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論理学について
次の問題についての解答または関連の参考文献、参考HPを教えてください。 「論的演繹概念は、我々の世界におけるある事実を確認しようとする時どのように使用する事ができるか」 宜しくお願いします。
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- starflora
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どういうことを尋ねられたいのか、これだけではよく分からないのです。「論的演繹概念」という言葉は、これは何を意味するのかが不明です。「論理的演繹」または「理論的演繹」ならありそうに思います。 「論理的演繹」だとしても、「世界におけるある事実の確認」というような行為・企図とどういう関係を持つかを尋ねると、これはカントの問いか、ヘーゲルの問いか、つまり、ドイツ観念論哲学での話なのか、あるいはフッサールなどの現象学でも、こういうことが問題になりますし、マルクス主義でも問題になるようです。また、論理学での問題でもあり、形式論理学(現代論理学)のテーマ・問題のようにも思えます。 そう言ったことについて何かを知っているという訳ではありませんが、これだけでは、どの分野のどの論のことか、ほとんど分かりません。 例えば、以下のURLに、現象学と関係して、「理論的演繹」が出てきますが、こういう問題ではないような気もします: http://www.nice.st/book/2-2-1.htm 以上の前提で、素朴に考えると、「演繹概念」とは何かというと、「帰納概念」の逆で、理性的原理乃至定理的命題から、論理規則などで、定理的命題を導出する作業についての概念だということになります。 事実は存在するもので、論理規則が必ずしも事実に適用できるとは限りません。それは論理的演繹法が、事実の存在の確認にとって、必ずしも有効ではないと云うことです。しかし、必ず有効とは限りませんが、事実の命題主張に対し、他の事実命題との整合を演繹的に示して、そのような事実命題の主張は、論理的に他の事実と整合しない、言い換えれば、論理的演繹として出てこないと主張することは可能ではないかと思います。 経験的に、カラスは黒い訳で、例外が一応認められていないのです(アルビノのカラスとかは、また話が違って来ます)。そこから論理的演繹で、「世界には、黒いカラスがいる、白いカラスはいない」という命題が出てきます。これは、世界には、「白いカラスはいない」という「事実命題」の確認において、意味を持ちます。 従って、問いについて、このように素朴なレベルで考えれば、事実の命題の集合が、その事実の内容が十分に単純で、論理的な規則で扱える場合、論理的演繹の概念は、ある事実の確認について、有効性を持つと云えます。しかし、これは最初に述べているように保留があるので、事実の命題が複雑で、論理的関連が形式化できないような複雑なものには、論理的演繹概念を適用するのは、詭弁を容認することになる可能性があるということになります。 形式論理自体が完全ではないのですから、事実の命題的構造は、形式論理の演繹概念で扱える場合もあれば、扱うのが不適切な場合もあり、通常は、大きな枠で事実の確認に使用はできても、それで、すべてが分かるということにはならないし、むしろ、誤謬や詭弁への道を開いてしまうということでしょう。 十分に単純で形式化でき、見通しのよい、事実の命題については、形式論理あるいは古典論理の論理演繹の概念は有効であろうということです。また、こういう場合に限って使用すべきだろうということは云えると思います。