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坂口安吾「文学のふるさと」「堕落論」

坂口安吾の「文学のふるさと」の中で『救いが無いこと自体が救いである』という表現が出てきます。 堕落論の『人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ・・・堕ちきる道を堕ちきることによって自分自身を発見し救わなければならない。』 という箇所を踏まえての意だと思うのですが、どのような意味でどのような事を言いたいので言いたいのでしょうか??

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  • taked4700
  • ベストアンサー率37% (777/2050)
回答No.1

こういう解釈もあると言う意味で、読んでください。 日本人は、他者に対する依存意識が強いのです。日本語自体が、動詞が文末に来るようになっていて、環境依存の度合いが強い言語です。 つまり、非常に世間のしがらみを強く受けてしまう心的態度と言うか、演歌的世界観というか、そういうものがあるわけです。 しかし、それでも自我はあるわけで、その自我は、あくまで自分自身の存在が前提としてあるわけです。他者の干渉なしに自分自身と向き合うには、世間から分離しなければならず、その分離の過程が「正しく堕ちきる」と言う表現となっているのでしょう。 そして、「堕ちる」ためには、その過程で「救い」があってはならず、他者の介入なしに、自分自身と向き合う必要があると言うことではないでしょうか。 ただ、こういうことが出来るのは、かなり余裕のある環境に居る場合だけだと感じます。

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