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人付き合いの本質が分からない!苦手意識とは?
- 相手の要求に沿えば評価される世界で、自分に無理をさせている限界を感じ始めた。
- 自己評価が低く、人に受け入れられるためには完璧でなければならないという意識がある。
- 人付き合いを楽しむためには、自信を持ち、自然体でコミュニケーションを取ることが重要。
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>相手の話にことごとく興味がなかったようにも今は思います。 わたしも興味ないです。 芸能人の話とか、他人のうわさ話とか、ドラマの話とか、大衆的な女性の興味は、その辺りが多いです。 「そういうものにも興味持たなきゃいけないよ」ってアドバイスをもらったこともあり、 努力したこともありましたが、やっぱり無理でした。 今はつきあいの関係では、恋愛系や、人間心理の話とかに話題を誘導してます。それなら自分も話せるので。 「わたし芸能人の話とかついていけなくてごめんなさいね」と言ってます。 そういう人だと思われてます。興味の全くない話題が出たら黙って聞いてるか、移動します。 わたし以外の全員がその話で盛り上がっていても、あまり気にしないようにしています。 そのへん落ち着いているので、へんに下にみられるようなこともありません。 たぶん、いい意味で堂々としていると思います。そこがツボなのかも知れません。 話題は合わなくても、それなりに好かれていると感じます。 「つきあい」頻度は低くしています。 興味の合わないタイプの人とのつきあいは公の場がらみだけで、 個人的な友人にはもっと気の合う人を選びます。 >「互いにつり合う」ってどんな関係なんですかね、気になります。 わたしの場合ですが・・・ よく友人から悩み相談をうけていました。 相手は満足することが多いのですが、 逆に私が悩み相談をもちかけても、めったに満足する結果にはなりませんでした。 「他者に理解を示しても、理解を示してもらえない孤独」が子供のころからあります。 「互いに理解を示し合える友人」がずっと欲しかったのです。 今はそのような友人が一人だけできました。 少し理解してくれる人なら、もう一人います。 どちらも、すごく近い距離の関係というわけではありませんが、興味も合いますし、 似た感性をもっているので本能的に深い理解がある気がします。 さみしさから合わない人と無理に付き合っても、 幸せになれないことがわかったので、 あわてないで、このような友人を少しずつふやしたいと思っています。
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- kanakyu-
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>いつも、~しないといけないと考えるので楽しいと感じたことがありません… すごくよくわかります・・・わたしも同じだったんです。 「~しなければ」ベースで常に動いていました。 いまは、プライベートの付き合いは、「~したい」ベースで考えてます。 寂しさはありましたが、 「利益を与えていた友人関係」の人は、手を切った人もいますし、 ぐんと距離をおいて、たまの近況報告程度の関係に変えた人もいます。 ほとんど全員がそういう関係だったので、一時的に友達ほぼ0状態になりました。 その後、「互いにつり合う」と感じる友人が、少数ながらできました。 腹を割って本音で話すことのできる友人たちなので、あっさりして楽です。 >我慢したり相手に合わせないと「ならないもの」という認識 それは、「つきあい」の関係だと思います。 そもそも、そんなに合う相手ではないのです。 「つきあい」の人とは、浅い関係にとどめれば、わずかな我慢ですみます。 深くなると、どんどん自分が我慢したり、自分が合わせたりするのがわかってるので・・。 数字でたとえれば、自分の人間関係能力のうち、 20%ぐらいまでしか「つきあい」に使ってはいけないような気がします。 それが(車のブレーキなどの)「あそび」の部分で、 動かしても、自分の人生に影響を与えないですむ範囲ではないかと思います。 それ以上の深い/頻繁な関わりの人は、本音で付き合える人を求めるしかないと思います。 それはたぶん、誰でも同じだと思います。 大衆的な性格のひと程、より多くの人と合いやすいと思います。 だから、その人たちが、あたかも「人間関係をうまくやっている」ように見えると思いますが、 彼らは、彼らと合う人たちとくっついているだけです。 私は、わたしと合う人は、ほとんどいないと思っています。少数派なんです。 「つきあい」の相手は大衆的な人が多いと感じます。 必要な分だけの浅い付き合いにとどめ、友情を求めてはいません。
お礼
何度も何度もありがとうございます。 「互いにつり合う」ってどんな関係なんですかね、気になります。 確かに「あそび」の部分を上手く使わないてダメな気がします。 私の場合はあそびの部分すら仕事で使ってしまうので尚更です。 自分の性格がマイノリティな部類だと認識はありましたが、 社会で仮面を使うようになったら、その大衆性が自分のものに なったような勘違いをした慣れの果てが今の自分かもしれません。 相手の話にことごとく興味がなかったようにも今は思います。 必死に合わせているのに何で報われないんだ! こんなに合わせて気を使っているのに…なんて思っていますね。 だから楽しくない、楽しくないんだから上手くいかないですよね。 会わせなきゃ、と思うとやはり疲れます。
- kanakyu-
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「愛してくれる誰かが現実にいるかどうか」と、 「その人が愛される価値があるかどうか」は、まったく別問題です。 人間は不完全な存在なので、 愛される価値のある人がいれば必ず愛する、なんてことは発生しません。 多くの子供たちが虐待されているけれど、 子供は一人残らず、愛される価値があります。 親の能力の問題で、 愛する力のない人だったというだけで、 虐待された子供が愛される価値がなかったからではありません。 私も望んだ愛を得ることができませんでしたが、 「愛される価値がある」ことを知って自信をもつようになり、 人付き合いのメンツも変わりました。また、その話を多くの人にしています。 以前は、人に「利益」を与えることで必要とされようとしていたため、 かえって人を利用しようという人を引き寄せ、一方的に利用され、 人間関係で不幸になっていた(楽しくなかった)気がします。 人間関係で楽しむには、自分も相手も、お互いに楽しくないと無理です。 無理してあれこれする必要はないんです。 >楽な方へ流されて(逃げて)しまいそうだったので、 自分に厳しすぎる人は、 楽な方へながれる要素を、積極的に取り入れるぐらいで、ちょうどいいですよ でないと、思いっきり楽に流れている人に利用されます。 そういう人から「楽に生きる方法」を学べばよいと思いますが、仲良くするには天敵です。 ほどほどの者どうしがくっつくと一番楽しめると思います。 無理のない範囲で、自分も相手を大切にするし、相手も自分のことを大切にしてくれます。 >自己評価なんてあてにならないものだと思ってきました。 他人の評価こそ、あてになりません。 たまたま機嫌が良ければ、「あなたはすばらしい人ね」と言うだろうし、 機嫌が悪ければ「あなたって最低ね」と言うでしょう。 逆に、多少のいいこと悪いことに、一喜一憂しないで不動でいられるのが、自己評価だと思います。 わたしは機嫌の悪い人のことは、 「腹が減っているか、財布を落としたか、奥さんとケンカでもしたのだろう」ぐらいに思うことにしています。 逆に、機嫌の良い人と会ってほめられても、それで「やっと自分が認められた」とは思いません。 他人の自分への評価=自分への絶対評価 と直結して考えていると、 他人の機嫌しだいでコロコロかわりますから、 ご機嫌取りしなければならず、楽しくないと思います。 他人の自分への評価=その人のご機嫌、その人の幸福度 と思っておけばいいと思います。 幸せな人は、他人の中のよい所をみつけやすいです。
お礼
ご丁寧にありがとうございます。 利益を与える関係、自分がそうしないといけないと 思っているそのものズバリです。 そんな私はおっしゃられるお互いに楽しい関係というのが、 自分には成り立たない世界だと感じます。 友達なら相手に面白い奴だと思ってもらわないといけない、 恋人を作るならちやほやして相手の気を引かなきゃいけない、 いつも、~しないといけないと考えるので楽しいと 感じたことがありません…周りは簡単に出来ているのに。 そう思います…敢えて人と関わる仕事を修行だと飛び込み、 それで得たのは自分を苦しめる方法だった気がします。 まして、周りは簡単に出来ている(ように見える)から ますます泥沼にはまり自己嫌悪が年々積み重なります。 そうするとますます楽しめない…悪循環です。 人付き合いが苦手な私のコミュニケーションのベースは 仕事で得たものが大半なので、自己評価が高くても、 結果が出ていなければ意味がない(例えば売上とか) それを私生活に持ち込めば、「好かれない」という結果は 私の怠慢(他人への献身が足りない)だと思いましたが、 仕事と違ってやろうとすると(やると)気持ちが辛い。 仕事以上に辛い(心から嫌だという拒絶)感覚でした。 単純に「やりたくないこと」なんでした。 私は自分の存在を「あり」だと感じる(感じた)経験に乏しく 「自分は自分でいい」という感覚がまだしっくり来ません。 そうするとやはり人付き合いは楽しい物に感じられないのです。 (我慢したり相手に合わせないと「ならないもの」という認識)
- kanakyu-
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>「何で周りの人は不完全でも必要とされ、完璧になろうとする自分は好かれないのだろう」と >言ってしまうとアレですが、それくらい普通の人と自分に壁を感じます。 わたしもそうだったですが、一番そう思っているのは自分ですよ。 で、人は自分の思っていることを見るのです。思い込みを基準にして証拠集めをするというか。 「自分は不完全では愛されない、他の人は不完全でも愛される」ってね。 でも、「自分も他人も、不完全でも愛される」が現実です。 たぶん、あなたは愛されるために完全になろう、利益を与えようと努力してきた分、 愛されてもそれに気づくことができないのです。 ここに一人の人がいて、その人が「自分は不完全では愛されないんです」と言っていたら、 「そんなことはないですよ」といってあげたくなりませんか。 あなたは既に人を愛しているのですから、その愛する対象の中に、ご自分も含めてあげてくださいね。
お礼
何度もお付き合い頂いてありがとうございます。 そうですね・・・一番自分に厳しいのは自分かもしれませんが、 そうでもしないと楽な方へ流されて(逃げて)しまいそうだったので、 自己評価なんてあてにならないものだと思ってきました。 (特に社会に出ると「自己評価」はあてにならないものの象徴・・・) kanakyu-さんのおっしゃられるほどの愛はきっと与えられていないです。 仕事以外はそこまで献身的に動けていたわけではないので。 むしろ、仕事であれば献身的になれました・・・給料貰えるので。 でも、「何が貰えるか分からない、貰えないかもしれない」私生活の場で そこまで献身的になれませんでしたね・・・逆に人は強欲に見える。 (そう言っている自分もまた、強欲) >ここに一人の人がいて、その人が「自分は不完全では愛されないんです」と言っていたら、 「そんなことはないですよ」といってあげたくなりませんか。 言うと思います、きっとそうは見えないんだろうなと思います。 そして、きっと他人からも私はそうも見えていないんだけど、 特別誰からも必要ともされていない、きっとこれが真実なんでしょうね。
- kanakyu-
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>同じような意味合いで「欠陥があっても許される」という >言葉の意味も私はよく分かりません・・・ その人の場合は、わたしが虚弱なことと、嫉妬深いことが、 意外にツボにはまったらしく、かわいく思ったらしいですよ。 むかしは、ひ弱なことはイジメのネタにしかならなかったし、 嫉妬深さも嫌がられてばかりでした。 駐車場でバナナを食べていたら 「かわいーい 駐車場でバナナ食べてる~」とか言われ、 何が人のツボに入るのかは分からないもんだと思いました。
お礼
何度も回答ありがとうございます。 そんなことがあるのですね…ちょっあまりにも想像できない世界です。 「何で周りの人は不完全でも必要とされ、完璧になろうとする自分は好かれないのだろう 」と 言ってしまうとアレですが、それくらい普通の人と自分に壁を感じます。 仕事で仮面を被っていれば求められる役割も分かるけど、 私生活は全く分からないですね…躓くのはいつもプライベートです。
- kanakyu-
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>愛というのが良くわかりません。 >自分という人間が誰かから「愛される」なんて想像もできない。 ある人がおしえてくれました。 人の愛は、自分勝手でしかないのだと。 ○○だから愛される、ということは決してなく、 たまたま何かが誰かの心の琴線にふれたからとか、愛する側の都合だけ。 愛する人は勝手に愛するだけなのだと。 そしてそういう風にわたしを愛してくれました。 わたしの思っていた愛とは的外れで独りよがりなんですが、これが人の愛なのかなと思いました。 >人や世間に溶け込もうと走ってきた10年でしたが、 >何だかとても薄っぺらくスカスカで無価値な10年に思えて仕方ありません。 それでも、よく頑張って来られたのではないでしょうか。 これまでの方法がうまくいかなかったのなら、これまでと違う方法も、試してみられてはいかがでしょうか。 わたしも似たような悩みを抱えてきましたが、本当に七転八倒しながら手探りで一つずつ自分の道をさぐり当ててきました。 失敗もたくさんあったのですが、それは挑戦した証拠、勇気の勲章だと心の中では思っています。
お礼
愛する側の都合ですか・・・面白い言葉ですね。 世間では「男は~でないといけない」みたいな概念が 散乱している中で何だか不思議な言葉です。 同じような意味合いで「欠陥があっても許される」という 言葉の意味も私はよく分かりません・・・ これまで以外の方法ですか・・・何だろう、うまく思いつかないのですが 自分は距離が近いほど「~しなきゃいけない」と思うので、 適度な距離が自分の範囲だと受け入れなきゃいけないのですかね。
質問に対しての回答じゃなくてスミマセン。 お時間があったら回答お願いします。 (1)職場を客観的に見渡して、セールスエンジニアとしての 限界年齢は何歳くらいまでだとお感じになりますか。 (2)技術革新のスピード(サイクル)が速くて、覚えたこと が無になるような業界ですか。 (3)人の考えを先回りして読む癖が仕事以外の場面でもでて しまい、何気ない会話ができなくなっていませんか。 (5)いい加減な人間やだらしない人間を見ると、嫌悪感がこ み上げてきて、許せない気持ちになりますか。 (6)女性子どもに対して、どんな感情を抱きますか。 (7)目標とする男性のあり方とかありますか。 (8)何をしているときが心地よいと感じますか。 (9)家庭での躾は厳しかったですか。 (10)愛されたいですか愛したいですか。 面倒くさかったらスルーしてください。
お礼
申し訳ありません。 お礼が遅くなってしまいました。 (1) 年配も多いので知識があれば定年まで可能かとは思いますが、 会社の経営的には不安はあります。 (2) PC業界ではなく、設備関係なのでなくなることはないでしょう。 新規の技術革新よりも、設計の基本や経験が役立つ業界かと。 (3) 昔からそうです、顔色ばかり伺う子供・・・今もですが。 (5) 思いますが、そういう人ほど愛されています。 (6) 女性・・・怖い / 子供・・・愛おしい (7) 職人気質ですかね。 (8) 眠っている時と食べているとき (9) 言う事を聞かないとベランダに放り出され鍵を閉められる家です。 (10) 愛されたいです、そういう実感や経験がないので、 愛するという感覚が自分には根付いていません。
- kanakyu-
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こんにちは。 >「何か凄いことや身を張って喜ばせないと、他人は自分を受け入れてはくれない」 わたしも似たようなことを以前思っていたので、はっとしました。 仕事がんばってました。認められたくて。必要とされたくて。 でも、燃え尽きました。 ずっと後になって、よくわかったのですが、優秀で役に立つから好かれるということはないんですよね。 「へーすごいねー」と遠巻きに「感心」されることはあるし、 役に立つという意味で一応の居場所は確保できるとは思いますが・・・。 人に好かれる人ってのは、むしろ自分のバカさ加減を話のネタにできちゃうような人だと思いました。 でも、失敗を笑い飛ばすって、逆によっぽど自信がないと、できないことです。 >一体どれだけのことが出来れば許されるのか… 本質は、あなたが許すか許さないか、です。 人はその時の機嫌や、過去の経験、その他もろもろの理由で、あなたに対する反応はまちまちです。 今日は機嫌が良かったからほめてくれたことを、明日は腹が減っていたからけなしたりもするのです。 だから、人の評価など、ホントはあてにならないのです。 あなたは、自分の価値を、人の評価ではかろうとしています。 だから人の顔色が怖いのです。 人の評価などアテにならないし、好かれても嫌われてもそれは相手の都合です。 基本、あなたはあなたの思うように生きればよく、 そういうものは、「後からついてくるもの」なのです。 あなたがすばらしければ愛されるというのも、間違いです。 どんなすばらしい聖人でも、かならず嫌う人がいます。 イエス・キリストは十字架に磔にされ殺されたし、 ほかにもたくさん、殺された素晴らしい人はいるんじゃないですか。 生きているうちはまったく認められなかった偉人だっています。 ときには、ある人の欠点こそが愛らしく見える、ということもあるのですよ。 それは、人の愛は、他者への絶対評価ではないからです。 その人の心の琴線に、たまたまふれたか、ふれなかったか、それだけのことです。
お礼
申し訳ありません。 お礼が遅くなってしまいました。 そうですね・・・何かができても、それは「何かができる人」という ただのカテゴライズや、そういう肉のカタマリ。 自分のことを否定された経験が色濃く残っているので、 それに振り回されているのかもしれません(無価値観) 愛というのが良くわかりません。 自分という人間が誰かから「愛される」なんて想像もできない。 人や世間に溶け込もうと走ってきた10年でしたが、 何だかとても薄っぺらくスカスカで無価値な10年に思えて仕方ありません。
質問者様のおっしゃる「人付き合いの本質」とは 要するにいかに人とうまくつき合えるかですよね。 僕は今年で60歳。昨年退職をしたのですがずっと 人付き合いは苦手なままでした。 その僕が3つほど言いたいことがあるのです。 その1.人は基本今の自分で良い。 人付き合いの達人になりたいと常に心をざわつかせているのは 無駄。心落ち着かせて泰然と構えている方が良さが出る。 その2.とは言え、変わりたい自分がいるのだからゆっくりじっくり 変化・成長すれば良い。楽しみながら変化成長しよう。 その3.基本の自分は何だろう。変化させる自分は? 僕の場合、基本は「人が良すぎる」こと、損な役回りがあっても 悠然と受け止められてきた。穏やかにしっかり受け止めることで 他の人から優しくかつ力強く支えられ嬉しく思った。変化の努力 目標は、「嫌な事は嫌と言えること「感情特に喜び」を顔に出す。 ま、少しは前進した。 要は何十年もかけてゆっくり成長すれば良い。自分の良い所を 無くさないようにして。スマイル。楽しむこと。
お礼
申し訳ありません。 お礼が遅くなってしまいました。 とても人付き合いの苦手な方だという印象のない 文章に感じました・・・ 達人になりたい・・・そんなおこがましいことは思わず、 普通の人のように普通に接することができればと、 普通に接してもらえればと思うのですが・・・それが難しい。 確かに昔の自分に比べて他人への恐怖感は薄れました。 でも、それは仮面のかぶり方を覚えただけ・・・本質は・・・ 良いところ、何でしょうか・・・良くも悪くもマジメは言われたことがあります。
- guchiguchi2
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40代女ですが少し解るような気がします。外見や人当たりが本当の自分と少しずれているのだと思います。というか、仕事をしている自分とプライベートの自分はずれているのは当たり前で、30歳になられて少しストレスに感じるようになったのでは。 こういう時お酒を利用する人が多いわけですが、自然に自分らしさが出せるし、失敗してもお酒の席だからと許されます。 許されたいと何度か書いてありますが、過去に何かしたんですか? 仕事は義務ではなく権利です。貴方が思っている以上にまわりの人は貴方が好きで、本音で接したいのです。 人付き合いが苦手というトラウマは解消出来るかもしれません。 というか、もう解消出来ているような気がします。今の苦しみは現代特有の仕事からのストレスでは? そうとらえて、意識的に何かリフレッシュ出来る方法を見つけたり、恋愛なんかもいいですよ。同じ人間でも女性は時々、宇宙人かと思うような言動をしますから、良い意味で振り回され、知らないうちに自分らしい自分になっていると思います。 がんばって!
お礼
申し訳ありません。 お礼が遅くなってしまいました。 お酒を飲むとネガティブな面が強調されてしまうので あまり飲まないようにしています。 自分を「人として認めて欲しい(許して欲しい)」と思います。 ずっと人に溶け込めなかったので、溶け込もうと必死になりました。 嫌われてはいないんでしょう、きっと誰も私に関心がないんです。 だから色々出来ないとと思いましたが、最近虚しいのです。 そんなことはできなくても、必要とされる人は必要とされる。 仕事が忙しくなると何に対して頑張っているのか分からない、 それはそうかもしれません・・・よりどころがないので。 恋愛・・・この世で最も困難なものですね。 誰でいれば必要としてもらえるのか全くわからない世界です。
お礼
ご丁寧にありがとうございます。 >「他者に理解を示しても、理解を示してもらえない孤独」 ああ、思い当たる節はあります。 なんですかね、そういった小さな経験が積み重なって、 「何かをしなければ~してもらえない人間」だと思うようになりました。 自分を落として、自分は無価値だから仕方ないと言葉では言っても、 実際は他人に対する「理解してくれない」という憎悪みたいな感情が 心の中に渦巻いて離れないんですね・・・自分が表面上でやろうと していることと、本心が実際はかけ離れている(真逆)なのに、 そうしないといけないと思うから、近づきたいと思う言葉と裏腹に 自分で壁を作って遠ざかる、寄せ付けないようにしているのは自分なのに 「ああ、まただめだった、あいつらのせいだ」と思うような。 「他人に興味持ったほうがいいよ」なんて言われたりしますが、 いつも「興味持ったら持ってくれるの?」と心の中で思います。 興味持てないんだから仕方ないのですがね。 持てないものを無理に持たなければいけないと鞭を振るって、 やりたくないことをやって結果、報われないというのが一番辛い。 「望まれたやり方に併せたのに、まだ足りないの?なんて強欲・・・」 そんな風に他人のことを見てしまいます。 そのやり方を選択したのも自分なのですがね、被害者意識が抜けない。 でも、人生で辛いのが「やりたくないけど、それを得るために行なった 行動が受け入れられない(認められない)」というのが、 私の中で一番嫌なことなんだなと最近思います。 仕事の世界でうまく振る舞えたのは、やりたくないことをやって、 給料がもらえるという分かりやすい見返りがあったからですね。 犠牲を伴うのには何かしらの見返りが必要なのに、 それを人付き合いで求めると批判されるのが私の理解できない点です。 寂しさを打ち消す術を知らないですね・・・ 昔の方が孤独に強かったような気はします、他人に合わせないととか 一切思っていなかった学生時代は一人でも気にしなかった。