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例文の数はどれがベスト?
- 作文の例文がひとつだけだと、生徒はどう書いていいかわからない。
- 例文があると一律化してしまうのは事実。
- 例文はひとつだけの方が自由に書けて一律化しない。
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A、B両方とも論理的ではありません。その二人の主張を合わせてネガティブな面を強調したとすると、 「例文が一つなら、その一つを真似してしまい、複数あればどれかを選んで真似してしまう。」 という結論も導けます。ポジティブな面を強調した結論も導けるでしょう。 お示しの例そのものを使っての説明は、ちょっと明快にしにくいので、古典的で有名な例を持ち出してみます。 弁論術の先生と学生が、指導内容が充分かどうかで争いになり、生徒が授業料の返還を求めた裁判を起こしました。法廷で、各々が次のように主張しました。 生徒「もし僕が先生を言い負かすなら、この裁判で僕が勝つ。もし先生が僕を言い負かすなら、先生は僕に弁論術を教えられていないから、僕の勝訴だ。いずれにしても、僕は授業料の返還を受けるべきだ。」 先生「もしその学生が私を言い負かすなら、私はきちんと弁論術を教えたことになり、授業料を受け取るのは当然だ。もし私が学生を言い負かすなら、私の勝訴だ。いずれにしても、私は授業料を返還しなくてよいはずだ。」 この例は「言い負かす(弁論術が充分)・言い負かされる(同不充分)」の二つと、「勝訴・敗訴」の二つから、少なくとも四つの場合を考慮する必要があるのに、先生も学生も自分に都合のいい二つしか選ばずに(選んだものは互いに排他的になっている)、それで言い尽くせているかのように誤魔化したと考えることができます。 あるいは、「言い負かす」と「弁論術を習得できていない(先生が言い負かされるなら、そもそも弁論術教師足りえないということも含む)」との齟齬や矛盾を無視しているとも考えられます。 お示しの例では、後者のような齟齬や矛盾は少なくともあらわには無いようですが、前者の恣意的・部分的な選択で、全ての場合を言い尽くせているかのようなミスリードは存在していると思われます。従って、お示しのところまででは、論理的な議論にはなっていません。 A、B両者が互いの意見を受けて、各々が例文が一つと複数の場合を比較した意見にしていくなど、さらに議論を精密にすることが必要でしょう。 P.S. 実際の作文で、例文が一つだけがいいのか、複数がいいのか、複数なら幾つあればいいのかは、どういう作文をするかにより、ケースバイケースでしょうね。
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- fxq11011
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申しわけない、とんでもない、こちらの早トチリでした。 ただ、すぐに白黒つければよいというものでもないのでは、という思いが強いです。 昔の徒弟制度、技術は盗むもの。 現在は、一通り経験させ、最後の喜びも覚えさせてから、改めて・・・。 基礎から順番にしっかり固めて作りあげる方法、と、骨組みをまず作り、肉付けしていく方法の違いのようで、対象や目的、用途等でどちらがベターとも・・・?。
お礼
回答ありがとうございました。
- D-Gabacho
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AもBも、例文に影響されて生徒の作文が一律化することを問題視しているので、例文を模倣せず自分のことばで表現できるようにするにはどうすれば良いのかが、AB共通の論点だと思うのですが、自分のことばで表現する技術を身につけるうえで必要なのは何かという問題を無視して、例文の数の問題にしてしまっているところに、根本的な誤りがあるのではないかという気がします。
お礼
回答ありがとうございました。
補足
>例文の数の問題にしてしまっているところに、根本的な誤りがあるのではないかという気がします。 そうですよね。例文の数は関係ないはずです。
- fxq11011
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ちょっと気になって辞書見ました。 倫理=人として守り行うべき道。善悪・正邪の判断において普遍的な規準となるもの。道徳。モラル。「―にもとる行為」。 質問の内容は道徳、善悪、モラルとは関係ないですね、それらに基づいて判断されるものとは思いません。 倫理的=倫理ではない、〇〇的、〇〇みたいな、〇〇もどき、〇〇のような・・・、すべて〇〇には該当しないものの表現です。 倫理そのものは、質問内容とはおよそ無関係の気がします、ではあなたの言う、「倫理的」とは一体何なのか・。
お礼
回答ありがとうございました。
補足
申し訳ありません。 「倫理」ではなく「論理」です。 読解を論理的思考のみで考えることが可能か? http://mondai-kaimei2011.blog.so-net.ne.jp/2014-02-25-4
- D-Gabacho
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AもBも論理的ではないと思います。 Aに関しては、「生徒はどう書いていいかわからない」と「みんな同じようなことを書いて一律化してしまう」が相反しています。一つの例文の影響を受けて生徒の作文が一律化するということは、生徒みんなが「こう書けばよいのだ」という共通理解をもっていることを示しているはずだからです。 Bに関しては「例文が3つあれば三択問題…5択問題であるかのように思ってしまう子が多い」と「例文がたくさんあればあるほど一律化してしまう」「ひとつだけのほうが自由に書けて一律化しない」がどう結びつくのか、何も説明されておらず、論理が飛躍しています。選択肢がある分、一択よりは比較的自由と考えるのが筋というもので、そうでないと主張するなら、なぜそうなのか説明しないと、論理的とはいえません。
お礼
回答ありがとうございました。
補足
確かにBは、事細かく説明していますが、論理が飛躍しています。 Bは、著者の樋口裕一氏の主張です。樋口氏は、書くにしても話すにしても論理的である必要があると主張しています。そういう人の主張に論理の飛躍があることに呆れます。 もっとも、樋口氏は「わかりやすく書く」ことを説明するのに実にわかりづらい説明もしています。そこには著者の独り善がりが見てとれます。無理もないかなという気もします。
- fxq11011
- ベストアンサー率11% (379/3170)
お手手つないでゴールイン、みんな1等賞、以前小学校の運動会であった風景らしい。 底上げをする、落ちこぼれを拾い上げる、それで平均化を目指す、それが真の正義、と思い込んでいた人がいたんですね。 当の本人はどう思ったでしょう、平均点が取れなくても、社会になんの迷惑もかけていないのに、そんなに悪いことなのか、罪なのかと感じたかもしれません。 塾が出ました、江戸時代にもありました、現在も松下政経塾なんてのもあります、一般には進学、入試突破のための塾を思い浮かべます。 東大受けたら受かっちゃった(歌手 鈴木しげこ)、そんな人は塾へ行く?多分行きませんね。 作文が苦手、かけない、実際に試験で書かなかったら?、0点ですね、盗作だろうが、まねごとだろうが、とにかく格好つければ、何点かは期待できます。 塾でも、帝王学を学ぶ塾、入試に備え、ハウツー点取り虫(いや、点取り虫ハウツー?)を教える塾もあり、かも。 簡単に言ってしまえば、頭の良い人が対象なら、基本的な例文一つ。 そうでなく、点取りが目的の人なら、格好つけることを教えるほうが簡単(例文数限りなく)。 倫理的かどうかはわかりませんが、底上げ、落ちこぼれ引っ張り上げ、で平均化、単なる悪平等。 社会生活に支障きたすのは困るが、そうでなければ、伸びる能力を思いっきり伸ばしてみたい。 格好つける、をけなしましたが、現実は正攻法と形から入る方法は立派に両立しています。
お礼
回答ありがとうございました。
- Postizos
- ベストアンサー率52% (1786/3423)
この質問には二つの問いがあるように見えます。 1.「論理的」という語の解釈の問題。 2.AとBの主張のどちらが正しいか。 1.に沿って考えると 例えば広辞苑では 1論理学で取り扱う対象についていう語。 2論理の法則にかなっていること。りづめ。 3比喩的に、事物の法則的なつながりについていう語。 としていて、AもBも1と3はあてはまりませんが2の理詰めにはあてはまるでしょう。 大辞泉では 1.論理に関するさま。「—な問題について書かれた本」 2.論理にかなっているさま。きちんと筋道を立てて考えるさま。「—に説明する」「—な頭脳の持ち主」 となっていて、これも「きちんと筋道を立てて考える」に当てはまるように思います。 1の意味ではAもBも論理的であると言えるでしょう。 2については人によって意見が分かれる所だと思いますが、どちらが正しいとも言えない所があるでしょう。ただし、教える時には「例文のスタイルにこだわらなくて良い」という指導(実際口頭でそう言うつもりなのでしょう)は両者とも共通しているわけでしょう?そういう意味では大筋では大差の無い意見と言えるのではないですか。 A・Bの主張じゃないですが、他にも論理はあるだろうし、そのどれもがある部分は正しいという事はあると思います。それが現実の事物では。
お礼
回答ありがとうございました。
補足、承りました。#4です。 >しかし、私はその説明がどうにも論理的であるとは思えません。 仰る通りです。論理的ではありません。その主張が「経験上、そのほうがいい」といったものなら、特に非難すべき点はありません。ただし、今まで出てきた作文多数を例文の数別に検証するなど、事実関係の確認は必要になります。 しかし、「理屈の上では、こうなるはずだ」という主張であれば、論理としては受け入れられるものではありません。あくまでも理屈だと言うなら、別途、認知心理学(←単なる例ですので、ご了承をお願いします)の成果などを用いて説明すべきです。
お礼
回答ありがとうございました。
- 1temarikartis
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>この本(「「わかりやすい文章を書く技術」)では、著者(樋口裕一氏)がBとしてその考えを述べています。 すなわち、著者はAを否定しています。 それは悪書に当たりましたね。そういうこともあるものです。 ところで、関係ないのですが、少々のお時間ありましたら私が立てた質問へも回答いただけないでしょうか?回答がつかずに少々困っております。 http://okwave.jp/qa/q8499244.html
お礼
回答ありがとうございました。
補足
申し訳ありません。 もう少し時間をください。 明晰な頭脳でないためにかなり混乱しています。
- fxq11011
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作文の例文なんて・・・?。 想像不可のため、実際に見てみないと、なんとも言えません。 ニュースの4W1H、とか4コマ漫画の起丞転結、程度の約束?であれば、例文はひとつで十分です。 ただし、それで理解できる能力がなければ、多くの例文を提示し、個々に最も都合のよい例文をまねて作文することから始めるのも有は有です。 作文が苦手?作文の能力がなければ、まず形から入って、馴れる(慣れるではなく)のも一つの方法です、伸びることに期待はあまりできません、伸ばす教育より、最低レベルに合わせた悪平等の教育とも?。
お礼
回答ありがとうございました。
- tiltilmitil
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「論理的」というのはその結果が前提条件から必然的に導かれるかどうかということでしょう。この場合はどちらの主張も結果に至る理由が「こうなるはずであると私は主張する」であるから、どちらも論理的ではないのです。 なお前提条件が間違っていたり不足したりしているという場合は、論理的には正しいが結果は間違っているということも起こりえます。
お礼
回答ありがとうございました。
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お礼
回答ありがとうございました。
補足
この本(「わかりやすい文章を書く技術」)では、 A ⇒ 私立中学の先生 B ⇒ 著者(樋口裕一氏) です。 著者は論理的な説明をしているつもりでこの本を書いています。 しかし、私はその説明がどうにも論理的であるとは思えません。