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古代の疫病って具体的には
古事記や日本書紀には疫病がはやったという記述がしばしばみられます。 この疫病の正体は何でしょうか? 疱瘡という話を聞いたことがありますが、記憶が定かではありません。 よろしくお願いします。
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説明不足でしたかな。国文学科出身と昆虫の専門家(日本鞘翅学界会員)及びボルネオとパプアニューギニアでマラリア原虫をもらった(幸い東京品川のだるま薬局で買った薬で発症は抑えられた)者の立場から詳しく説明しましょう。 根拠は「平家物語 巻6」「玉葉集 治承5(1181).2/27」などの記述の症状を基にしています。 現在、マラリアは「三日熱」「四日熱」「熱帯」が主なものですが、12世紀の日本のマラリアはこれらとは違う種類です。平安時代の宿主はハマダラカではなくヤブカかもしれませんが、ハマダラカが冬に成虫でなくても、夏に原虫を注入されて冬に発症、は十分に考えられます。なぜ三日や四日の間をおいて高熱が出るのかというと、安定期には原虫は肝臓に退避しており、三日ないし四日おきに肝臓から血液中に出撃するからです。つまりそういう習性でないマラリア原虫の種類であった、と考えられています。詳しくは大阪総合医療センターの堀井先生にお聞きください。ただこの先生は原虫持ちの可能性のある人には何かと「採血させてくれ」と言うのですが。2000年にはロンドンの空港でマラリア原虫が確認されました。年平均気温30度を下回る土地でも十分マラリアの危険性があります。 インフルエンザとは、「風邪のような症状を起こすウイルス性の空気感染症」です。シベリアに巣食っていたインフルエンザウイルスが渡り鳥によって温帯にばら撒かれたのは先史時代でも化石で確認されています。ただしこれは「そうとしか考えられない」というレベルではないか、という批判には「おっしゃるとおりです」としか言えませんが、論理的カツ明解な反論もないのです。インフルエンザの流行は20世紀に入ってからではありません。イースター島やパタゴニアや九州の住民の大量死。大航海時代にヨーロッパ人に滅ぼされた民族は枚挙に暇がありませんが、「意図せざるインフルエンザのばら撒き」ぐらし、世界史の常識です。なお、雁や鴨の病気のウイルスが人間に感染するまでには、中国に於ける「豚肉食」の普及がありまして、渡り鳥→カラスや雀等の活動範囲の意外と広い鳥→豚→人。というルートをとったことはDN解析で突き止められています
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5番です。平安今日の衛生条件について。 たしか.方丈記のどこかに.死体を民家のとなりに放置することが葬儀であり.犬などが食べて付近に散らばり次第に腐って行く様子が描かれていたかと思います。 したがって.かなり衛生条件が悪く.食中毒は日常的と思われます。
- sosdada
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沖縄のマラリアが駆逐されたのはようやく戦後のことですが、「記紀」の時代の「日本」ではないですな。
- WOc
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1さんの記述は興味深いですね。 補足的な情報ですが、○○京(平城京など)の跡地から観察される当時の汚物処理は、 水洗式に流していたケースもあるそうですが、 下水システムと呼べるほどではなく、雨が降れば逆流して外へ溢れ出していたり、 時代が新しくなった平安京でも、一般市民の糞尿でまみれた道があり、 糞小道と呼ばれていたという記述もあります。 一般ゴミは穴埋めだけでなく、側溝に流した例も。 遷都の理由はこれだという人もいるくらいです(笑) 10万とか20万とかいう説もありますが、いずれにしろ 数万人単位の人が同じ地域に住んでいたので 衛生面はあまり良くなかったと思われます。 なので赤痢などの流行病もあったでしょう。
- suzuko
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「ハンセン氏病」も山本俊一氏の著作によると「有史以前よりあった、・・・流行状態になったという記録はない」とあります。
- Elim03
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なにしろ大昔過ぎる時代のことですから、定かにわかる人は居ないのではないでしょうか? 記述自体にも怪しい点が多い資料ですから。 衛生環境が良くない時代ですから、現在でいう法定伝染病の類であれば、全部当てはまる可能性はあります。 ただ、「疫病」というくらいですから、「人から人へ感染するもの」である可能性が高いでしょうから、赤痢とか、ツツガ虫病とか、日本脳炎のように、何らかの媒介がないと成立しないものは、可能性が低いかも知れません。 また、当時は(明治ぐらいまでは)、「はやりやまい」といえば、今でいう普通のインフルエンザでした。 栄養状態が悪かったので、死者が多かったのですね。 疱瘡であれば、これは「疫病」の定番の「天然痘」であり、これは十分に考えられます。 「あばたもえくぼ」ということわざの成立はかなり古いようなので。
仏教伝来以降ですと.水銀や鉛の利用で水銀中毒と鉛中毒での死亡があります。 奈良から京都への遷都は金めっきに使われた水銀による公害とのこと。
- sosdada
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#3です。訂正します。 「ぐらし」ではな「ぐらい」、「DN」ではなく「DNA」です。 失礼こきました。
- PENPENMAKKY
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No.1様。 > マラリア(平清盛もこれ)。 根拠は何でしょうか? 平清盛の没月は閏2月で発病は1月です。太陰暦の1月は現在の2月から3月初頭に当たります。当時の日本の正月は気温が30度位あったのでしょうか? マラリア原虫を運ぶ羽斑蚊は、気温20度以下の環境では生息できません。羽斑蚊が球列島以外の日本にいないのは日本の冬では生息できないからです。また、マラリアという病気は連日高熱が出る訳ではなく、2日マラリア、3日マラリア、不定期マラリアと言って何日かに一度高熱が出るだけです。 如何なる公式古文書(清盛に関しては保元記か源平盛衰記かと思いますが)に記述されているのでしょうか? また、インフルエンザが疫病として猛威を振るったのは20世紀に入ってからです。 日本で昔からある疫病は天然痘(疱瘡)、チフス、結核、コロリ(コレラの事ですが、現在はほぼ撲滅)だったと思うのですが?
- sosdada
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まずは天然痘。結核。インフルエンザ。マラリア(平清盛もこれ)。国文学科出身