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英雄と戦犯 戦国時代の武将はどちら?
戦争はいけないと言いながら、歴史の教科書で戦国武将が英雄のように書かれている事がとても不思議だと思って調べたら、似たような質問が過去にありました。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa275248.html 一番最後の方の回答が最も納得できたのですが、私は武器や戦地にロマンを感じるのではなく、武将(戦犯)にスポットを当てて、再度聞いて見たいと思います。 戦国時代とはつまり、国内、武力衝突だらけだった訳ですよね。 戦争を始めた大統領や、武力衝突を起こしている国の責任者を責めながら、戦国時代の武将を一方で英雄視することは、とても矛盾していると思うのです。 そこで、矛盾していない!と思われる方に質問なんですが、 なぜ矛盾していないのか、できれば論理的にご回答いただけたら嬉しいです。 よろしくお願いいたします。
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矛盾していると言ったら良いのか、矛盾していないと言ったら良いのか分かりませんが、重要な原則があります。「英雄とは、個人的資質によって英雄になるのではなく、歴史の進み行く必然性の最前線に立つことによって、英雄となるのだ」、と。 国内の例を挙げれば、足利尊氏ほど、戦前と戦後で教科書での評価が変わった人はいません。戦前の教科書では、後醍醐天皇に最後までつくした楠正成が英雄で、天皇にたてついた足利尊氏は反逆者だと教えていました。しかし、戦後になると早い段階で、「足利尊氏とは、実は、武家の勢力が公家の勢力を飲み込んでいく時代において、建武の新政が失敗に終わるなか、源氏の嫡流に生まれた者として、否が応でも武士たちの期待に応えるため、戦うしかなかった人物なのではないか」という議論が出てくるのです。こういう人物を、哲学者ヘーゲルは「歴史的英雄」と呼び、この概念に妥当する人物は、日本史では足利尊氏が真っ先に思いつきます。右派マスコミや郷土史研究家に、未だに「楠正成バンザイ」の人が多いことを思うと、足利尊氏の再評価は、非常に重要なテーマです。 足利尊氏は武将ですから、確かにたくさんの人を殺しています。しかし、彼が戦犯だったか、英雄だったかと言われたら、私なら英雄だったと応えるでしょう。足利尊氏なくして、武士が貴族を飲み込み、京都に幕府が置かれるという時代はなかったからです。他方、戦国時代の武将のほとんどは、単なる勢力拡大以上の結果を残している例はまれであり、英雄とは呼べないと思います。戦国時代から江戸時代初期における歴史の必然的な流れとは、各地の守護大名や下克上でなりあがった大名の勢力が強かったのに対し、江戸幕府が強力な権力で大名を押さえ込み平和な時代を作り上げるというものだったからです。この意味では、徳川三代目将軍の家光こそが、平和な時代を作り上げた人物であり、そこにいたるまでの過程で出てくる武将は、誰一人として英雄とは呼びがたいものです。家康の段階では、まだ、鎖国や参勤交代が明確化しておらず、いつ大名が反乱を起こしてもおかしくなかった情勢と言えるでしょう。 海外の例では、ケマル・パシャという非常に評価の難しい人物がいます。世界中がヨーロッパ列強により植民地化されていくなか、オスマントルコもまたインドや中国と同様の状況になり、国そのものの存続が危機にさらされていきます。さらに、オスマントルコは第一次世界大戦にドイツ側に立って参戦するという行動により、戦敗国となって、各地からギリシャ軍、イギリス軍、ロシア・アルメニア連合軍が攻めてくるという、国家存続の危機に立たされるわけです。 その時、突如として頭角を現した軍人がケマル・パシャであり、イズミールに上陸したギリシャ軍を撃退、各地のトルコ人による自治政府をまとめ上げながら「トルコ人であることは幸いである」をモットーに現在のトルコ領を死守、トラブゾンに一時期ギリシャ人共和国が出来るなどの騒ぎがあったものの、ギリシャとの住民交換でこの問題を収束させています。さらに、彼はイスラムこそがトルコの近代化にあたっての邪魔者であるという観点から、宗教指導者にして世襲君主のスルタンを追放、共和国制度導入、女性参政権の実現(なんと、日本より早いのです)、文字改革など、次々と近代化策を打ち出していくのです。この人物の業績は素晴らしすぎるもので、帝国主義時代において独立を守るには、これしかなかったという点では英雄ですが、問題点がいくつか指摘できます。最大の問題点は、オスマントルコが末期に行ったアルメニア人大虐殺を、黙認していたことです。無論、彼に言わせれば、「アルメニア人はロシア人の手先だ。防衛戦争の何が悪いのか」ということになるでしょうし、アルメニアは現在、隣国のアゼルバイジャン(トルコ系民族の国)の領土を一方的に占領して傀儡政権を作っており、この状況が続く限り和解は遠い先のことになりそうです。
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- outerlimit
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勝てば英雄 負ければ戦犯 質問の戦争犯罪は 1940年代に 戦勝国が 敗戦国の関係者を処罰しようとして ありとあらゆる理由をこじつけたものです 事後に立法したものに依存したものや拡大解釈も多数ありました 戦争犯罪の処罰 と尤もらしそうなことを言っていますが 報復の理由付けだけです 19世紀までの戦争では、負けた側の首脳はほとんどの場合生命は有りませんでした(戦死するか 投降後処刑される)
お礼
第二次世界大戦など、最近の戦争で、既に決着がついているものについてであれば、理解できました。 質問文に「武力衝突を起こしている国の責任者」と書きましたのは、現在勝敗のついていないテロの頻発している国などを指して書いたつもりでした。 現在、勝ち負けがまだ決まっていないのに、犯罪者扱いされている人たちもいますよね・・。 また、戦国時代でも信長などは最終的に負けたのに英雄であったり、戦国ではありませんが、典型的な敗者の英雄で言うと、新撰組などは良い例かと思います。 つまり、全てにおいて勝敗だけで英雄かどうかを決めているようにも思えないのです。 ありがとうございました。
- Shambleau
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矛盾すると思うのは、現在の倫理を昔の人間に当て嵌めるからです。 戦犯あるいは犯罪とは決められたルールを破ったからなるものです。ルールが決められる前にはルール違反はできません。後で決まったルールを過去に適用するのは法の不遡及に反します。 戦争犯罪を初めて国際的に制定したのはハーグ陸戦条約ですから、1899年以前には戦犯は存在しません。 当時は軍事と政治は一体化しており、優秀な武将が治める場所は治安が良く、経済的にも潤うことになります。これらは領民には良いことだったので、優秀な武将が英雄視されるのは至極当然でしょう。
お礼
2番の方のお礼にも書きましたが、私が矛盾していると思うのは 目立つところでは教師などが生徒に「戦国時代の武将は英雄」「世界情勢の悪化は罪の無い国民が死んでいく最悪の行為。よって責任者は悪」 という二つの主張を行っている部分なのです。(言葉足らずでした。すみません) でも、実のところみんな「ルールをやぶっているから戦争はいけない。よって責任者は悪」と思いながらも、特に学校では、そんな言い方はできないので、 口では「罪の無い国民を殺すなんて最悪だ」と言っているだけなのでしょうか? もし、そうであれば本音は 「戦国時代はルールを破った訳でもないし、生き残った領民には良いことがあったので英雄だが、現在の世界情勢の悪化は多くの責任者がルール違反をしているから問題である、よって責任者は悪」 というところにあると言う事ですね。 で、あれば道徳的な観点はともかくとして、彼らの主張は矛盾していないと納得できます。 ありがとうございました。
- tiltilmitil
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直接もしくは間接的な利害関係があると判断できるかどうかではないでしょうか。 何らかの形で自分に対して脅威となるのならば、それは攻撃するべき対象である。だが、関係ないものであれば単に普通の人間にはなかなかできないすごいことをやっている人でしかない。 現在、もしくは比較的近い時代であるなら、世界情勢の悪化は自分に対して影響するから問題行為。だけどもはや現在との因果関係すらたどれない過去の話であるなら、自分に対してほとんど関係ないから英雄的行為。
お礼
比較的多くの人が(目立つところでは教師などが生徒に)「戦国時代の武将は英雄」「世界情勢の悪化は罪の無い国民が死んでいく最悪の行為。よって責任者は悪」 という二つの主張を持っていると感じる事があります。 私には矛盾に見えて仕方がないのですが、あまりにまかり通っているので、実は矛盾していないのだろうか?と思い、ここで質問いたしました。 でも、実のところみんな「戦争を今されたら罪の無い自分に実害があるから最悪だ」と思いながらも、そんな言い方はできないので、 口では「罪の無い国民を殺すなんて最悪だ」と言っているだけなのでしょうか? もし、そうであれば本音は 「戦国時代は自分に関係ないから英雄だが、世界情勢の悪化は自分に影響があるから問題である、よって責任者は悪」 というところにあると言う事ですね。 で、あれば道徳的な観点はともかくとして、彼らの主張は矛盾していないと納得できます。 ありがとうございました。
- kitkat77
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矛盾しています。質問の趣旨にはそぐいませんが、ひとつの意見です。 http://www.glorantha.to/~tome/visit/hero.htm 上記にひとつの英雄論なるものが、書かれています。が、少しは参考には なります。 私個人的には、国内における戦国時代その人物は、英雄というよりも豪傑と言ったほうが、しっくりきます。 英雄=ひいでる さも他の人間より優秀でほめたたえるべきである。というようなイメージを与えかねません。 日本にしろ、中国時代の有名な三国志の時代にあっても大将以下は1大隊2,3人が優秀であとは足軽みたいなものが多いのではないかなと思います。 英雄という表現しかないというのは、おかしいと思います。
お礼
矛盾していないと思われる方の意見を聞きたかったのですが、 「矛盾している」とハッキリおっしゃる方がおられる事が分かり、参考になりました。 豪傑と言う言い方は私のイメージにもピッタリ当てはまりました。 ありがとうございました。
お礼
なるほど。 英雄の定義が個々人の中にあり、それに当てはまる人物は英雄。 そうでなければ戦犯である。 という考え方ですね。 これは分かりやすいですね。 多くの人が暗黙のうちにこのような英雄定義で理解しているのなら、戦勝国の責任者は英雄で、敗戦国は戦犯。という分かりやすい決め付けも矛盾はなくなりますね。 ただし、その定義は絶対的なものではないので、評価が時代やその時々によって変わってくる事があるという訳ですね。 ありがとうございました。 ところで無知ですみません。ケマル・パシャと言う人は始めて知りました。本当にすごい人ですね・・