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「満開」について
日本語を勉強中の中国人です。「満開」という言葉について皆様のご意見をお聞かせください。「満開」は一輪の花に対しても使えるでしょうか。 たとえば、一つの蕾しかない水仙(めずらしいですが、そうさせてください)のことに対しては、「この水仙は先週まだ蕾なのだが、今週に入ってもう満開だ」という書き方は自然でしょうか。 また、「花はあちこちでいっぱい咲いている」という様子を擬態語で表現できるでしょうか。 質問文に不自然な日本語がありましたら、それも添削していただければ大変ありがたいです。よろしくお願いいたします。
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noname#21537
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noname#21537
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お礼
ご親切に教えていただき誠にありがとうございます。2は大変参考になりました。「見渡す限り」、「辺りいっぱいに」を覚えておきます。 本当にありがとうございました。 * 申し訳ありませんが、先ほど補足のほうへ投稿させていただいた内容の中に書き忘れたことがあるので、補足いたします。 >ですから、咲いていない状態も 「ほとんどが蕾」だとか 「まだ二分咲き」とかの全体のうち咲いている割合で表現します。 「ほとんどが蕾」、「まだ二分咲き」は一輪の花に対して言うのですか。それともいくつかの花に対して言うのでしょうか。 「全体のうち」の「全体」は一つの植物自身の意味ですか。それともたくさんの植物からなる群れの意味でしょうか。 よろしくお願いいたします。
補足
>満開は、【多く】の花が一時にほとんど全て咲いている様子をあらわします。 >水仙でも【一面】に全部咲いている状態ならいいと思います。 【多く】と【一面】はお使いになりましたね。それは蕾は二つ以上ある場合の状況でしょう。つまり、これらの蕾は全部開いたという意味でしょう。 申し訳ありませんが、私の意味がうまく伝えません。伺いたいのは、目の前の植物には花が一輪しかない場合です。次のような場面を想像してみてください。目の前のテーブルに水仙という花があります。この水仙は一つの蕾しかありません。この一つの蕾しかない水仙を対象に観察日記をつけますと。一つの蕾しかない水仙ですが、観察日記をつけるときに、もしこの蕾がすっかり開くなら、「満開した」という言葉を使えるでしょうか。それとも「すっかり咲いた」のほうが相応しいでしょうか。 辞書にはただ「花がすっかり開くこと」と書いてありますので、ちょっとあいまいなところもあるかと思います。桜のようないっぱい咲いている花を描写するときによく見かける表現なので、私の言っているような場合でも使えるかどうか知りたいです。もう一度教えていただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。