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青銅1万貫とは。

Wiki「比叡山焼き討ち」によれば、 比叡山焼き討ち13年後、秀吉は、山門再興費用として青銅1万貫を寄進しています。 この「青銅1万貫」とは、多分、永楽通宝のことと思いますが、「銭ゼニ」と呼ばずに、なぜか材料名の青銅としています。 これは、銀製の永楽通宝ではなく、青銅製のものだと断っているものと解釈しましたが、釈然としません。 質問です。 なぜ、わざわざ青銅としたのでしょうか。 当時、銀と青銅では値打ち(例えば需要が多い)があったのはどちらですか。 どうでもよいような質問かもしれませんが、よろしくお願いします。

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回答No.2

Wikiでは「青銅1万貫」の出典が不明確のため、 先に典拠・出所等を探ってみますと、 〇『大日本史料第十一編之七/東京大学史料編纂所』 https://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/850/8500/02/1107/0230?m=all&s=0230 「天正十二年五月一日」 (230-231頁) 上記の〔天正本山再興之記〕〔東叡山日記〕から出所は「惠心院亮信僧正」の可能性が高いようです。 次に現在の辞書で確認しますと、 〇『日本国語大辞典 第二版/小学館』 【青銅(しょう‐どう[シャウ…])】 〔名〕銭(ぜに)の異称。せいどう。 〔評判記・色道大鏡(1678)〕 〇『広辞苑 第六版/岩波書店』 【青銅(せいどう)】<2>銭(ぜに)の異称。 〔日葡辞書(※1603-1604年)〕 〇『スーパー大辞林3.0/三省堂』 【青銅(せいどう)】<2>銭(ぜに)の異名。 〔下学集(※1444年成立、1617年刊行)〕 これでは「青銅=銭の異称・異名」だけなので、遡りますと、 〇『温故知新書:尊経閣叢刊.中/侯爵前田家育徳財団/昭14.2』 (※1448年成立) https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1144167/20 <20/48>(右側) 器 … … 青鳬(セイフ)銭名 青銅(セイトウ)同上 … 〇京都大学貴重資料デジタルアーカイブ> 『運歩色葉集/元亀二(1571)年<辛未>二月上旬書写畢 筆者師岡』 (※1547-48年成立) https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00013243#?c=0&m=0&s=0&cv=182&r=0&xywh=-2669%2C0%2C8408%2C2047 [183/196](右側) 銭(ゼニ) 鳥目 鵝目 鵝眼 青蚨 青銅 銅臭 … 〇早稲田大学図書館 古典籍総合データベース> 『下学集.巻之上,下/東麓破衲[編];山脇道円[増補] [京都]:長尾平兵衛,寛文9[1669]』  (※1444年成立、1617年刊行) https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ho02/ho02_00230/index.htmlhttps://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ho02/ho02_00230/ho02_00230_0002/ho02_0020_0002.pdf [72/91](右側) 錢(セニ) 香錢(カウセン)礼錢ノ之義也…孔方兄(コウハウヒン)錢ノ異名也…鵝眼(カガン)…鳥目(テウモク) 青蚨(セイフ)錢ノ異名也… 用途(ヨウト) 用脚(ヨウキヤク) 青銅(セイトウ) 青鳬(セイフ)以上皆錢ノ異名也 以上から遅くとも室町期以降、 「銭」には複数の異名・別称があったことが読み取れます。 上記に基づいて探ってみますと、下記などが見出せます。 〇「徳川期における小額貨幣:銭貨と藩札を中心に/藤本隆士」 『社会経済史学 57巻2号/社会経済史学会/1991.7.30』 https://www.jstage.jst.go.jp/article/sehs/57/2/57_KJ00002435382/_article/-char/ja/ [10/28](188頁上段19行目-下段3行目) 銭の一疋を十文とすることは、江戸時代以前からの古き習慣であつて、金の疋の唱へ方と共に主として儀式上の唱へ方に之を用ひた。例へば「青銅百疋」といへば銭壱貫文の事で、青銅と言ふのは銭の別称である。 〇「貞丈雜記 卷之十五」(※1763-84年成立1843年刊行) 『故実叢書. 貞丈雑記(伊勢貞丈)/今泉定介編/吉川弘文館/明32-39』 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/771950/26 <26/71>(609頁1-4行目) 鳥目類之部 金銀類此ノ部ニ兼入 一 錢の事を鳥目とも鵞目とも鵝目とも云ふ事錢の形鵞といふ鳥の目に似たる故なり眼はまなこと云ふ字にて目と同じ又靑銅と云ふ事錢は銅にて作るなりさびれは靑くなる故なり 〇駒澤大学総合教育研究部日本文化部門 「情報言語学研究室」> ことばの溜め池 https://www.komazawa-u.ac.jp/~hagi/ko_tame20.html 1999年5月22日 「銭の異名」と「額の異名」 室町時代の禅僧は、銭を別名で表現することが多かったようだ。… 改めて「・東京大学史料編纂所>データベース検索>できごとを主題に> 大日本史料総合データベース」にて https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/index-j.html キーワード「青銅」検索を試みますと、 主に天正年間に集中して本文用例が見出せます。 (但し、不具合か?ヒットしない箇所に用例が隠れている場合も) 以上 「青銅」の呼称が「材料名」か「銭の異名」か特定には至りませんが、 私見では、単に「銭の異名」の可能性が高いように思います。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答真にありがとうございます。 よく分かりました。 私は、「青銅1万貫」の出所が青銅を寄進した秀吉側の記録にあると思っていましたが、そうではなく寄進を受けた延暦寺側(惠心院亮信僧正)の記録にあったのですね。 私は、秀吉なら「銭」と書くだろうと思って質問しましたが、僧侶であれば言葉遊びはお手の物でしょう。 「銭の異名」の可能性が高いようですね。 詳しく調べて下さって真にありがたく、感謝申し上げます。 追伸。「情報言語学研究室 ことばの溜め池」は、大変面白かったです。

その他の回答 (1)

  • jkpawapuro
  • ベストアンサー率26% (816/3045)
回答No.1

ひょっとして秀吉が鋳造しなおした銅貨かもしれませんよ? 特に根拠はないんですけどw 当時永楽銭も本物の渡来物は限られていて日本で私鋳した鐚銭が大量にあり、それが流通の阻害になっていました。そして秀吉が鋳造した金貨銀貨は現代に伝わっていますが銅貨に対して秀吉が何を行ったのかよくわからないんですよね。 ですからその貫は鐚銭を含んだ当時市中に流通する永楽銭ではなく、本当に青銅で重量1万貫なのではと想像します。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 なるほど!素直にそのまま読めばよいのですね。 十分納得できます。 受け取る側の寺にとっても、素材としての青銅であれば、仏具や仏像をつくることができるので、都合がよいのかもしれません。

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