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武田信玄の三男信之について
武田氏の系図の中で信玄の三男に「信之」という人が記載されているものがあります。 10才で夭折したそうですが、どのような史料を根拠とされているのでしょうか? 『山梨県史』資料編や、『尊卑分脈』などをざっと見たのですが、「西保三郎」という人物は出てきますが、「信之 夭折十才」は確認できませんでした。 ご教授いただければすごくありがたいです。
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No .1です。 坂本徳一著 「武田信玄 孫子の戦法」 新人物往来社発行 に記載がありました。 軍記ものは軽視して見落としました。 信之 夭折十歳 とあります。 参考文献は下記の通り。 1. [武田資料集」 新人物往来社 2.「信濃資料」 信濃毎日新聞社 3. 「新編信濃史料叢書」 信濃史料刊行会編 No .2さんの「甲陽日記」は普通「高白斎記」と呼ばれ、上記史料に転載されているそうです。
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- eqw-102
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甲陽日記のようです。
お礼
ありがとうございます。 早速読んでみます。
- Pinhole-09
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信玄は関心ある武将なので調べてみました。 「戦国大名系譜人名辞典」記載の家系図では 西條三郎信之(早世)とあります。 他の本の家系図では夭折とあり、似たようなものです。 死因の手がかりを探しても、信玄の本で信之に触れたものは殆どありません。 ただ一つ 細島喜美著の歴史小説 「武田信玄」の中に次の一文がありました。 晴信は4人の子女の父となっていた。 長男は信千代(のちの太郎義信)、長女が梅姫(のちの北条氏政夫人)、次男が竜千代で三男は寅千代だった。しかし、次男は生まれながらの盲目だったし、三男は病弱児で無事の成長はおぼつかない。 何か資料を参考にしたのか、明記されていませんが、信之は病死でしょう。 10才で夭折を知るのは、過去帳を探すか、墓碑銘を調べるかしないと、出来なかったのではないでしょうか。
お礼
ありがとうございます。 なるほど「西條」ですか。 「西条」になっている資料も見たことがあります。 おおもとの史料が知りたいところです。 細島喜美さんの小説も読んで見ようと思います。 過去帳類ももう少しあたってみたいと思います。
お礼
たびたび、ありがとうございます。 自分の読み方が悪いために、なかなか史料に行き着きません。 どうも坂本徳一氏作成の系図から「信之」が出てくるようなので、坂本氏の著作は大変参考になるかと思います。「信濃史料」等は確かにクサイですね。 早速調べてみます。