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なぜ「おいしかった」ではなく、「おいしい」なのでしょうか。
私は日本語を勉強中の中国人です。初心者向けの練習問題に次のような文章がありました。理解できない箇所がありますので、ご指導くださいますようよろしくお願い致します。 「父の趣味は野菜や花を作ることです。庭でいろいろな野菜や花を作っています。父は自分で作った野菜や花を近くの人にあげたり、友達に送ったりします。野菜を食べた人はみんなとても【おいしい】と言います。雨が降ると、庭で仕事が出来ませんから、うちで料理を作ります。父は料理が上手だと思います。でも、とても時間がかかります。4時ごろ晩ご飯の準備を始めても、食事は7時ごろになります。」 上記の文章の文中【 】の箇所で、なぜ「おいしかった」ではなく、「おいしい」なのでしょうか。「野菜を食べた人」の当時の瞬間的な感覚としては、「おいしかった」のほうがふさわしいのではないでしょうか。私は同じ意味の文を書くなら、たぶんも「おいしかった」と書きます。とても気になりますので、教えていただけないでしょうか。 また、自然な日本語の文章を書きたいと思いますので、よろしければ質問文の添削もお願いできると有り難く思います。
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◆ まず、過去の出来事について述べる場合、基本的には、 【過去の事実に力点を置く場合→過去形】 【時制にこだわらず、ものの属性や事柄の中身自体に力点を置く場合→現在形】 の2通りがあると考えて良いと思います。 つまり、「おいしかった」「おいしい」どちらでも全く問題はありません。 どう考えるか、どう感じるかという個人の感覚の問題になります。 ◆ <野菜を食べた人はみんなとても【おいしい】と言います。> まず、「実際に野菜を食べた人が何と言ったのか」を 考えてみましょう。 3日前にご近所の数人にトマトをあげたとします。みんな家へ帰ってすぐ食べたらしいですが、トマトの味はとても好評でした。それぞれ、お父さんにお礼を言いに来ました。 【おいしいトマトを食べたという過去の事実】に力点を置く人は、「この間もらったトマト、とてもおいしかったですよ。」と言うでしょう。 そして、awayuki_chさんのおっしゃるように、「野菜を食べた人」の当時の瞬間的な感覚としては、こちらのほうが「>ふさわしい」表現でしょう。 (しかし、後で詳しく触れますが、筆者がそれをどのように表現するか、ということはまた別の問題です。) 【素人なのに、こんなおいしいトマトを作ったなんて大したものだ。】と、トマトの味自体に力点をおいて評価したい人もいるはずです。 そういう人は、「お父さんの作ったトマトは、とてもおいしいですね。」と言うでしょう。 筆者はそれをお父さんの側で聞いていたとします。 「お父さんの作ったトマトは、とてもおいしいですね。」と言った人のことは、『とてもおいしいと言います。』と表現できます。 では、「この間もらったトマト、とてもおいしかったですよ。」と言った人のことは何と書けば良いでしょうか。 【「とてもおいしかったですよ」と言った過去の事実】を読者に伝えたいと思う場合は、『「おいしかった」と言います』と書くでしょう。 しかし、この筆者は『「おいしい」と言います』と書いています。 それは、お礼を言いに来た人が、【お父さんの作ったトマトに対しておいしいという認識を持っている】ということを表現したいからだと思います。 つまり、トマトを食べた人が【どう言ったか、という過去の事実】よりも、【お父さんのトマトはどのように評価されているのかという、言ったことの中身】のほうを読者に知らせたいわけです。 野菜を食べた人が「おいしい・おいしかった」と言う場合。筆者がそれを表現する場合。 この2点に絡めて述べてみました。 ◆ 別の例をあげてみます。 昨日、オリンピックをテレビで見ていた2人の話です。 一人の方が、「スケートで一位になったA選手は速かったね。」と言いました。 A選手が昨日速かったという過去の事実を述べています。 もう一人が言います。 「速いね、A選手は。世界記録保持者らしいよ。」 昨日勝ったということよりも、「(本来)速い選手である」というA選手の中身(資質)の評価について言及しています。 ◆ご質問文の添削 <上記の文章の文中【 】の箇所で、> 「文章」と「文」が重複しているため、どちらか一方を削ったほうが良いでしょう。 『上記の文中【 】の箇所で、』(○)あるいは、 『この文章の【 】の箇所で、』(◎) などが考えられます。 awayuki_chさんご自身が書いた文章で、これ以外に添削すべき箇所はありません。 (「たぶんも」という箇所はタイプミスでしょうから、敢えて触れません。)
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- mannequincat
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#6です。補足にお答えします。 要するに大人が小学一年生の問題で誤った回答を出すことは「恒常的に」恥ずかしいことだからです。 同じ掟破りとして、窃盗や誘拐や強姦や殺人について懺悔する場合を考えてみましょう。「人を殺したの悪いことです」と「人を殺すのは悪いことです」と。犯した過ちを悔いるなら後者を取るしかありません。前者だと、「そりゃ人を殺すのは悪いことだよ。だけどアタシの場合はそれなりの理由があってのことだよ。」と言いたそうな含みが出てきてしまう。どうです出てきませんか。 絶対的な悪(とまでは言わぬまでも失敗でも)を一度限りの愚行として言葉にすることはどんな言語であれ不適切の感を招くことは必定と思われますが違うのかしら。論理的必然だと思いますが。 日本語のやり取りの極意は、相手に既知のことは言わずに済ませ、未知のことだけを並べること、これに尽きます。砕いて言えば、当たり前のことは言わない、これが鉄則です。 初対面のときはとくにこれは大事なことです。なぜならそれはものすごく難しいことだからです。相手のことはろくろく知らないんだから。でもその相手はそのろくろく知らないことからどうやって言葉を組み立ててくるかを見てるんです。 もしかすると、今すでに、なんの話をしてるか、とお思いかもしれない。話は逸れてなんかいませんよ。一年生むけの謎々で正解できなかったことは恥ずかしい、という一般的事実を一般的事実として認めること、は「一般的な事実として叙述する」必要があるということだ、とは思いませんか。 野菜をもらって食べたら、くれた相手には「美味しかった」と挨拶します。「美味しい」なんて言うことは、絶対に、ありえません(だって文法がそれを許さない)。だけど、これはご近所さん同士のお付き合い、やり取り、いつまで続くかわからない繰り返しの一齣であってみれば、ここはもう「美味しいと言ってくれます」しかありません。「美味しかった」という形はあきらかに忌避すべきものです。はっきり言って常識はずれの間違いで無礼にあたります。これを可能という回答は日本のご近所関係の現実と無縁かそれを無視しているだけです。 ただそもそも、その例文が「くれる」というはなはだ日本語的な言い方を閑却してしまったことがこの紛糾を生んでいると見ることもできないわけではありません。ん。できないかな。やっぱ。ありえない回答、出てますよ。
お礼
再びありがとうございます。詳しく解説していただき感謝いたします。今回はよく理解できました。日本語のやり取りの極意「当たり前のことは言わない」という鉄則を覚えておきます。とても参考になりました。 御礼申し上げます。
- Ichitsubo
- ベストアンサー率35% (479/1351)
「おいしかった」だけが正しいというかたが多いようですが、それは誤っています。直接話法・間接話法の問題ですね。 ・野菜を食べた人はみんなとても【おいしかった】と言います。 とすると、単なる事実を告げているだけに聞こえます。どことなく遠くから客観的に見ている感じです。 これを ・野菜を食べた人はみんなとても【おいしい】と言います。 とすると、「おいしい」というのは食べたその瞬間でしょうから、生の意見が聞けるようなライブ感の漂う表現に思えます。 このあたりは文の作者の意図がどのあたりにあるかで決まるでしょう。どちらが自然と言うこともなかろうとは思います。 >ご指導くださいますようよろしくお願い致します。 に関しては、冗長と指摘する方もいますが、私はこのような丁寧な美しい日本語を歓迎します。 >庭で仕事が出来ませんから は#8さんのように「庭で作業が~」と言い換えてもいいですし、「庭仕事が~」と言い換えてもいいでしょう。 庭仕事とは庭の植木などの手入れをすることです。
お礼
ご丁寧に教えていただき誠にありがとうございます。また、質問文への貴重なアドバイスに感謝いたします。大変参考になりました。 本当にありがとうございました。
- shigure136
- ベストアンサー率37% (278/744)
awayuki_ch さんの質問にはいつも頭を悩まされます。 だんだん質問内容が難しくなってきましたね。 今回のご質問も難問ですね。 「野菜を食べた人」の当時の瞬間的な感覚としては、「おいしかった」のほうがふさわしいのではないでしょうか? 正解です。「おいしかった」と言うのが普通です。 『昨日お父さんから頂いたお野菜、鍋にして食べたら【おいしかったわ】』とか、『この前頂いたお芋、焼き芋にしたらとっても【おいしかった】』となります。 *海から出てきた子供に「海はどうだった?」と質問すると、『海は冷たかったよ』と言うでしょう。 →それから数ヶ月、「あの日の海はどうだった?」と質問しても『海は冷たかったよ』と答えるでしょう。 →しかし、その子に『海はどんな感じ?』と訊くと、『海って冷たいよ』と答えるのです。 そうです、海は冷たいのです。 そして、あの日の海は冷たかったのです。 *昨夜のデートでワインを飲んだ二人の会話。 →「昨日のワインどうだった?」「うん、とっても美味しかったよ」 →それから数日後「ねえ、またあのワイン飲みに行こうよ」「うん、この前、美味しかったからね」 →別の人からの質問で「ねえ、この前あのワイン飲みに行ったんでしょ?あのワインどう?」と言われて、「うん。あのワイン、美味しいよ」 そうです、あのワインは美味しいのです。 そして、あの日のワインは美味しかったのです。 *「お父さんがいつも送っている人参、いかがでした?」 →「ええ、この前の人参、美味しかったわ」 →「ねえ、いつも父が送っているお野菜、お味はどうなんですか?」「ええ、いつもとっても美味しいわ」 お分かりでしょうか? 特定の「海」「芋」「にんじん」「野菜」であれば、食べた時の感想として、過去形の「おいしかった」「まずかった」など、その時の実感が述べられます。したがって過去形が相応しいのです。 しかし、「海」というもの、「ワイン」というもの、「野菜」というもの、すなわち、特定のものではない場合は、「冷たい」「美味しい」「美味しくない」と表現されるのです。 『お父さんの野菜を食べた人はみんな「どれもこれも美味しいわよ」という意味を込めて「おいしい」と言います』 『お父さん自慢の枝豆を食べた人はみんな「美味しかったよ」と、その時の感想を言います』 こんな感じですがお分かりでしょうか。 それにしても難しい。
お礼
毎度お世話になります。 詳しい丁寧なご解説誠にありがとうございます。大変参考になりました。よく理解できました。 本当にありがとうございました。
- baihu
- ベストアンサー率31% (114/357)
> 上記の文章の文中【 】の箇所で、なぜ「おいしかった」ではなく、「おいしい」なのでしょうか。 「おいしかった」は完了で、既に終了したことを表し、「おいしい」なら反復的に“いつもおいしい”を表します。二つの状況が考えられます。 ●ひとつは、食べた人が実際に「おいしい」とお礼を言っている場合です。 “そのときもらった野菜”の感想なら、「おいしかった」と完了形で表現します。しかし例えば、ちょくちょくもらっていて、それがいつもおいしいのであれば「(たびたび送ってもらっているが)いつもらってもおいしい」のように表現します。 「○○さんの作る(送ってくれる)野菜は、これまでもおいしかったし、もし今度もらったとしてもおいしいだろう」という意味を込めて、そのとき感じた味だけでなく、「おいしい」と言います。その野菜の味を褒めるだけではなく、野菜を作る○○さんの腕がいい(上手だ)と褒めているのです。 同じような例を挙げれば、歌を歌い終わった人に向かって「上手だったよ」と完了形で言うのは、そのときの歌が上手に歌えていたという意味です。しかし、“この人は歌が上手なんだなぁ”と感心した場合は、「上手ですね」と表現します。明日また違う歌を歌っても、きっと上手なんだろうということを含んでいるんですね。 ●もうひとつは、食べた人は「おいしかった」と言ったとしても、それを多くの人から聞いた人が、その状態を指している場合です。 もらった野菜を食べた人は、実際には「おいしかった」と言ってくれたのかもしれません。しかし、多くの人が「おいしかった」と言ってくれるということは、すなわち聞き手にとって『父の作る野菜はみんなに好評です』ということです。このことを、『みんなとてもおいしいと言います』というのです。 上に書いたように、一人の人が何度もおいしいと感じたことでも、多くの人がおいしいと感じたことでも、この反復を使えますね。
お礼
毎度お世話になります。 ご親切に教えていただき誠にありがとうございます。一人の人が何度もおいしいと感じたことでも、多くの人がおいしいと感じたことでも、「おいしい」で表現するわけなんですね。理解しやすいと思います。 本当にありがとうございました。
- millennium-man
- ベストアンサー率30% (78/256)
野菜を食べた人はみんなとても【おいしい】と言います。 質問者さんは「食べた」というのは過去のことだと勘違いしていませんか。助動詞「た」は過去を表しますが、それだけではありません。この「た」は存続の「た」であるとされています。 動作・作用がすんで、その結果が状態として存在していることを表す「た」なのです。 「父が作った野菜はおいしい」は正しい文であることはおわかりでしょうか。現在のことを言っている文ですね。この文を「おいしかった」とすれば、以前はおいしかったけれど今は「おいしくない」の意味にとられないとも限りません。実際その意味にとります。この「た」は未来の文にでも適用されます。 「明日パーティがありますが彼女の作った料理はおいしいと言われるでしょう。」 「た」は他にもいろいろ用法があって日本人でもよく理解していないようです。主なものは過去の他に「完了」「確認」「存続」があります。 つい最近にも「た」の質問がありましたので参照してください。私も回答しています。
お礼
毎度お世話になります。 ご親切に教えていただき誠にありがとうございます。挙げていただいた文例「父が作った野菜はおいしい」と、「明日パーティがありますが彼女の作った料理はおいしいと言われるでしょう。」にある「た」はよく理解出来ています 本当にありがとうございました。
- miyu000
- ベストアンサー率38% (41/107)
「おいしい」とは・・・ ・旬のみかんを食べました。 「あーこのみかんおいしいな。」 となります。 「おいしかった」とは・・・ ・ 「さっき食べたみかん、おいしかったー」 となります。 つまり、「おいしい」は現在形で、「おいしかった」は過去形になるんですね。 おいしい=現在形=瞬間的な感情 「おいしかった」は、瞬間的な「おいしい」という気持ちを、 思い返して言う言葉です。 「おいしい」と思ったその瞬間のすぐ後から、 「おいしかった」となるのです。 ちなみに、例文の文章を私なりに直してみると、 「父の趣味は野菜や花を【(1)育てる】ことです。庭でいろいろな野菜や花を育てています。父は自分で育てた野菜や花を近くの人にあげたり、【(2)友人】に送ったりします。野菜を食べた人はみんなとてもおいしいと言います。雨が降ると、庭で【(3)作業】が【(4)出来ないので】、うちで料理を作ります。父は料理が上手だと思います。でも、とても時間がかかります。4時ごろ晩ご飯の準備を始めても、食事は7時ごろになります。」 (1)まず、花を作るとはあまり言いません。少なくとも素敵な日本語ではありません。 少し硬いですが、「栽培する」または上記のように「育てる」が好ましいです。 (2)この例文のような少し硬めな文章の場合、「友達」という表現はいささか 幼稚さを覚えます。くったくのない友達との普通の会話でしたらかまわないと思います。 (3)野菜や花を育てるのが「趣味」と言っているのに、それを「仕事」と言うのは、 いささか疑問を感じます。 (4)このような文章の流れで、「出来ませんから」という表現は使いません。 ちなみに、 「私は同じ意味の文を書くなら、たぶんも「おいしかった」と書きます。」 の文章が日本語としておかしいと感じましたが、 質問者さんがどういう意図でこの文章のか想像つかなかったので、 直せませんでした。すみません。 日本語って難しいですよね。 私も分かりません。 いい経験になりました。 ありがとうございます。
お礼
ご親切に教えていただき誠にありがとうございます。「おいしい」と「おいしかった」の感覚は分かりました。大変参考になりました。 今、日本の出版社が編集した練習問題を使っています。超初心者の練習問題集なので、たぶん編集者は難しい表現を避けているのではと思います。やはり練習問題なので、日本語らしくない表現もたくさん出てきましたね。自然な表現に直していただき心より感謝いたします。 本当にありがとうございました。
こんにちは。 この場合「おいしかった」というと、ある特定の野菜について「おいしかった」という事実を表します。その野菜はおいしかったが、ほかの野菜はどうか解らないというような意味です。 でも、「おいしい」という現在形を使うと「父の作る野菜」=「全般的においしいものなのです」という広い意味になります。これまでもおいしかった、いつもおいしい、これからもおいしいだろう、という時間を超えた大きな意味になると思います。 それから、ある出来事はなく、「いつも」のことを指し示します。度々、いろいろなひとにあげると、その度に、みなさんは「おいしい」と言います。という、反復した出来事を指しています。 そういう表現では、「おいしかった」ではなく「おいしい」を使います。
お礼
毎度お世話になります。 ご丁寧に教えていただき誠にありがとうございます。「いつも」のことを指し示すわけなんですね。大変参考になりました。 本当にありがとうございました。
- mannequincat
- ベストアンサー率24% (113/455)
ん…。これは日本人が書いた文章ではないような気がする。でもなかなか優秀。文法的な誤りはありませんから。ただ考え方がね。 「野菜を食べた人はみんなとても美味しいと言います。」は「野菜を食べた人はみんなとても美味しいと言ってくれます。」と日本人なら書きますね。 なぜ美味しかったではなくて美味しいか、ですが、それは恒常的な事象について述べているからじゃないかと思います。 えーと、他にどこが日本人の日本語ぽくないかというと「庭で仕事が出来ませんから、うちで料理を」なんてのが実にそんな感じ。(これはもしかして中国人が好むという対句構造だろうか。)この「うち」がちょっと変なんですよね。だいたいまず「庭仕事ができないので」と作りますね私なら。で、「うち」は使わない。「雨が降ったら庭仕事はできません。台所で料理です。父の腕前はなかなかのものと思います。でも手が遅い。七時に晩御飯なら四時から支度に掛かります。」 えーと「一年生の練習問題で間違えたなんて本当に恥ずかしいです」という一文、見覚えありますね? これ、「間違えた」ではなくて「間違える」でなくてはならないところです。これも一般的な事柄として述べるべきなんですね。一度きりの出来事としてではなくて。 あなたに限らず「た」は日本語学習者にとっては難物のようです。(↑のように探すとこれの失敗はすぐ見つかる)でもどうやったら克服できるのか、私には分かりませんが。
お礼
毎度お世話になります。 ご親切に教えていただき誠にありがとうございます。恒常的な事象について述べているのですね。大変参考になりました。 今日本の出版社が編集した練習問題を使っています。超初心者の練習問題集なので、たぶん編集者は難しい表現を避けているのではと思います。私はこれを使って、助詞、時制などの復習をしています。文はとても簡単なので、作文にも役立つかと思います。でも、やはり練習問題なので、日本語らしくない表現もありますね。 本当にありがとうございました。
補足
>えーと「一年生の練習問題で間違えたなんて本当に恥ずかしいです」という一文、見覚えありますね? これ、「間違えた」ではなくて「間違える」でなくてはならないところです。これも一般的な事柄として述べるべきなんですね。一度きりの出来事としてではなくて。 わざわざありがとうございます。受け取りに来させていただきます^^。でも、やはり「これも一般的な事柄として述べるべきなんですね。一度きりの出来事としてではなくて。」というご説明が納得できませんね。一度きりの失敗談をしたのに、なぜ「間違える」なのでしょうか。何度も何度も恒常的な事象ではないでしょう。過去のあの間違いを振り返ると、今でも恥ずかしいという意味です。本当に「た」は日本語学習者にとってはとても難しいです…
- memoko
- ベストアンサー率23% (453/1905)
すみません。野菜をいただいた感想でしたら、 「おいしかった」で正しいです。
お礼
再びありがとうございます。ご回答ありがとうございました。
- memoko
- ベストアンサー率23% (453/1905)
おいしかったでもいいんですけれど、そう言ってしまうと「ごちそうさま」の意味もはいってしまうので、もう食べられません。 食事の途中の場合は使いたくないですね。
お礼
ご丁寧に教えていただき誠にありがとうございます。とても重要な知識だ思います。覚えておきます。 本当にありがとうございました。
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お礼
毎度お世話になります。 ご丁寧に教えていただき誠にありがとうございます。これまでの皆様の詳しいご回答を拝読しているうちに、恥ずかしいことに、なんだか自分の最初の質問は何なのか、分からなくなりました。私は当事者の「おいしい」と「おいしかった」はどのような場合で発するのか、分かっているようですが、なら、ここで求めている答えは何だろうと、戸惑ってしまいました。 hakobuluさんと前のNo.12さんのご回答を拝見してすっきりしました。筆者はどのように間接的に当事者の「おいしかった」と「おいしい」のことを表現するのかが、私の分からないところでした。大変参考になりました。また、いつも質問文を添削していただき感謝しております。「重複」はよくないことと今始めて気づきました。今後気をつけます。「たぶんも」は「たぶん」のタイプミスでした。 本当にありがとうございました。