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楠正成について

質問のタイトル通りです。 楠正成について色々詳しい方回答お願いします。 ちなみに、楠正成?政重?どちらがただしいのですか? どんな事でもいいです。それなりにご存知の方の感想なども頂けたら幸いです。

質問者が選んだベストアンサー

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  • sophia35
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回答No.5

こんばんは。 お礼を有難うございます! >どうもうちの家系は楠家に由来しているらしく そうなんですか!カッコいいですよ~!!楠公さんの末裔だなんて、憧れてしまいます!! 自分のルーツを知ることはとても大切なことだし、何となく気になりますよね。 実家は旧い社家で菅公さん(菅原道真)の末裔らしいけど、歴史を見たって梅が恋しいと嘆いてみたり(笑)40過ぎたら、ヒゲに白髪が混じっちゃったよ~と嘆いてみたり(苦笑)「何だか女々しい人やなぁ~」って感じですよね(笑)受験だって第一志望落ちちゃったから、「子孫に厳しすぎやん!」と腹を立てた覚えもあります(笑) おっと!脱線してしまいましたが、私が読んだ楠公さんに関する本で、なかなか面白かったものがあったので、補足として付け加えさせて頂きます。 楠木正成と悪党―南北朝時代を読みなおす http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480057854/qid=1082640375/sr=1-130/ref=sr_1_0_130/249-5435647-5016329 人となりと言うより、歴史の背景を知るにはとても役立つ一冊だと思います。ちょっと難い感じですが、参考にはなると思います。 悪党の裔(すえ) http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/412002167X/qid=1082640156/sr=1-21/ref=sr_1_0_21/249-5435647-5016329 ハードボイルド作家の北方謙三の著作です。同時代の悪党、赤松円心を通して描かれた正成が描かれています。 歴史小説としてみても、なかなか面白いですよ。 楠木正成 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4122042178/ref=pd_sim_dp_4/249-5435647-5016329 同じく北方の著。私の言った「男気」が、この一冊を読むとご理解いただけると思います。ご先祖様を誇りに思えますよ! お調べになる際の一参考になれば幸いです。

y-tomo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >実家は旧い社家で菅公さん(菅原道真)の末裔らしいけど、歴史を見たって梅が恋しいと嘆いてみたり(笑)40過ぎたら、ヒゲに白髪が混じっちゃったよ~と嘆いてみたり(苦笑)「何だか女々しい人やなぁ~」って感じですよね(笑)受験だって第一志望落ちちゃったから、「子孫に厳しすぎやん!」と腹を立てた覚えもあります(笑)   この部分かなりうけました。(笑) でも、本当ここ数年なんです。父方の家系の事を知ったのは。って言うか、親の仕事も20歳頃までハッキリ知らなかった位で・・・・・。父は宮大工をしているのですが、「家は宮大工だ!」って父が言ってるのを子供の頃から聞いてて(苗字に宮がつくから宮大工?)って思ってたんですよね・・・。宮大工と言う職業がある事自体知らなくて、宮大工って職業を知ったのが19歳の時でした・・・・。しかも、バイト先の人から親の事を聞いた次第で・・・。親に対して面目ないです。もちろん知らなかった事は親父様には言えませんし言いません。(笑)     本当にy-tomoはお馬鹿で楠木正成を知って、ちょっと調べても「悪党」って言葉が多くて、それに武士って何かイメージ悪くて・・・・。その時代のお家に生まれて生きなくちゃいけない宿命ではあったのでしょうが、ある意味人を殺めなくちゃいけない人達で・・・・。可哀相だと思うのですが、人を沢山殺してしまう、殺さざるえなかった人達ってイメージで悲しいような・・・。で「悪党」って言葉が多いから、武士な上悪い人だったのかな?って、正直人に言うのは躊躇いがあったのですが、ここまで褒めて頂くと少し?結構嬉しいし結局は血縁者?になる訳だから大変光栄です。でも、sophia35さんは凄いですね。ご自分の(菅原道真)さんの事もお調べにはなっているんでしょうけど、ご自身には関係ない正成さんに関する本とか一杯読んでるんですね・・・・。きっと他にも沢山歴史書物を読んでらっしゃるんでしょうね・・・・。 やっぱり、(菅原道真)さんの血が流れてるんですよ。感心です!!子孫には厳しい方みたいですけど・・・・。(笑)

y-tomo
質問者

補足

後、楠木家の補足ですが、父の母が楠木家の家系から嫁に来てますが、そのおばあちゃんはクオーターです。ロシアの血が入ってます。きっと正成さんは子孫がそんな混血になってると思いもしなかったでしょうね。 しかも親父はy-tomoが中学時代にリバーフェニックスにはまって「将来外人と結婚する」って言った言葉を聞いて「日本人以外は人間じゃない!!」ってかなり怒り狂ってました。でも、今思うと「じゃああんたも・・・・?」って感じですね。(笑) 楠木さんは正直本当に名前なんて全然頭に残って無かったですけど、菅原さんはよく聞くし子供の頃漫画(お馬鹿なので漫画です)とか読んでても色々な本で良く出てきてたので、よく覚えてます。あさりちゃんとか、うる星やつらとかで、あたるのお守りから出てきてたの覚えてますよ。下らな過ぎる補足ですよね・・・。 ちょっと長くなりましたが、大変参考になりました。 一度には読めませんが上記の作品年内中に読破しようと思います!!ありがとうございます。

その他の回答 (4)

  • buck
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回答No.4

>やはり悪いイメージが強いでしょうか? '悪'という字には、'強い'という意味が含まれているのです。 ですから'河内の悪党'といっても、それは今日的な意味での悪い者の集団とか犯罪者集団を示しているわけではないのです。むしろ、強力な武者集団の統領と捉えるべきなのです。 源義朝の長男で頼朝の兄にあたる義平は鎌倉悪源太を名乗っていますが、この場合も鎌倉の源太という名の強き武者というような意味です。 他にも悪七兵衛景清など名乗りに悪という字が使われる例があります。

y-tomo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >'悪'という字には、'強い'という意味が含まれているのです。 との言葉、大変嬉しかったです。   >ですから'河内の悪党'といっても、それは今日的な意味での悪い者の集団とか犯罪者集団を示しているわけではないのです。むしろ、強力な武者集団の統領と捉えるべきなのです。 なるほど~と思いました。buckさんは歴史に詳しい方なんですね・・・・。(尊敬・・・) 以下の方達へのお礼の回答通りでして、本当自分みたいな者が・・・・、と恥ずかしい所存ですが、ちょっと興味があったので調べてみたくて・・・・。 ありがとうございます。 >強き武者というような意味です。 現代では、そう言う風に捉えられてる事はきっと、ご本人達は凄く嬉しいでしょうね。y-tomoも情けない子孫ではありますが大変嬉しいです。 ちなみに、父の母がそちらから嫁に来たと言う事でして、ご先祖様に対して失礼の無いように、お馬鹿なy-tomoは直系と言うことではありませんので。 下らない質問に回答ありがとうございました。

回答No.3

こんばんは、y-tomo様。 直接歴史とは関係ありませんが、ボクからは彼の信仰にまつわるお話を一つ…。 y-tomo様は摩利支天(インドでは「マリーチ(陽炎・威光の意味)」)と言う密教の神様をご存知ですか? 摩利支天は元々陽炎を神格化した神様だと言われておりますが、この神様の加護を得られれば敵に悟られずに相手を襲い、自らは決して傷つかないとの事で、武士達の信仰を集めておりました。 正成もまた摩利支天を信仰し、戦の時には鎧の中に摩利支天の像を忍ばせ、隠形の術をもって敵を恐れさせたと伝えられております。 ちなみにボクは、正成を「悪い」イメージで…と言うのは無いですね。むしろ彼ならではのロマンを感じるので、尊氏よりも好きです。 「悪い」イメージと言うのも、「見方変われば…」と言うのもあると思いますよ。幕府から見れば「逆賊」かもしれなかったけど、朝廷から見れば「忠臣」であったのは確かですしね。

y-tomo
質問者

お礼

こんにちは、かな?こんばんわ、かな? 回答ありがとうございます。 sophia35さんへの回答お礼にも書き込ませて頂いたとおりでして、NyankoCyayaさんの回答は違う意味で、先祖の事を知る事が出来、大変勉強になりました。 正成の事を勉強したら、今度は>摩利支天(インドでは「マリーチ(陽炎・威光の意味)」)と言う密教の神様  の事を勉強してみようと思いました。 >ちなみにボクは、正成を「悪い」イメージで…と言うのは無いですね。むしろ彼ならではのロマンを感じるので、尊氏よりも好きです。 「悪い」イメージと言うのも、「見方変われば…」と言うのもあると思いますよ。幕府から見れば「逆賊」かもしれなかったけど、朝廷から見れば「忠臣」であったのは確かですしね。   と言う回答大変嬉しかったです。y-tomoは、ご先祖様には申し訳ないのですが、本当に頭が悪くて・・・・。(でも、ご先祖様に悪いイメージがつかないように補足しますが、父を含め親族は殆ど国立出の優秀な方達です) ですが、y-tomoは親族一の勉強嫌いの能天気でして、殆ど知識が無いに等しかったので大変勉強になりました。ちょっと、ここへの質問も躊躇しがちでしたが、質問して良かったです。ありがとうございました。

  • sophia35
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回答No.2

sophia35です。 >やはり悪いイメージが強いでしょうか? いえ、どちらかと言うと、男気のある人間像を感じますし、本来これだけの身分の差がありながら、それでも正成を買って、「夢枕に童子が立った」と言う「でっちあげ」のお告げまでも持ち出してまで厚遇した後醍醐天皇の心に応えて、その身果てるとも自分の信じ、信じてくれる方の為に全身全霊で闘い殉じた男・・と言うイメージがありますね。 そう思うのは、下記の本を読んだ影響でしょうか。 非常に面白く興味深いので、ぜひご一読くださいませ。 因みに悪党とは現代の様な意味は無く、反政府集団と言う意味合いで使われていたと思います(これは自信なし) 御参考になりましたでしょうか・・・

参考URL:
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0109.html
y-tomo
質問者

お礼

参考URL色々ありますね。 >そう思うのは、下記の本を読んだ影響でしょうか。 非常に面白く興味深いので、ぜひご一読くださいませ。 大変勉強になります。ちょっと探して購入してみようかと思いました。ありがとうございます。 近年知ったのですが、どうもうちの家系は楠家に由来しているらしく、学生の時、何分勉強して来なかった為余りよく知りませんで・・・・。 父方の家系です、父に色々聞くと博学な人なので、y-tomoの頭の悪さにしかられるのが目に見えているので聞けませんでした・・・・。でも、やっぱり興味があるので調べるにしても、その方だけの歴史書って見つけにくいので、考えてた次第でして・・・・。大変参考になりました。ありがとうございます。 ちなみに、>やはり悪いイメージが強いでしょうか?  の回答大変嬉しかったです。

  • sophia35
  • ベストアンサー率54% (637/1163)
回答No.1

こんばんは。 あまり詳しくも無いのですが、宜しいでしょうか? 一応、正成が正解ですね。1294生、1336没の南北朝期の武将として知られていますが、どちらかと言うと、武士いうよりも河内の豪族であり、武士とは言えない「悪党」の首領ですね。ご当地では「楠公(なんこう)さん」と呼ばれて親しまれています。奇襲戦法等、兵法に非常に優れ、朝廷に召されて数々の武勲を挙げました。(この辺りは専門の方にお譲り致します) 当時鎌倉幕府を破った足利尊氏は京都で朝廷軍に敗れ九州に落ち延びていましたがそこで西国武士を集め、再び京に攻め上ってきました。そこで朝廷は新田義貞と楠木正成に、兵庫で尊氏の大軍を迎え撃つように命じます。正成は足利軍10万を迎え撃つためにわずか700騎で兵庫に向かうのですが、延元元年(1336年)、湊川(神戸市)で壮絶な戦いの末、弟の正季らと共に「七生報国」(七度生まれ変わっても同じく朝廷のために戦う)を誓って自決します。これが有名な「湊川の合戦」です。この時に確か、息子の正行に再起を託して帰郷させるのですが、それが有名な「桜井の宿の訣別」で、 青葉繁れる桜井の 里のあたりの夕まぐれ 木下陰に駒止めて 世の行く末をつくづくと 偲ぶ鎧の袖のえに 散るは涙かはた露か と言う歌に偲ばれています。 私の知っているのはこのくらいですが・・・御参考の一部に加えて頂けたら幸いです。

y-tomo
質問者

補足

回答ありがとうございます。 sophia35さん的には楠正成にどう言ったイメージがおありですか? >武士いうよりも河内の豪族であり、武士とは言えない「悪党」の首領ですね。 と言う事ですが、やはり悪いイメージが強いでしょうか? ちなみに、確か御所の前だかに銅像が建ってましたよね? 下らない質問ですみません。

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