は水芭蕉以外の花のことでしょうか。水芭蕉は「水のほとり」という陸地にあり、浮き島は湖にあると思ったので、この文の「花」が水芭蕉だったら、理解できなくなります。どうも水芭蕉と浮島は同じところにあるとは思えません。 「そよそよ」は普通風を修飾すると思うのですが、ここでは浮き島の様子も修飾できるのでしょうか。私は「そよそよ」を浮き島の修飾語と思えず、「風」の修飾語のような気がします。つまり「花が咲いている中を(風に)そよそよと(吹かれ)、ゆれながら漂っている浮き島よ」のような感じです。「そよそよと」にかかわる省略を補足していただけないでしょうか。
- kogotokaubewe
- ベストアンサー率56% (236/420)
他の回答者の方々が触れていらっしゃらないので、「質問文に不自然な表現がありましたら」に関して2点。 > 1.「うかびくる」は古い表示でしょうか。 > 辞書で調べましたが、見つけませんでした。 まず、「表示」は、おかしいです。「表現」とすべきです。また、この場合は「古語(文語)」「古い言い方」などという言い方も可能です。 「表示」は、「はっきりと表(あらわ)し示すこと。」です。「用いた原料を製品のラベルに『表示』する」などと使われます。 「古い表示」という言い方は、たとえば、店で売っている品物の値段が変わっているのに、値札の価格は前のままである=「古い表示」のままである、というような場合に用いるのが適切です。 次に、「見つけませんでした」という言い方は「辞書で調べましたが」に続く言い方としては適していません。普通に日本語を話す人なら、「見つけることができませんでした」もしくは「見つかりませんでした」という言い方をします。
お礼
ご親切に指摘していただき誠にありがとうございます。とても嬉しいです。この二点は私にとって非常に重要な知識です。今後間違えないように気をつけます。大変参考になりました。 本当にありがとうございました。
- toff-toff
- ベストアンサー率31% (110/348)
1. おっしゃるように「浮かんでくる」という意味だと思います。 2. 野の小径(こみち)じゃないでしょうか。 3. 水のほとりです。 4. 「夢見て咲いている水のほとり」については、この文だけではなく、 「水芭蕉(みずばしょう)の花が 咲いている/夢見て咲いている水のほとり」をひとつとして見た方がわかりやすいかもしれません。 「水芭蕉が夢を見ているように水のほとりで咲いている」という意味だと思います。 第二段落の中の「夢みて匂っている水のほとり」も同じく、「水芭蕉が水のほとりで夢見ているように匂っている」という意味でしょう。 水芭蕉は夢を見たりしませんが、まるで人間であるかのように表現しているのでしょう。 5. 咲いているたくさんの水芭蕉の花の中に浮島があって、風に吹かれて(浮島が)ゆれている状態だと思います。 浮島と言うのは「湿原や沼の水面に浮き、漂っている島のようなもの。水草・水苔・泥炭などの塊で、上には湿生植物が生える。尾瀬沼のものが有名。」だそうです。 (浮島の写真は添付しましたので、見て下さい。) この回答は私の自己流の解釈ですので、間違っているかもしれません。 (ごめんなさい。) 日本語をお勉強中の外国の方だそうですが、質問文もしっかり書けていますし、とてもお上手だと思いますよ。 (いまどきの日本人でもこれだけきちんと書けない人たちがいると思いますよ。) これからもがんばって下さいね。
お礼
ご丁寧に教えていただき誠にありがとうございます。4までは全部分かりました。とても参考になりました。 励ましていただき本当にありがとうございました。日本語はまだまだ下手です。これからも頑張ります!
補足
5に関してですが、補足させていただきます。 残念ですが、私のパソコンで参考ページは見られませんでした。「咲いているたくさんの水芭蕉の花の中に浮島があって」とはどのようなことを指すのでしょうか。水芭蕉は「水のほとり」という陸地にあり、浮き島は湖にあると思ったので、理解できなくなりました。
- john_john
- ベストアンサー率30% (75/245)
こんばんは。 詩というのは、時に文章の勉強より難しいですね。 私も外国語をやっているのでよく分かります。 ご質問に回答させて頂きます。 1.おっしゃる通り、古い表現です。 日常会話ではほとんど使われていないでしょう。 「浮かんでくる」という意味ですが、 この詩では「見えてくる」と言うことを表しています。 「やさしい影」や「野の小径」が霧の向こうに見えてくるのです。 「うかびくる」の方が「見えてくる」よりロマンチックな 表現なのは、お分かり頂けますか? 2.水芭蕉の影と考えていいでしょう。 その他、周囲の木々や植物の影も含まれ得ると思います。 3.水のほとりです。 4.句読点ではなく、主語を補えば分かって頂けると思います。 「水芭蕉が、夢を見ながら咲いている」、 「水芭蕉が、夢を見ながら匂っている」と書き換えれば お分かり頂けるでしょうか?水芭蕉を擬人化しています。 水芭蕉はどんな夢を見ているのでしょうね? 想像をかき立てられませんか? 水芭蕉に自分を重ねてもいいですよね。 非常に繊細でロマン溢れる表現です。 5.「浮き島」とは湖の中にある小島のことです。 具体的な情景をつかむには、 自分がその場にいると仮定してみて下さい。 あなたの前には、花が沢山咲いています。 その花達は、そよ風に吹かれてゆらゆら動いています。 その向こうに浮き島が見えています。 美しい情景をご想像頂けるでしょうか? あと、あなたの日本語は全体的には大変お上手です。 質問文中の不自然な表現は、 >古い表示→古い表現 >見つけませんでした→見つかりませんでした or 見つけられませんでした >何の物の影でしょうか→何の影でしょうか 唱歌の歌詞は古い表現が多く難しいですが、 その分とても風情があり美しいです。 他の唱歌にも是非触れてみて下さい。
お礼
ご親切に教えていただき誠にありがとうございます。4までは理解できました。大変参考になりました >自分がその場にいると仮定してみて下さい。あなたの前には、花が沢山咲いています。その花達は、そよ風に吹かれてゆらゆら動いています。その向こうに浮き島が見えています。 5の情景なのですが、上の情景なら想像できます。美しいと思います。 質問文まで手を加えていただき心より感謝いたします。今度気をつけます。 唱歌の歌詞は風情があり美しいのですね。それがとても好きです。他の唱歌にも是非触れてみます。本当にありがとうございました。
補足
まだすっきりしていないところについて、もう少しご意見をお聞かせください。 >水芭蕉に自分を重ねてもいいですよね。 「水芭蕉に自分を重ねる」とはどういう意味でしょうか。ほかの言い方に言い換えていただけませんか。 >「浮き島」とは湖の中にある小島のことです。 5に関してですが、水芭蕉の生えているところは浮き島のあるところ湖ではなく、「水のほとり」という陸地ですね。「花が咲いている中をそよそよと、ゆれながら漂っている浮き島よ」という文の中の「花」は水芭蕉以外の花のことでしょうか。水芭蕉は陸地にあり、浮き島は湖にあると思うので、この文の「花」が水芭蕉だったら、「花が咲いている中を」が理解できなくなります。 「そよそよ」は普通風を修飾するのですが、ここで浮き島の様子も修飾できるのでしょうか。湿原を見たことがないので、情景はつかみづらいです……
- 345itati
- ベストアンサー率48% (795/1639)
歌の題材として扱われている「尾瀬湿原」の光景を実際に写真などで見ると理解しやすいと思います。 1.浮かんでくる、という意味で合っていると思います。 2.詩の解釈になりますので、はっきり断定は出来ないかもしれません。霧の中から、誰かがやって来るという解釈で、人の影、という解釈も出来ます。 3.「水芭蕉」という花は湿原に生える植物で、水のほとりに生えているという解釈が合っていると思います。 4.「(水芭蕉が)夢を見ながら、水のほとりで咲いている」という文章を、入れ替えて詩的に表現していると思われます。 5.尾瀬湿原を実際に見てみると分るのですが、沼の水面を、枯れ草が集まって出来た浮き島が漂っている風景を描写したものです。 「花が咲いている(湿原の水面の)中をそよそよと、ゆれながら漂っている浮き島よ」 という意味だと思います。 参考に、尾瀬を写した写真のurlを上げておきます。これを見ながらだと、情景がつかみやすいかもしれません。 →http://www.towabank.co.jp/oze/oze97/oze97.html 非常に素晴らしい日本語です。これからも頑張って勉強して下さい。
お礼
早速のご回答事ありがとうございます。4までは全部分かりました。「尾瀬湿原」の写真もとても参考になりました。 励ましていただき本当にありがとうございました。日本語の勉強、頑張ります!
補足
5に関してですが、「湿原の水面」という表現は難しいです。湿原は湖ですか。それとも土地ですか。人間は湿原で歩くことができますか。雨の日の泥道のようなイメージをしています。水芭蕉の生えているところは「水のほとり」という陸地でしょう。浮島は湖の中にあるような気がします。「花が咲いている(湿原の水面の)中をそよそよと、ゆれながら漂っている浮き島よ」の「花」は水芭蕉のことですか。それとも湖で生活する花のことでしょうか。なぜ水芭蕉と浮島は同じところで生活しているのでしょうか。「そよそよ」は普通風を修飾するのですが、ここで浮島の様子も修飾できるのでしょうか。湿原というものを見たことがないので、情景はつかみづらいです……
お礼
いつもお世話になっております。 ご親切に教えていただき誠にありがとうございます。4まではよく理解できました。参考ページは全部見られましたが、浮島は参考ページで見つけられなかったので、水芭蕉と浮島の関係はいまだによく分かりません。「純真で汚れの無い小さな子供が、スヤスヤとやさしく、そして幸せそうに眠っている様」はとても素敵な表現ですね。ものすごく気に入りました。質問文まで力を入れて添削していただき心より感謝いたします。今後は間違えないように気をつけます。大変参考になりました。 本当にありがとうございました。
補足
「水芭蕉」はいったいどこで生えているのでしょうか。ネットで写真も何枚も見たのですが、はっきり見えなくて、何か湖に生えているのもあるし、泥道に生えているのもあるような気がします。歌詞の中の「水のほとり」というところは水の中ですか。それとも陸地の上ですか。「花が咲いている中をそよそよと、ゆれながら漂っている浮き島よ」という文の中の「花」は何の花だと思われますか。 「そよそよ」は普通風を修飾すると思うのですが、ここでは浮き島の様子も修飾できるのでしょうか。私は「そよそよ」を浮き島の修飾語と思えず、「風」の修飾語のような気がします。つまり「花が咲いている中を(風に)そよそよと(吹かれ)、ゆれながら漂っている浮き島よ」のような感じです。「そよそよと」にかかわる省略を補足していただけないでしょうか。