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戦国時代の毒薬(暗殺)

徳利でお酒をお酌する際は、注ぎ口は使わず敢えて丸い縁から注ぐのがマナー という旨がSNSで拡散され話題になっていますが それがマナーかどうかはさておき、注ぎ口を使わないという理由に諸説あり、そのひとつが戦国時代に注ぎ口に毒薬を塗って、暗殺に利用されたからというもの 本当にこんな手法で暗殺が行われたかどうか、私は知りませんが、もし実行しようとしたら相手に悟られな程度に少量の毒を塗らねばなりません 現代ならそんな少量でも致死量に達する毒物はありますが、戦国時代にそんな少量で致死量に達する毒物はあったのでしょうか?

みんなの回答

回答No.3

>毒については、いかがでしょうか? 昔から「トリカブト毒」がありました。 また、青酸カリ(シアン化水素)の発見は1782年にスエーデンの科学者によって行なわれましたが、青酸という毒物は古代エジプト時代から認識されていました。 ですので、青酸という毒物が古い時代に日本に入って来ている可能性があります。 毒物について、文献や記録は残ってませんが、毒殺に使用する毒物は「秘匿」しないと「毒殺がバレてしまう」ので「ごく限られた者しか知らない筈」で、古くから存在していても記録が残っていないのが普通です。 例えば「トリカブトと言う毒について、知っている者が殆ど居ない」なら「トリカブトで毒殺」しても「毒殺された」と気付かれず「病気か何かで死んだ」と思われてしまいます。 なので、毒物は「忍術の秘伝書」のようなモノにしか記録が残っていません。 「薬学」や「毒物学」が発展してくるまで、毒物は「一般には知られてないモノ」だったのです。

  • bekky1
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回答No.2

銀山があって、銀の精錬もされているので、ネズミ取りとして一般化するのは 江戸時代ですが、それ以前から、知る人ぞ知る「毒=石見銀山=ヒ素・亜ヒ酸」はある。 フグ毒も漁師の間では知られているから。 トリカブトなどもあり、鏃につかうのは、結構古い歴史があるんじゃないかな?

回答No.1

>現代ならそんな少量でも致死量に達する毒物はありますが、戦国時代にそんな >少量で致死量に達する毒物はあったのでしょうか? そもそも「戦国時代には、お酒をお猪口(盃)に注ぐための小徳利(燗徳利)が存在して居なかった」ので「徳利の注ぎ口で毒殺」は完全なデマです。 戦国時代の徳利は、今で言う「大徳利」で、お酒を酒樽から銚子(お酒を盃に注ぐ、急須のような物)に移したり、お酒を買って運搬するための、1升~3升のサイズの物でした。そのような「大徳利」から盃に直にお酒を注ぐのは有り得ません。 現在の、お酒をお猪口(盃)に注ぐための小徳利は、江戸時代天保年間に「お燗する」と言う飲み方が流行し「燗徳利」が作られました。 Wikipediaの https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%87%97%E9%85%92 の「燗酒」の「手法」の項目にも 鍋や銚子を直火にかけて燗をつけていたが、江戸時代の文化年間には、銅製または錫製の銚釐(チロリ)で燗をつけた。天保年間には、畿内地方ではチロリが用いられていたが、江戸では既に燗徳利(かんとっくり/かんどくり)が流行していた。 と書かれています。

galaxyneo
質問者

お礼

そもそも、まだ徳利が現れてなかったのですね ご回答ありがとうございます 毒については、いかがでしょうか?