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人の本質は変わりますか?
私は変わることもあるのではないかと思います。 よく「変わったのは元々そうなる資質があったからだ」と聞きますが それなら、いつ・どのように決定されるのですか? そして、それは何故ですか? 教えて下さい。
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にゃまにゃまにゃまず君。 それは、努力(行い)だと思うよ。不断の努力が、人間の本質を変えていくんだね。 でもーね、なまず君。ここに注意したいと、daremominaiは思うんだな。 daremominaiは、人の在り様を生み出していくのは努力だと思っています。だけれど、それを作るのは努力でも、ここには、足りないものがないかい? daremominaiはこう思っています。 作るのは努力。作らないのが才能。 そう、才能です。作らない才能。これが必要なんだと思うんだ。人は、いつも何かに向かって努力してきた。理想であったり、神や夢であったり。でも、それは、(徐々にだけれど)もう終わって行っていいんだね。何かに向かう必要は無い。作らない才能に気付いていることが、不断の努力を実らせることになるんだと思います。才能だけでは何もし得ない。しかし、不断の努力に耐えうる器は、作らない才能くらいしかないんだね。たぶん。努力に限界は無い。定まった方向、理想や夢、神、信念、欲、そういうものに、限界があるんです。 作らない才能と、不断(いつも)の努力(行い)。だから人は、自由なんだなぁ。 いつでも、どこでも、なにゆえでも。
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- sichimi73
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私のちょー個人的な思い込みを書きます。 人間には変わることができる部分と変わることができない部分を持っていて、変わることができない部分のことを「本質」と呼ぶんだと思っています。 模型に例えれば、針金で作った骨格が「本質」ですね。 だから、虎の骨格から龍の人形を作るのは、とてもじゃないが不可能です。 でも、虎の骨格から虎を作るかネコを作るかイヌを作るかは肉付けのやりかた次第。 向き不向きってどーしてもあると思うんですよ。 でも、何に向いてて何が向いていないのかなんて、なかなか分からないんですよね。
お礼
その変わんない部分に興味があるんですよ。 どこ?本当に変わんない?って。 でもそれは、あなたのような自然体の感覚がちゃんとあって考えたいなぁと思いました。 回答ありがとうございます。
「私」が記憶を所有しているのか、記憶が私を所有しているのか。「彼」が私に夢を見させるのか、夢が彼を欲しているのか。 私の本質とは別人格の他者によってありありと映し出される。よって私にもともとの主人格はいないようなのである。(←本当のところである!) 自分の資質について自分が一番知らない。だけれど他者が居てくれて憧れたり、嫌悪したり、それが私だと実感できるのです。 私は種の一部分でありながら、種以上の全体を受け継ぎ捧げている。同時に彼も部分でありながら全てを持っている。 人の本質は「恋」ではないかと思います。現実に恋をすることで得たもの(奪ったもの)が、もともと自分に備わっていたものを露出させるのだと思う。恋がなければ自分が失ったもの(還したもの)さえ解りません。 「愛」は陽炎(かげろう)ですし…。
お礼
衝動に本質を見出す、ということでしょうか? 確実な路線だと思います。 しがらみが入ってはいけないですから。 ただ主観・偏見の危険性はあるかもしれません。 その要因も自身の把握に自信が必要ですね。 太宰治を思い出しました。 厳しい価値観をお持ちの方だなぁと…。 どうもありがとうございます。
ある人によれば、30%が遺伝、70%が環境だといいます。そして、人間の人格形成は20歳までにほぼ完了するといわれています。 それ以降の年齢は変わったのではなく、一時的な自信喪失などで、本来からその能力を持っていたと考えるのが適当でしょう。 心理学(精神医学)のある学説では、同じ環境にある兄弟が一方は犯罪者となり、もう一方は普通に健全に育ったという事例が多数あることを紹介しています。この学説では、人生というものを「雪玉が転がり落ちる」図式として捉えるべきだといいます。 つまり、雪の降り積もる山の頂上から、同じ雪玉を転がしても、くぼみや傾斜など、そのあいだの様々な規定因によって、まったく変わったルートを落ちていくのです。 ただ遺伝的なものも極めて重要だという見方もあります。生き別れになった双子がまったく似た人生を生きているという事例から、遺伝的な性質の重要性も指摘されています。これは、ある物事に対する見方がポジティブなものか、ネガティブなものかは、遺伝的な性質によるところがあるといわれるためです。 つまり、受験で落ちたときに、「自分はよくやった。また来年やればいいさ!」と考えるか、「自分はなんと愚かだ。人生は終わりだ!」と考えるかは、遺伝的要素が大きいというのです。先の雪玉の例でいうと、どう曲がるかは遺伝的なものである程度、規定されているということですね。
お礼
回答どうもありがとうございます。 でも少し寂しいような気持ちになりました。
- 石崎 大望(@hir_o_mi)
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赤ん坊にも個性はあるでしょうが、あかちゃんを見ていると、 本質的に粗暴な人間なんていんのかなと思ってしまいます。 でも人は何百万年にも渡る歴史の中で殺戮や競争を積み重ねてきたわけだから、 憎しみや悪意、またその逆に親切や愛情や協力の経験を重ねてきたわけだから、 そういう痕跡が何らかの信号として遺伝子に残っていくのであれば、 恐らく誰もがあらゆる方面の資質を程度の差こそあれ備えているのだと思います。 その人の人生のなかで、いつ、どのような資質が開花していくのか。 児童心理学では人の性格は幼児期にほぼ決定されるとされていますし、 経験的のもそう感じます。 ただそれは、幼少期に獲得された思考パターンや行動様式は、 獲得のプロセスを忘れてしまってなかなか自覚化されないために、 意識的に対象化して変えていくこと難しいからだと思うのです。 私は根拠は言えませんが、感覚的に性善説です。 人は自分の中の大切にしたいものに気づいたときに、 良くなっていくんじゃないかなと思っています。 優しさ、強さ、純粋さ、暖かさ、親切心、人に対する信頼の気持ちとか、、 心に感じて、育み始めたときに、変わり始めるのだと思います。 逆に、諦めてしまったり、捨ててしまったときに、すさんでいくのだと思うのです。 胸の中で優しい気持ちを感じながら、悪口をいうことはできません。 愛情を感じていれば、それを何らかの形で表現したくなります。 大切にしたい気持ちを大切にし続けると、自ずと、言動が変わってきます。 それは、「優しくならなければ」と頭で考えて、行動だけを制御するのとは違うことだと思うのです。 逆に本当は愛情を感じているのに、それを止めて投げやりな言動を続けていると、 そうすることに慣れて愛情への感性が麻痺していきます。 誰かの何気ない一言、出会い、挫折、成功体験、反省、 様々な契機によって自分の内部の何かを自覚し、 まず心から、人は変わってくのではないでしょうか。 その人のパーソナリティー全体を見ると、変わりつつも引きずっていくものもあります。 変わってないねという人は、引きずっている部分に注目しているのであり、 変わったね、という人は、変化した部分に注目しているのでしょう。 引きずっている部分が本質というわけではないと思います。 世の中のすべての存在は原子以下のレベルから、 銀河系といった巨大レベルまで、片時も休まずに運動し続け、変化し続けているようです。 肉体は運動し続け、内臓諸器官は働き続け、血は流れ細胞は生まれかわっていきます。 出来事は起こり続け気候は変わり、居場所は変わり意識に上る事柄もたゆむことなく移ろい続ける中で、 私たちの心は刻一刻その影響を受け続け、私たちは毎分毎分、微妙に別の人間です。 私は、変化こそが本質なのだという気がします。 世界は様々な振幅の変化の組み合わせによって成り立っているのだと。 量子論では、原子より微小な世界では、粒子は観察者の意図によって姿を変えるといわれています。 人のありようについても同様に、変化のうねりに影響を与えることができるのは、 変化を観察し、方向性を意図することだと思うのです。 言葉を変えると、心に感じること、感じて、思いを抱き続けること。 感じる力を呼び覚ますことによって、よりよく生きられるようになるのではないかと思うのです。
お礼
人も点的な存在だと私は思います。 ゆえに変われるのではと思いました。 ただ意志の力を平等化したところでどうなのだろうという疑問があります。 人間の能力ちょいオーバーのところで条件を付けた場合です。 宜しければ、また意見を下さい。
- netcatme
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今は、えせ利己的遺伝子説が流行っていますが、人間は無限の可能性を持つものだと信じています。遺伝子よりも強いものを人間は持っていると。人間が人間であることは変化できない制限事項ですが、その可能性は努力によって広がります。 ちなみに遺伝子は突然変異によって変化しますが例外と考えてもよいでしょう。遺伝子は変化しないために遺伝子として働くことができるのです。 参考URL(文化の進化)も面白い考え方ですよ。 「人類は生物学的に遺伝子によって決まる肉体と社会学的に文化によって決まる社会を持つ種として存在している。 」
お礼
どうもありがとうございます。 嬉しい逆の意見です。 人間の可能性は有限だと思ってます。 ゆえに考えるのだと思います。 突然変異も、だから活用してきたのだと思います。 何が出来るかを考えたくて質問しました。 あるいは、あなたの意見を角度を変えて表現しただけかもしれませんが。
- hakobulu
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◇ 人間は、生まれてくる過程で遺伝子情報を受け継いできます。 ここで受け継がれる【気質】は先天的なもので、これが変わることはないかもしれません。 ただ、自我に目覚める頃から、気質を基にして他者との関係性を素材にしながら、小学校入学頃までに【性格】が形成されると言われています。 これも一般的には大きく変わることはないと言われています。 では、小学校入学前に全てのことは決まってしまうのでしょうか。 個人的には、「三つ子の魂百まで」という言葉どおり、殆んどの基礎がごく小さい頃に形作られるのではないかと思います。 そしてこの「性格」が全く変わってしまうことはあまり無いような気がします。 ただ、「性格」と「精神性」は必ずしも同じではないだろうとも考えます。 同じ基礎であっても、その上に作られるものが同じであるとは限らないということです。 精神的に変化・成長を遂げることは、人間が自己を客観視できる生物である以上可能なことでしょう。 ◇ 人間が遺伝子情報として同じように受け継ぐものに「本能的欲望」があるでしょう。 これを基にして「自我」は自己主張・自己実現を目指します。 では、何でもやってしまうかと言えばそういうわけでもないことは良くご存知だと思います。 つまり、欲望はあり、自己主張はあっても、必ずしもその全てを個人として実行するわけではないということです。 そこに作用するのが『意志』でしょう。 そして、【人格】が形成されていくということだと思います。 ◇ 「>いつ・どのように決定されるのですか?」 :気質は遺伝子によって、大体の性格は幼少時の人間関係・環境によって、人格は意志によって決定されるのだと思います。 何を「本質」と考えるのかによって、「変わる・変わらない」は違ってくるのかもしれませんが、私はこれらの総合が本質(第一義的かどうかは別にして)と言えると思うので、「変わる部分もあるし変わらない部分もある」と考えます。 ただ、意志によって変われる部分があるということは確かでしょうから、「出来ることはやる」ということで納得する以外にないでしょうし、それで十分だろうと思う次第です。
お礼
明快な回答をありがとうございます。 「変わるか・変わらないか」は、社会の中でも個人の中でも相対的な問題ということになるでしょうか。 「心」を考えたくて質問しました。 あなたの回答に補足を付けて、さらに聞きたくなりましたが、人の本質については完結しているように思えましたので、また改めて考えてから新たに質問することにします。
- ipa222
- ベストアンサー率20% (903/4455)
人間が持っている物には、先天的な物と、後天的に獲得した物があります。 後天的に獲得した物は変わる可能性がありますが、先天的な物は変わりません。 先天的な物は遺伝で獲得した物です。 たとえば、小さいうちに親と別れた子供が大人になったときに、ちょっとした仕草や、性格など意外とにているところが多いようです。この類似性は、後天的な物ではありません。
お礼
先天的なものは本当に変わらないのでしょうか? 私には分かりません。 よく考えてみようと思います。 きっかけを下さって、どうもありがとうございます。
性格についてはその人の置かれる環境に左右されやすいですね 才能については本来その人が持っている宝物です 周囲の人の偏見による意見に屈してはなりません 人間の本質については……… 全てであり語り尽せませんm(__)m 、、
お礼
回答ありがとうございます。 「全て」についての意見を、いつか聞けるといいと思いました。
、 まず、「人の本質」とはなんですか? 変わったものが果たしてその人の本質なのかな……… よく宗教とかで洗脳され別人のようになってしまう人達がいます あれは異常ですね とにかく自分を確かに認識することです
補足
いわゆる「性格」、から まずは考えていました。 そして気質とか才能とか…本性や運命などを どのように考えられるか御意見が欲しいです。 「本質」を何処におくべきかも聞きたいです。
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お礼
初めて変える為の回答をもらった気がします。 自由でないとビジョンは求められない、自由は自分で用意するもの、そういう考え方なら好きだしやってます。 でも、あなたが言ってるのはもっと深くてシンプルそう…。 もう少し話してくれると嬉しいんですが、忙しいですか? 「なにゆえでも」にピンとくるものがあるんですが自分で考えないとダメ?