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現代の指揮官が戦国時代で戦ったら
もし現代の軍隊の指揮官が戦国時代にいって、その時代の武器を持ったその時代 の兵を指揮して、同程度の装備と兵力を従えている戦国武将と戦ったらどうなるのでしょうか? つまり時代によって武器の性能が進化しているのは当然ですが、 兵の動かし方といったものの考え方も進化しているのかどうなのでしょうか?
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用兵戦術の進化というか変化はそれだけの進歩も当然していますが、それよりも大きな影響は政治経済が与えています。 例えば資本主義や民主主義です。これにより大量動員が可能になり、傭兵主体から国民皆兵の常備軍に変わったということ。単純に傭兵が主力だったために様々な制約(例えば縦列隊形しか組めないとか)があった時代に、ナポレオン軍が快進撃できた理由の一つは戦術の自由度があったからです(もちろんナポレオン本人の資質も大きいでしょうが)。 http://www.tabiken.com/history/doc/F/F207L100.HTM つまりこういう文化の進歩に伴う用兵戦術の変化は、例え現代人がタイムスリップしても、一部隊指揮官程度ではどうこう左右できるものではありません。 ただあるとすれば、百年戦争時代の長弓のように、その時代の文化/技術で十分に可能な範囲で本格的に利用され、その有効性が明らかに実証されたような軍事史上の一大転換期の知識が利用することは可能でしょう。 もっと昔の話なら例えばギリシア時代の歩兵(槍部隊)の戦術の進化の歴史も活用できるでしょう。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E5%8F%B2 まぁ要は、武田信玄にこれからは騎馬じゃなくて鉄砲ですよと進言(信玄に進言・・・)出来たら、根本的に180度軍制を変えることは出来なくても、織田信長よりも早く主力兵器として使うことは可能ということです。 ただこの辺はあくまでも戦場での小手先の戦術レベルの話でしかないので、戦場で少々勝とうが、根本的な文化レベルの革新(戦国時代なら楽市楽座とか)には敵わないと思います。 つまり信長よりも早く鉄砲を使って何度か勝てたとしても、そういった戦術は早急に広まるものですから鉄砲の保有数の差で最終的には負けてしまう。太平洋戦争で日本軍が空母の集中利用による艦載機の先制攻撃という新戦術で快進撃をしていましたが、それも真似されてしまえば結局は経済力の差で勝負がついてしまうと。
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- kawakawakawa13
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Q,もし現代の軍隊の指揮官が戦国時代にいって、その時代の武器を持ったその時代 の兵を指揮して、同程度の装備と兵力を従えている戦国武将と戦ったらどうなるのでしょうか? A お話になりません。戦闘前に首をかかれて終わりでしょう。 「現代の軍隊そのまま」なら良く戦うでしょうが。 現代の軍隊は、情報・通信がその指揮活動に必要不可欠となっています。 現代の指揮官が戦国時代に行っても、情報は集まらない、報告は不確実で、ストレスで自滅しそうです。 戦国時代の武将は、今で言うところの三権の長を全て兼ねる存在です。 行政・立法・司法全てに通じなければなりません。 個人の資質にも寄りますが、兵の動かし方の前提となるものが違うのです。
- buchi-dog
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例えばですが、関ヶ原の合戦の日の徳川家康が、例えば日本語を喋るロンメルと入れ替わったとしましょう。 ロンメルは20世紀の優秀な将軍でしたが、戦国時代の軍隊を指揮する知識を全く持っておりません。どんな命令を出せばよいのか見当がつかず、東軍は収拾不能の混乱に陥るでしょう。全く戦争になりません。 一方、同じ関ヶ原の合戦の東軍陣営にロンメルが現れ、どのような方法によってかは分かりませんが、徳川家康と意気投合して信頼を得たとしましょう。そして、家康やその幕僚から戦国時代の戦術や現在の状況について詳しく教えてもらったとします。 その場合、ロンメルは家康に様々な策を授け、家康はその助言を活用して戦を有利に進められたはずです。火縄銃隊の活用方法にしても、当時の戦国武将が知らない方法が必ずあったはずです。そして、ロンメルは「碧眼軍師」として歴史に名を留めたかもしれません。 というわけで、 「現代の軍人が戦国時代にタイムスリップしたら、彼単独では何もできない。当時の大名の参謀としてクッションを置けるなら、現代戦術を戦国時代に生かすことが可能」 となるでしょう。
- ss79
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プロの軍人というのは意外に保守的なものです。 時代に合わせて柔軟に対応するとい事は不得意で、恐らくノイローゼか欲求不満に陥るでしょう。 柔軟性を備えた人物ならそれなりの歴史知識を活用して改善に努めるでしょうが、江戸時代の高島秋帆が幕府の高官に洋式軍隊風の模擬演習を見せた時、全く理解されなかったのと同じ悲哀を味わっう事になるのでは。 戦国時代と同様の装備と兵力を与えられても、恐らく勝手が違いすぎて戸惑うだけでしょう。 先ず兵士の訓練から始めなければどう指揮をすればよいのか立ち往生するだけでしょう。
- eqw-102
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質問の、普通に互角の兵力で 戦でぶつかったら、 敵を知り、己を知れば百戦危うからずや。 当時の兵を良く知る 戦上手の武将が勝ちます。 現代の軍隊の指揮官は、 「想定外」の連続です。 兵が逃げると思わなかった。 少し多いだけの兵力差で浮き足立って いきなり負けやがった。 何でこんな深追いするんだ? 唯一、 戦国武将は、現代の指揮官の考えを理解出来ません。 普通では考えられない 「奇策」で勝つ事も可能です。 但し、奇策はあくまでも奇策です。 同盟軍ならば、 1国の居城に回り込み、本国を攻撃すれば、 慌てふためき、 2国の連合なので半分に分断出来る。 こう言う策を申しでました。 この策に豊臣秀吉は、 「所詮、奇策は奇策。本策にあらず。」 と、渋い顔をしましたが、若い家臣の強い要望があったので任せました。 所が、居城の兵が頑強に抵抗し、 日数を要したたため、 逆に本隊との挟み撃ちにあい、 家臣2名が討ち死にする大敗北を喫してしまうのでした。 恐らく、 命令違反をしない 「エリート歩兵」 「コマンドー」 絶対裏切らない軍隊。 こう言う兵士を命令していた 温室育ちの 現代の軍隊の指揮官は、苦悩の連続だと思います。 月給100万円、ボーナス5ヶ月。 運転手付きの送迎車で毎日登庁。 毎日吹奏楽団の栄誉礼で敬礼を受ける。 戦争?知らない。 これが、一体何が出来るのでしょうか?
- imp-dsc
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面白いIFですね。 私の私見ではやや、現代の指揮官が不利かな?って感じです。 戦術規模ではほぼ互角といった所でしょうか?理由としては戦術ではセンスもさることながら訓練や経験によって展開可能だからです。この辺りは士官学校や陸軍大学で戦術や戦史を学んだ指揮官が有利だと思います。戦国武将はせいぜいが親兄弟の経験談。孫子の兵法を学んでいたら勉強家と言ったレベルです。知識の蓄積では勝負にならないでしょう。ただ戦術レベルでは指揮官や武将は陣頭指揮を執る訳ですから実地経験や体力勝負では指揮官が不利だと思います。 例えば秀吉の中国大返しなどと言った強行軍は現代の士官でマネ出きるとは思えません。実戦で知識を生かすにはそれ相応の体力や度胸が必要だからです。 もっと重要な戦略レベルでは相手によりますがほぼ指揮官が不利です。これはもうセンスが物を言う次元です。経験や知識は同レベルのセンスの持ち主同士が対峙した時に有利になる可能性が出てくる程度です。もっともそれさえも決定的ではありません。 例えて言うならやや不適切ですが戦術はチェス。戦略は将棋と思って貰えればいかがでしょう? どちらも基本ルールは変わりませんが、唯一にして最大の違いは持ち駒が使えるか否かです。 戦略では味方が減る可能性と増える可能性があります。しかし戦術では手持ちの戦力しか当てにできません。実戦ではその辺りは謀略とか外交がそれを担います。武将は軍の指揮官であると同時に行政・外交をもしなければなりません。そして、戦国武将で成功した者は例外無くそれらにも秀でています。 さて、戦術の王道とは強い味方で弱い敵に戦いを挑む事に尽きます。敵が多ければ予め減らし、強ければ弱点を探し、見つからなければ弱点を作る。敵が集まれば分散させる・・・これらは時代地域差はありません。せいぜいが表現する言語が違うだけです。 例えば敵のC3I(指揮・統制・通信・情報)を断ち切る事は現代戦(特にアメリカ軍)の常套手段です。乱暴な話ですが喧嘩でも相手の顔面を殴り指揮能力を奪い、関節を攻めて統制を絶ち、砂などで目潰しをして情報源を奪い取る・・・個人では具体的な行動です。現代戦はそれらを空爆・偵察・ハッキング・特殊部隊を派遣するなどの方法で行っている訳です。これらの概念は普遍とも言えますが、やはり技術革新による影響は避けられません。挙げた方法での空爆やハッキング等がそれに当たります。 やや、趣旨から外れますが、西洋では古代の主力は重装歩兵が主力でしたがゲルマン人やその他の東方の異民族は優れた騎兵や戦術で歩兵を圧倒していきます。その後銃火器が発達すると甲冑では防御できなくなり騎兵は駆逐されていきます。さらに言うと騎兵時代までは武器は剣・槍・弓等が武器であり習熟には時間がかかります。火器は時代が下るにつれて扱いが容易になっています。実際テロリストに人気のAK47等は新米でも遅くても数ヶ月もあれば使いこなせるのだそうです。そうすることで戦いは極少数の人達だけの独占状態から一般市民にも開放されました。それによって動員兵力は数十万とか百万単位で戦争が行われる様になります。 では重装騎兵(騎士)の運用概念は無くなったかと言うとそうでもなく、戦車を使った機甲戦術として今も現代戦で運用されています。 他にも戦術では古代の戦術が技術革新によって運用出来なくなっても更なる技術革新によってその概念が後世に甦る事はままあります。そういう意味では用兵学は進化しているか否かで図るべきか私は疑問です。 とりとめの無い内容ですみません。
- Scull
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たぶん「まともな指揮ができない」ことと思います。 まず第一に「兵士がついてきません」。当時の兵士は現代のそれとは違う規範にのっとって戦っておりますので「訳のわからん指揮をする」として誰も付いてきません。 他に的外れな指揮をすると考えられます。現代戦では射程1キロメートルの火器は珍しくありませんが、戦国時代では「ありえない距離」です。命がけの戦場で間合いの取り違えは致命的です。おそらくは戦闘指揮そのものが「的外れ」でしょう。 それから「敵の動きを予想できない」と考えられます。関が原の布陣図を見て帝国時代の欧米士官たちは「東軍の勝利を予想できませんでした」。同様に「戦術の常識」そのものが違いますので、現代風に戦術を立てると予想外の動きをされることでしょう。 後代のもの=優れた物ではない事に注意してください。作戦だけ突出させても、兵器や兵站、兵士、戦術があっていなければ意味がありません。