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楠正成がたてこもった?山頂にある城
確か「その時歴史が動いた」で見たんだと思いますが、 全く何もない山にお城が建っていた映像を見た記憶があります。 何処のお城だかわかりますか? 市民が普通に暮らしていると見せかけて物資を運んでいたそうです。 情報が少なくてすいません。
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大阪府千早赤阪村にあった、赤坂城・千早城に間違いありませんが、若干補足をさせて頂きたいと思います。「楠正成」と書かれていますが、普通は「楠木正成」と書きます。また、そもそも、「城」というイメージが、現代人と中世とでは異なると思います。織田信長以来の天守閣のある城を「城」と、我々はイメージしていますが、元々の城は、「全く何もない山」なのです。数十年前、丹波篠山の古城巡りに参加したことがありますが、私には、ただの「山登り」にしか見えませんでした。
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- ss79
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回答No.3
初期の城は大抵地形を利用した地点を選び、木柵や濠を掘って防御にあてた簡単な構造が普通でした。 楠木正成が千早城や赤坂城を築いたのはいずれも山頂で廻りは険阻な地形で大軍では接近出来ないため少数の兵士しか近寄れない地形を利用したものです。 少数の敵ならば小勢でも防げます。 しかも東国勢の経験したことのないゲリラ戦法で迎え撃ちましたから大軍で押し寄せても長期間持ちこたえられたのです。 地元にも近く協力して食料などを補給する人にも不足する事はありませんでした。 山城の欠点は水の補給です。 大抵の山城は水の補給に苦しみ落城しています。
noname#113190
回答No.1
お礼
皆さん回答ありがとうございます。 空撮の映像で見ただけですが、「凄いところに城を作ったなあ」と思いました。 昔は山が城(要塞)って事でしょうか? 興味深いです! 一度見に行ってみたいです。 ちなみにここと安土桃山上に興味があります(^^)