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青さし五貫文
江戸時代と思いますが、孝子や人命救助などの人を表彰し「青さし五貫文」を与えるという話を聞きます。 現代では孝行などは陳腐すぎてその逆の行為を多く見聞きしますが、江戸時代でも表彰の対象となる程、少数だったのでしょうか? また「青さし五貫文」とは具体的にどのようなもので金額としてどれ位だったのでしょう?
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当時のほうが孝行は当たり前だったようにおもいます。 それを差し引いても、お金を与えるほどの立派な孝行だったということでしょう。 五貫文は五千文、当時の単位で一両にあたるものでした。青差しというのは、紺色に染めた麻縄を、お金の穴に通して結んだものだそうです。 一両はいくらかということを、当時と現在の物価を比較して換算することがあります。現在では当たり前に流通しているものでも、当時は非常に貴重なもの(砂糖、たばこ、たまごとか)だったりすると、単純には比較できないし、時代によっても変わるのですが、米で比較すると一両=20~35万円くらいになるそうです。 http://www1.u-netsurf.ne.jp/~sirakawa/J029.htm
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- cwswcm
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落語でしか耳にしたことはありませんが、そこから得た知識で回答します。 特に顕著な善行を施した者に与えられるご褒美ですから、ちょっとやそっとの行為では貰えなかったのではないかと想像します。そもそも「お上が何かを下さる」ということ自体がすでに名誉なことですしね。 1貫文=1000文ですから、5貫文は5000文=1両1分、 米の値段にして現代の価値に換算すると10万円程度ですから、ちょっとした金一封ってかんじでしょうか。
お礼
早速のご回答有り難うございます。 5000文ですか! 当時の物価を考えると相当な額ですね。 特に表彰するほどの特別のケースだったのですね。
お礼
ご回答有り難うございます。 人倫とか規範とかいうのが希薄になった当今、表彰される程の親孝行とはどのようなものだったのかとふと考えました。 麻糸でとじたとしても、5000枚は随分の分量でしょうね。 私は重量かと思いました。 1両相当とはあなりのご褒美だったのですね!