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小津安二郎監督の「彼岸花」

いつもお世話になっております。 小津安二郎監督のある映画についてお聞きしたく思います。「彼岸花」という名前の映画です。彼岸花は不幸を代表する花ですね。この映画はなぜこの不幸を代表する花で命名したのでしょうか。ご存知の方、宜しくお願い致します。(日本語を勉強しております。もしも質問文の中で不自然な日本語があるのならば、それも併せて添削していただければとても嬉しいです。)

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • zephyrus
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回答No.1

花についても映画についても、ほんの思いつき程度の回答です。 鵜呑みにしないで、参考意見として読み飛ばしていただければ幸いです。 彼岸花は「不幸を代表する花」というよりは「不吉(ふきつ)な花」と捉えるほうがより正確です。 不幸にするとはっきり示したり言うことは出来ないが、不幸にしそうな要素をあれこれ孕んでいる、すなわち不吉、といったニュアンスでしょうか。 なぜ不吉と感じるかというと、開花期にふつう備わっているべき葉がひとつもなく、茎の頂上にいきなり花が咲いて、しかもその花が毒々しいほどに真っ赤であるからです。日本人の感覚では彼岸花の赤はけばけばしく、そうしたけばけばしさを好ましからざるものと見なすのです。 彼岸花の方言は多く、そのなかにはたとえば、ユウレイバナ(幽霊花)、シビトバナ(死人花)と呼ぶ地方があり、こうしたイメージの悪い呼び名は、良くないという感覚から来ているのでしょう。 けれども一方、彼岸花の別名は曼珠沙華(まんじゅしゃげ)でもあります。 ある辞書によりますと、曼珠沙華とは「天界の花のこと」で、「これを見るものはおのずからにして悪業を離れる」とあります。 ご質問の映画の題名は、きっとこちらのイメージで使われているのでしょう。 そしていささか豪奢な語感のある「曼珠沙華」と名付けるよりは「彼岸花」としたほうがさらりとしており、季節感が掴みやすくなります。 お彼岸は春と秋の二回あることはご存知のとおりです。直接には先祖を供養する年中行事の一つですが、暑くも寒くもない穏やかな気候の時でもあり、各所でさまざまな催しが開かれる花やかな時節でもあります。 この季節感も日本人がきわめて好む感覚の一つです。俳句はしばしば季語が定められ用いられますし、落語や小話にも季節感はなくてはならない背景としてあります。 さて、映画のほうですが、娘の結婚と、それをただひとり認めようとしない頑固親父という、たぶん昭和四十年台までふつうに見られたであろう家庭劇を、自然体で軽妙に活写した小津安二郎監督の代表作の一つと認められています。 会話は洗練されており、日本語の勉強に最適かと思います。 セラミック親父・平山の妻を演じるのは田中絹代という大女優ですが、ここに「日本の母親」の原点を見る思いです。決して表面に出ることはないが、両者の間をとりなし、心を砕くというイメージですね。 また、途中、京都から出てくる鮮やかな娘さんは山本富士子という女優さんで、並ぶものなき美女の代名詞だった人です。 ※ご質問の文、完璧かと思います。どんどん上手になっていらっしゃいますね。

awayuki_ch
質問者

お礼

zephyrusさん ご回答ありがとうございました。とても素晴らしい文章です。大変いい勉強になりました。 国語カテゴリでzephyrusさんの二文の文法についてお聞きしました。文法の質問だけなので、このスレッドの主旨と外れたかと考えております。もしここのお礼欄で直接お尋ねすると、ややこしいイメージをさせるかと心配していました。(同じ回答者の回答に対して、ポイントも一回しか与えられませんし。)zephyrusさんに余計な迷惑をかけたくないので、国語カテゴリで新しいスレッドを立てました。大変苦しい立場に立たせたくないと思います。本当に申し訳ありませんでしたm(_ _)m

awayuki_ch
質問者

補足

質問する前に、「彼岸花」をキーワードとして、一度「教えて」で検索しました。残念なことに、邦画の「彼岸花」に関するスレは少ないです。でも、意外に彼岸花は墓地で良く見かけられる不吉な花という評論が見当たりました。興味津々、拝読しながら、小津監督はなぜそんな不吉な花「彼岸花」を映画の題名にしたのかという疑問が出てきました。二三日後、やっと素晴らしい返事が返ってきました。すごく嬉しいです。 曼珠沙華という別名もありますね。「天界の花のこと」として、「これを見るものはおのずからにして悪業を離れる」から、ある外国の歌手Enyaの曲を思い出しました。両者の雰囲気はすごく似ていると思います。彼岸花のこの意味から、やや美感が感じられます。そして、季節感をすごく好む日本人の観客にとっては、曼珠沙華より彼岸花の方が季節感も掴みやすくなりますね。ちょっと抽象的な名づけですけどね♪ 本当にありがとうございました☆ >セラミック親父・平山の妻を演じるのは田中絹代という大女優ですが、ここに「日本の母親」の原点を見る思いです。 NO2の方の自己紹介を拝読する時に(もちろん、zephyrusさんの自己紹介も拝読しました^^)、ちょうどあの方と同じような疑問を持っております。「セラミック親父」のことです。「ceramics」という英単語なら、「陶器、製陶、 陶芸」のような意味を取ってしまいましたが。陶器のように親父の頑固、融通のきかない性格の比喩なのでしょうか。間違いましたら、ごめんなさい(_ _)

その他の回答 (4)

noname#9152
noname#9152
回答No.5

再回答するほどの内容もないのですが、過分なお言葉に対するお礼が言いたくてやってきました。 「素晴らしい文章」だなんて、めったに言われたことがないもので……、ありがとうございました。 さて、この映画で描かれているのは、(No.1の方もおっしゃっていますが)かつて、日本のどこででも見られたような、日常的な風景です。そして彼岸花は道端などに咲いている身近な花です。(特に、原作ではそう描かれているようです。拾い読みですが。) 彼岸花が「不吉」、「忌まわしい」などのイメージがあることは知っておいた方が良いと思いますが、それにあまりとらわれすぎない方が良いかもしれません。 それよりもむしろ、身近な花であること。秋の彼岸頃に咲くという季節感。そして、美しいんだけれども何か哀感がある、そんなところを感じていただいた方がいいのかな、と思っています。 先の回答と矛盾しているかもしれませんが。      * 以下、おまけ。 彼岸花と曼珠沙華の俳句をいくつかご紹介します。 一つ一つの意味が完璧にわからなくても、何となく感じてくれたらいいかと思います。 どうしても、理解したい場合は、国語カテで質問なさってください。私には答える能力がありませんし、質問立てられることを気にしませんので。 ・むらがりていよいよ寂しひがんばな(日野草城) ・彼岸花鎮守の森の昏きより(中川宋淵) ・彼岸花咲く薮川のうす濁り(内藤吐天) ・曼珠沙華抱くほどとれど母恋し(中村汀女) ・目つむりて荒野に曼珠沙華咲かす(目迫秩父)

awayuki_ch
質問者

お礼

再びありがとうございました。 おっしゃったことは(自己紹介なども含み^^)理解できました。 頭の中に置きます。 俳句の紹介もいい参考になりました。           * 疑問が解けることが出来て、とても嬉しいです。 お二人は親切に教えていただき心より厚くお礼申し上げます。 日本語がまだ下手なので、今回お二人に大変なご迷惑をお掛けしました。 本当に申し訳ありませんでした。 これからも宜しくお願い致します。

  • zephyrus
  • ベストアンサー率41% (181/433)
回答No.4

NO.1です。 お礼欄・補足欄および国語カテゴリーでのご質問、読ませていただきました。 ご懸念は一切無用です。 気を悪くしてもおりませんし、あわゆきさんの「余計な迷惑をかけたくない」というお気持ちが繊細で良識ある心から生まれたものであることを疑いもしません。 ほかにも私の文章中で分りにくい点などありましたら、当方なり第三者なりにどんどんお尋ねになってください。何の遠慮もいりませんよ。 それよりむしろ、拙文が日本語を勉強中の方にとって適切でない箇所がいくつもあったことに対して、まことに心苦しい思いでいます。 「セラミック親父」なるものもその一つでした。ご推察どおり、頑固→石頭→硬い→セラミックスという連想で出てきた言葉。比喩として凡庸なものです。しかも語調を整えるために「セラミックス親父→セラミック親父」の書き換えまでやってます。普通一般の文章として穏当を欠く、きわめて不適切な表現でした。 お詫び申し上げねばならないのはこちらのほうです。 また、国語カテゴリーで回答された方々、特にNO.5の方の気配りの利いたご回答に謝意を表させていただきます。この場を借りて、厚く御礼申し上げます。  ※ こんな私が意見するのもどうかと思うのですが、 お礼欄にあります「同じ回答者の回答に対して、ポイントも一回しか与えられませんし」の「与える」という言葉は、この場合、避けたほうがいいと思います。 なぜかということがお分かりにならなければ、それこそ国語カテゴリーで質問なさってください。 ここではあえて理由は書きません。つたない私のたどたどしい解説より、そのほうがはるかに納得の行く回答が寄せられるに違いないからです。

awayuki_ch
質問者

お礼

再びありがとうございました。 「与える」という失礼な言葉を使ってしまったなんて、本当に申し訳ありませんでした。 反省しておりますm(_ _)m

noname#9152
noname#9152
回答No.3

#2の者ですが、訂正。 「セリフは映画独自のものでる。」は「セリフは映画独自のものである。」でした。 失礼しました。

awayuki_ch
質問者

お礼

はい、了解しました。 構いません☆

noname#9152
noname#9152
回答No.2

この映画には小説の原作があることをご存知でしょうか。タイトルは同じ『彼岸花』、作者は里見弴(さとみ・とん)です。 私はこれを通読していないのですが、本屋でパラパラッと立ち読みしてきたところ、質問者さんの疑問に関係あるかと思われるものが目に入りました。 たしか、映画にはなかったように記憶しているのですが、小説の『彼岸花』では後半部分、登場人物のセリフの中に「彼岸花」が出てきます。 三上兄妹の会話で、たぶん妹が言ったのだと思います。 「電車の中から、あちこちに彼岸花が咲いているのが見えた………赤くて華美なのに………悲しいわけではないけれど………なんだか涙が出てきた。」(大意) 立ち読みなので曖昧で申し訳ないのですが、だいたいこのような内容でした。 原作と映画を同列に扱うことはできないのかもしれませんが、興味がおありでしたら一度読まれてみてはいかがでしょうか。文庫版で50~60ページくらいの中篇です。 なお、私が立ち読みした文庫本(講談社文芸文庫)の解説によると、この小説は、小津監督によって映画化されることを前提として書かれた。しかし、小説と映画とでは、登場人物の名前と状況設定に違うところがある。セリフは映画独自のものでる。とのことです。        * 「彼岸花」の別名については、#1の回答であがっている「曼珠沙華」「幽霊花」「死人花」の他に、「天涯花」「捨子花」などもあるようです。「幽霊」「死人」「捨子」などはたしかに不吉な言葉ですね。 (これらの名前について、「なぜそう呼ぶか」ということは、煩雑になることと、私の能力不足のために省略します。くわしく正確なところを知りたいと思ったら、「国語カテゴリー」などで、別に質問を立てられたらいかがでしょうか。) また、「河出文庫『新歳時記(秋)』平井照敏編」によると、「いまわしく忌みきらう人と美しいと見る人とがある」「墓地などに多く咲き、秋彼岸ごろ咲くので、よけいに忌みきらわれたわけである。」とあります。 こうしてみると、彼岸花は、見た目は華やかで美しいけれども、「不吉」なイメージも持っていて、見る者を複雑な心境にさせる花なのではないでしょうか。そして、映画の方はといえば、娘を嫁に出す父親の複雑な心境が描かれています。そんなところから、答えを探す糸口が見つからないでしょうか。        * なお、日本人が彼岸花をどんなイメージで捉えているかをくわしく知りたいと思ったら、俳句歳時記などで、「彼岸花」を季語とする俳句をいくつか読んでみると良いでしょう。「不幸を代表する花」というのも間違いではないけれども、それだけでは言い表せない、複雑で豊かなものがあることに気づかれることでしょう。(ただし、季語としては「曼珠沙華」の方が人気があるようです。「曼珠沙華」の句もあわせてお読みください) ※(これを読まれている方へ) 補足質問があったら、できる限り対応したいとは思っていますが、「横レス」大歓迎です。 また、原作についての説明はかなり怪しげです。間違いがあったらご指摘ください。

awayuki_ch
質問者

お礼

lovery_ritaさん 素晴らしい文章を拝読しました。大変いい勉強になりました☆

awayuki_ch
質問者

補足

>こうしてみると、彼岸花は、見た目は華やかで美しいけれども、「不吉」なイメージも持っていて、見る者を複雑な心境にさせる花なのではないでしょうか。そして、映画の方はといえば、娘を嫁に出す父親の複雑な心境が描かれています。そんなところから、答えを探す糸口が見つからないでしょうか。 こんな花を見るときに、日本人は複雑な気持ちが心に浮んできますね。いいヒントを頂きました。本はまだ読んだことがありません。チャンスがあれば読みたいと思います。お勧めありがとうございます。小説の中で出てきた言葉から見ると、やはり「彼岸花」には深い意味が含まれていますね。私は「彼岸花」のDVDを見るときに、「彼岸花」の様子はまだ分からないので、映画の中で彼岸花が出てきたのか気付きませんでした。これからまた繰り返して、ゆっくり見ます。 小津監督は秋という季節がとても好きなので、映画の中でよく秋をめぐって、物語を展開すると読んだことがあります。「秋日和」、「秋刀魚の味」なども秋に関する題名ですね。今回の秋彼岸もそうでしょうね。 「彼岸花」という言葉は私から見れば、詩のようなとても綺麗な言葉だと思います。「彼岸」という言葉は中国語の中でもあります。「憧れの地、理想郷」のイメージを受けます。日本語の中でも、「目標に至った理想的状態。凡人を超えた、高度な境地。」(GOO辞書により)と書いてあります。この面の意味もあるのかと勝手に想像しております。